■3■ 夢は夢でも進路の話
夏の風がカーテンを揺らし、そっと私の髪をなでていきました。午後二時。一番暑い時です。進は現在お昼寝タイム。部屋の真ん中ですやすやと寝息を立てて寝ています。扇風機の風が時折私を吹きつけて、また去っていきます。彩お姉ちゃんは進の隣で勉強中。私といえば、何をするとも無く窓の側で夏の匂いに身を任せていました。
「ふっ、私ってば優雅……」
「暑さで頭のネジが飛んじゃったかしら?」
彩お姉ちゃんは頬杖をついて私を見る。
「失敬な! 私はいつも通りですーっ!」
「……確かにいつもの千歳だわ」
この雰囲気っ! もしかして、馬鹿にされてる……!?
「ま、いいや。彩お姉ちゃん、数学?」
隣に置いてある麦茶の氷が風に吹かれてからん、と音を立てました。あぁ風流。
「ん? そう、数学」
彩お姉ちゃんはお姿勢を正して言いました……あぁ、疲れた! もう風流お終いっ!
「それにしても、彩お姉ちゃんは本当に成績いいよね。私なんて、苦手な科目は数学と理科を筆頭に国語と英語と……あと社会も苦手かな」
「それって全部じゃない」
「家庭科は得意!」
はぁー、と彩お姉ちゃんがため息をつく。
「千歳は勉強しないからでしょ、やればできるのに……」
ピコーン! この会話の流れはマズい、話をそらさなきゃ!
「そういえば、彩お姉ちゃんは志望の学部とか決めたの?」
「一応、ね」
「え!? 教えて、教えてっ☆」
私はずいっと彩お姉ちゃんに迫った。
「な、何!? そんなに知りたいの?」
コクリコクリと私は二度頷いた。
「仕方ないわね……まだ確定したわけじゃないし、これは絶対に秘密よ? わたしと千歳だけの。いい?」
コクリコクリと私はまた頷いた。
「実はね……民俗学をやろうと思ってるの」
「民俗学?ってなぁに?」
「この子ってば……」
彩お姉ちゃんはがくっとうなだれた。
「民俗学っていうのはね、伝承や言い伝え、風習などを手がかりにして、伝統的な伝承文化や生活文化を研究する学問よ」
何々? 一つ一つの言葉は何となく分かるけど。
イマイチ掴みきれない私の様子を察したのか、彩お姉ちゃんが続ける。
「んー、要するに、おじいちゃんやおばあちゃんのお話を聞いて、昔の人の暮らしぶりや考えを明らかにしようってコト」
「なるほどーっ! 合点合点!」
私がガッテンガッテンのジェスチャーをすると、彩お姉ちゃんはくすっと笑った。
「でも、なんでまた民俗学?」
「なんでかしらねー、伝承や昔話、神社とかお寺とかそういったのが好きだった影響かしら」
へぇー、全然知らなかった。というより、家ではこんな話する機会はあんまりなかったからね。
「そういう千歳はどうなのよ? どこか行ってみたいなーとかいう大学くらいはあるでしょ?」
「大学かぁ、ついこの間までは高校受験で手一杯だったからなぁ……まだ全然決まってないや」
お姉ちゃんは中学からエスカレーター式に御桜高校に通っているのだけど、私は中学は公立だったのだ。
「大学行かなければ勉強なんてしなくていいのかな?」
私が何気なく言うと、お姉ちゃんはビッと人差し指を立てた。
「甘いわね! 仮に進学しないなんて言うなら、就職よ! このご時勢、高卒で就職なんて、進学よりもよっぽど難しいんだから! 留年だってあるし、気は抜けないわよ!」
「そうでした」
一学期の評定を思い出して私はどんよりした。先生に危ないと言われていたんだった。
「彩お姉ちゃん、私今超やる気! 勉強教えてっ!」
私はだっと立ち上がって、彩お姉ちゃんの横に座った。
「やる気になったわねー! じゃ、まずは学校から出された宿題からやっていきましょ」
私はかばんから数学の宿題、筆記用具一式を取り出して目の前に広げた。
「最初の基本問題くらいなら一人でも出来るわよね、終わったら見てあげるから」
彩お姉ちゃんはそう言うと自分の宿題に再び取り組み始めた。
「こ、これが基本問題なの!? もうダメ! 持病の知恵熱が! あぁぁぁぁー……」
「ツッコミどころ多すぎだけど、とりあえず寝るな、逃げるな、気絶するなーっ! ほんともう、先が思いやられるわ……」
彩お姉ちゃんは目頭を押さえた。
「いい? ここはね……」
その日、彩お姉ちゃんの助けもあって、数学の宿題は驚くぐらいのスピードで進んだ。
そうこうしているうちに、いつのまにか、太陽は綺麗な夕日になっていたのでした。