■1■ 口は禍の元、と申します
「お気をつけて。さようなら」
父のピアノの先生は笑顔で小さく手を振る。
「さよーならー! またいつか来ますねー!」
私は昨日の余韻がまだ残ってて、先生が見えなくなるまでずっと手を振り続けた。
「彩お姉ちゃん、進……」
ん? と両脇の二人が私に顔を向ける。
「ありがと……ね」
いつまでも夏が続くんじゃないのか……そんな風に思わせる青空だった──
「今日は母のツテで宿の心配は無いから、のんびり向かいましょ」
私は動く気にもなれず、ただただじっと座っていた。夏場のこの時期、電車は比較的滑らかに田舎の風景を走り抜けてく。電車に乗ってくる人がいて、降りる人がいて、さっき乗ってきた人が降りて、また乗ってくる人がいる。
「なんだか、私たちだけ取り残されたみたいね」
「千歳お姉ちゃんは早く相手を見つけたほうがいいかもね」
進がぼそりと言う。私は天性の地獄耳でそれを鋭く聞きつけた。
「何の話かなー?」
私は進を逃がすまいと手首をぎゅっと握った。
「進も言うようになったわねぇ」
楽しそうに言う彩お姉ちゃんは傍観を決め込んだらしい。私と進を一瞥すると、素知らぬ顔で視線を窓の外に戻した。
「き、聞こえたの!? じょ、冗談冗談ッ!!」
「あら、そう? そんな悪い冗談を言ったのはこの口かしら? それともこの目かしら? えぇ?」
「目は関係な……わぁっ!」
進が大声を出すので、乗客の視線が一気に私たちに集まった。
「ひそひそ……ひどいわねぇ……弟を虐待してるわ」
そんな声が聞こえた。やばい……私は精一杯の笑顔を造り出した。
「あらあら、進君? そんな冗談言っちゃダメじゃない? 後でじっくりお姉様に対する口のきき方を教えて差し上げますことよ、ほほほ」
我ながら完璧なフォロー。
「ククッ……ぁハハっ! 千歳、もうそのくらいにしておきなさいよ。今のあんた、すっごい形相してるわよ」
プシュー……ちょうど駅についたところだったので、私は進の手を引いて立ち上がった。
「ここで一旦降りましょ」
私は有無を言わさず進の手を引いて駅のホームに降り立った。そのままずいずいと少し人気の無いホームの端まで来る。
「進君」
進がビクッと反応する。
「約束通り、口のきき方を教えてあげるね」
「こんな一方的なの約束とは言わなっ……うわぁぁぁぁぁぁあああっ!」
……
…