■2■ 迷子の迷子よ水族館
今日泊まるのはここ空音町です。綺麗な海の見渡せるこの空音町は、夏真っ盛りの今日一日過ごすには最適の場所でした。
「さて、今日の宿はどうする?」
言ったのは彩お姉ちゃん。あれからすっかり立ち直っている。電車の中でなんとか心の整理がつけられたみたいだ。本当に良かった……私は心の底から安心したのでした。
「ねぇ、水族館行かないっ!?」
私は急に思い立って言った。
「千歳、人の話聞いてる? でも、水族館かー……いいかもね。進、初めてでしょ?」
「ううん、幼稚園に入る前に一度だけ行ったことあるよ。でも、全然記憶ないや」
「そっか。じゃ、水族館、入ってみるのもいいかもね」
珍しく全員の意見がちゃんと合致して、三人で水族館に向かうことになった。
……
…
「うわぁ、広ーいっ☆青ーいっ☆」
「千歳、少し落ち着きなさいよ」
お客も結構入ってる水族館の中は、青一色だった。
「何、この奇妙な形の……」
進が見ているのは深海魚のコーナー。日の光も全く届かない深海では、独自の進化を遂げた種が多いのだそうだ。
「それはチョウチンアンコウよ。深海魚では結構有名な方ね。子供の頃に読んだ本に書いてあったわ」
彩お姉ちゃんは進の隣に移動すると言葉を続けた。
「ほら、おでこの辺りから突き出ている触角みたいなのを誘引突起って言うんだけど、その先がチカチカ光ってるでしょ。光ってる部分は擬餌状体って言って、あれで他の魚を呼び寄せて、こう、興味を持って近づいて来た時に『ぱくっ!』て食べちゃうのよ」
彩お姉ちゃんは身振り手振りを加えながら進に説明する。進は賢い子だから、一度聞いただけで覚えちゃうんだろうなぁ。ゆういんナントカ? ぎじナントカ? とか私にはさっぱりだけど……。
「へぇー……彩お姉ちゃん、詳しいね!」
進が目を輝かせて言う。
「進が高校生くらいになったら、わたしなんかよりずっと物知りで賢い子になってると思うわよ」
彩お姉ちゃんだって私からしたら電柱とマッチ棒くらいの差があるのに、それ以上とか想像できない。
二人を見ていて、本当に私達は血がつながっているのだろうかって気がしてくる。ま、まさか、私だけ血がつながってないとか……そ、そんなことないよね!? そ、そういえば、幼い頃の写真、あんまり見せられた記憶が無い……ちょ、ちょっと、そこの君、私達、血がつながってる、よねぇ!?
私達がそんなこんなで館内を見て回っていた時だった。私は水槽の中を覗きながら移動していたものだから、目の前から近づいてくる人影に全く気づかなかった。どんっと音がして、私はその誰かとぶつかってしまった。
「きゃッ!」
反射的に裏返った声が出てしまい、私は飛びのいた。
「だ、大丈夫!? 君っ!」
目の前に倒れていたのは小学校も低学年くらいと思われる小さな男の子。私がその子を起こそうとした時、その子は急に泣き出した。
「え? えー!? な、泣かないでよぅー。ほら、いい子いい子っ」
急に泣き出されたものだからどうしていいかも分からず、頭を撫でてなんとか泣き止ませようとした。
「どうしたの、千歳お姉ちゃん? その子は……?」
進と彩お姉ちゃんが私の所に来て不思議そうな目をする。
「分からない。歩いてたらぶつかって、泣き出しちゃって……ねぇ、泣き止んでくれないかな?」
私が必死になだめても、一向に泣き止む気配が無い。
「ほら、これあげるから、泣き止んでくれないかな?」
彩お姉ちゃんはそう言いながら、どこから取り出したのかオレンジの飴を子供の手に渡した。すると、それまで一向に泣き止む気配が無かった男の子が、泣き止み始め、ひっくひっくとしばらく泣きじゃくってた後、男の子は飴の袋を破り、飴を口に放り込んだのだった。
「ようやく泣き止んでくれたね。よしよし。で、どうして一人なのかな?」
後ろに下がった彩お姉ちゃんに代わり、私は少ししゃがんで出来るだけ優しい声でその男の子に話しかけた。
「お母さんと此処に来て……でも、お母さんが待っててって言ったのに僕約束守れなくて……」
その子がまた泣き始めたので、慌てて頭をなでる。
「泣かないで、泣かないで。じゃ、一緒にお母さん探しましょ。どこで待っててって言われたの?」
「分からない……でっかい魚がいる前だった……んだけど……」
男の子はこぼれる涙を必死に拭いながら途切れ途切れに話した。
「分かった。お姉ちゃん達が君のお母さんを一緒に探してあげようっ☆」
「……うん」
私は男の子の手を取って立ち上がり、努めて元気に宣言した。泣きじゃくってた男の子も、それを聞くとようやく少しだけ笑顔を見せてくれた。
……
…
「むぅ……」
私は一つの水槽と睨めっこしている。
「どうしたの?」
男の子が興味津々といった感じで私を見る。
「今思い出したわ。私が以前巻き込まれたイカ皇帝とタコ教皇の抗争に乱入した蟹大王は……こいつよ!」
私は水槽の中をぬぼーっと間抜けな顔で佇む、大きさ一メートルは軽くある蜘蛛のように足の長い巨大蟹をびっと指差した。
「千歳お姉ちゃん、『夢の中で』を省略するのはやめようよ」
「本当!? すごーいっ!!」
進の声など全く耳に入っていない様子で男の子は興奮した。
「で、結局どうなったの!?」
「お、興味を持ったかい、少年? うん、一つの海の覇権争いが七つの海の支配権をも左右する大抗争に発展する大スペクタクルだった……あの時の私はまだ若かったんだ……」
「お姉ちゃんは今でも若いよーっ」
無邪気な顔で笑う。
「そうかい? いや、ありがとう。うむ、それで、私はバズーカ砲を肩に海に乗り出したんだ」
「どうしてそんなもの持って行ったの?」
「うん? 護身用だよ。海は何があるか分からない危険な場所だからね」
私は(夢で)経験した話を事細かに少年に語り、少年は一言も聞き漏らすまいとして話を聞いていたのだった。
「はぁ……千歳お姉ちゃん、エンジン全開だよ」
ぽつり、と進は彩お姉ちゃんに話しかける。
「本当に、笑えてくるくらい相性ぴったりね」
「『素晴らしい』相性とは限らないけどね」
進の言葉を聞いて彩お姉ちゃんも進も笑い出す。
「外野うっさいよ! ……で、結局私の知恵と勇気と行動力を持って抗争は無事解決したってわけ」
「わぉ!! すごいや、お姉ちゃん」
「まさか、こんな水族館に閉じ込められているとはね。当時はこの何十倍もあった体もこんなに縮んじゃって……」
相変わらずぬぼーっとした表情のまま佇む巨大蟹はその言葉を聞くと億劫そうにしゃかしゃかと水槽の奥のほうに行ってしまったのだった。
「迷子のお客様のお知らせです。空音町から来ている……」
そんな感じで母親を探しつつ館内を回っていると、館内アナウンスが流れてきた。それを聞いて、少年が私の袖をくいくいと引っ張ってくる。
「これ、僕のことだ!」
男の子は嬉しそうに満面の笑顔で言った。
「そっか、よかった。それじゃあ、一緒に行こっか」
「うん!」
男の子は元気に返事をしたのだった。
「……本当に、どうもありがとうございました」
スタッフルームで男の子と再会した母親は、丁寧にお辞儀をして御礼を述べた。
「いえいえ、こちらも楽しませてもらったことですし、そんな御礼を言われるようなことじゃないですよ」
「ほら、御礼して」
男の子の頭に手を乗せて言う。
「……ありがとう」
「何か御礼にさせてもらえないでしょうか」
相当義理深い母親なのだろう、一生懸命何か出来ることが無いか考えている。
「お母さん、この人たちね、旅してるんだって。だから、今日は泊まっていってもらおうよ」
男の子が母親のスカートをつかんで言う。
「……そうね、ぜひそうしてもらいましょうか」
少し考えて母親が同意する。
「えっ、なんだか悪い気が……」
彩お姉ちゃんが少し戸惑う。
「うんうん、せっかくのご好意を無駄にしちゃ悪いよ。ね、彩お姉ちゃん♪」
「千歳ったら……あんた、少しは食事抑えなさいよ?」
とんとん拍子に話が進んで、あっという間に泊めてもらうことが決定したのだった。