17 竜の国
サフィーア帝国へ出発する日の朝。
事情を知っている人たちに見送られ、ヴァールハイト皇子の用意してくれた馬車に乗り込んだ。学園に一緒に来ていた従者に「友人に我が国を観光してもらいたい」と説明し、準備させていたそうだ。サフィーア帝国までの行程は、皇子たちがきっちり管理している。
馬車の中では、リトランデ様と並んで、皇子と向かい合うように座っている。
「すみません、お忙しい時期に」
「君が気にすることじゃないさ。未来の主人からの頼みだからね」
最高学年でかなり忙しい時期のはずなのだが、そんな素振りはまったく見せずにリトランデ様は答えた。この余裕、流石です。
「グランの側近をやるなら、君の護衛を完璧にこなしてみせるくらいじゃないとね。それに、万が一のことがあれば、俺がエルに殺されかねないからな……」
頼もしい言葉だ。リトランデ様の強さはよく知っているし、彼が一緒に来てくれるなら心配することはない。後半はぼそぼそ言っていてよく聞き取れなかったけど。
「とにかく、君のことは何があっても守るから」
「ありがとうございます、リトランデ様」
「呼び方なんだけどさ、あくまで旅行客として行くわけだし、身分は隠した方がいいと思うんだ。バレても面倒だし」
「そうですね、確かに……貴族だとか、ホロウだとかバレるのは良くないかも」
皇子たちは別として、私たちが貴族やホロウであることをサフィーア帝国の街の人たちは知らない。
余計な騒ぎになるのは避けたいので、どうしようもない状況になるまでは隠しておいた方が賢明だろう。
「だろう? 旅行中は様付けはいらない。そうだな、弟のことはアルって呼んでるよな? 俺も、リトでいい」
「では、私のこともルナ、と。フルネームだと、ホロウだってバレる可能性があるので」
ヴァールハイト皇子にも知られていたし、念のため。
「グランを差し置いて俺が愛称で呼んでいいものか……」
「どうかしましたか?」
「い、いや……ルナだな、分かった」
何か悩んでいたようだが、最終的には了承してくれた。
そんなやり取りをする私たちを皇子が微笑んで眺めている。
「お二人は仲がよいのデスネ」
「まぁ、幼馴染みたいなものだからなぁ」
「ふぅん、そうデスカ」
「含みのある言い方だな……」
「イエイエ、お気になさらずに」
よく分からないけど、楽しそうだ。
幼馴染といえば、皇子の友達だという銀竜の話は詳しく聞いていなかった。他国の人間に知られたくないのなら仕方がないけど。
「ラーチェスさんとは長い付き合いなんですか?」
「僕が生まれて間もない頃から関わりがあったそうデス。物心ついた時には友達だったので、ええ、幼馴染かもしれまセンネ」
私たちのことを信用してくれているのか、特に隠す様子はない。
友のことを思い出しながら話す皇子の表情は、とても穏やかだった。
「見事な銀の鱗で覆われた逞しい体躯。そして、真実を見抜く青き瞳。見るものに畏れを抱かせる風格と、全てを受け入れるかのような寛大さ。とても美しい生き物デス。そんな銀竜たちの中でも、ラーチェスは群を抜いていると思いマス。普段は人の生活に馴染むために、幼子の姿に変身していますケド」
怖がらせないために幼子の姿をとっているが、中身とのギャップが面白いのだとか。ラーチェスはその姿が気に入っているそうで、変える気はないらしい。
「千年以上生きている竜デス。まだ魔獣がいなかった頃の世界を知ってイル。まぁ、魔獣がいなくてもなかなかに激動の時代だったようデスガ」
魔獣が現れ始めたのが百年ほど前。それよりはるか前の時代を知っている人間は、長命な魔導士であってもさすがに存在しない。竜ならではといったところだろう。
だが、たとえ魔獣はいなくとも、竜と人間の争いがあった時代だ。決して平穏ではなかっただろう。仲間たちが傷つき、失うことを何度経験してきたのだろうか。
自分たちの住処を奪われてなお、人間と共存する道を選んだ銀竜。簡単な気持ちで受け入れたわけではないだろう。
「生き残った僅かな銀竜たちを束ね、サフィーア帝国を竜と人間が共存できる国に導いたのは、銀竜の長であるラーチェスに他なりまセン。彼女の存在は、サフィーアの民にとっても特別なのデスヨ」
「凄い方なんですね」
「本人は微塵も自分のしてきた偉業を自慢はしませんケドネ。そう、偉業……我が国の銀竜信仰が浸透したのも、彼女の存在が大きいのデス。はじめは、彼女のことを崇めたのが始まりだとも言われていマスネ」
今のサフィーア帝国を創ったといっても過言ではない功績を残したのであれば、それも不思議ではないのかもしれない。
「でも、そんな伝説に名を残すような銀竜だからこそ、呪い程度では死なないと楽観視しているのでショウ。どんなに無敵に見える生き物であっても、必ず死は訪れるというノニ」
きつく拳を握りしめながら、皇子が吐き出すように言う。隣りに座るリトランデ様も、それに同調するように険しい顔をしていた。
「どれほど皇子がラーチェスさんのことを想っているのかは分かりました。その想いに、応えないといけませんね」
「あなたの心には曇りがナイ。その純粋さは竜の好むところデス。あなたに声をかけたのは正解デシタネ」
皇子を、そしてサフィーア帝国の人たちを悲しませるわけにはいかない。何としても、この解呪は成功させないとな。




