16 サフィーア帝国からの留学生3
放課後、グランディール様とも話がついたということで、私とエルは生徒会室へ向かっていた。人払いするにはちょうどいいらしい。グレース様は先に行って待っているとのことでこの場にはいない。
二人で生徒会室へ歩いていると、エルがうーん、と難しい顔で唸った。
「あの皇子、臭いますね」
「そんなに香水の匂いきつかった?」
「いえ、獣臭い……とも少し異なるようですが、それに近い感じの臭いがします。何かありますよ、彼」
香水の香りはしていたが、爽やかな柑橘系のもので、きつい匂いだとは思わなかった。
エルは銀狼の獣人だから、人よりも臭いに敏感だ。私には分からない別の香りがするのかもしれない。
「獣人……少なくとも、私のような狼系の獣人ではありませんが。何と言ったらいいのか……爬虫類に近いような、そうでもないような。嗅ぎ慣れない臭いです」
「私は何も感じなかったけど、エルが言うならそうなんだろうね。ヴァールハイト皇子、何者なんだろう?」
「私は苦手ですね、彼。どうにも近寄りがたくて。臭いのせいでしょうか」
「辛いなら、無理して同席する必要はないんだよ?」
「いえ、ご心配には及びません。ルナシアさんの傍にいます」
「大丈夫? 我慢はしないでね」
にっこり笑って頷いてくれたけど、本格的に辛そうなら途中で退室してもらった方がいいだろうな。
それにしても、嗅ぎ慣れない臭いか。エルにとって、あまり気分のいいものではないようなので、少し警戒しておいた方がいいだろう。
皇子、悪い人ではないと思うんだけどね。
生徒会室には、すでにグランディール様とグレース様が並んでソファに腰掛けており、その向かい側にヴァールハイト皇子が座ってお菓子を食べていた。
「エルメラド王国のお菓子は美味しいデスネ! さすがは食の宝庫。羨ましい限りデス」
無邪気にお菓子を頬張る姿から、警戒心は微塵も感じられない。凄く馴染んでいた。
「お待たせして申し訳ありません」
「おお、ルナシアさん! お待ちしておりまシタ」
声をかけるとお菓子を摘む手を止め、居住まいを正した。
全員揃ったところで、グランディール様がヴァールハイト皇子に話を振る。さっきと打って変わって真面目な顔つきになった皇子は、私たちに問いを投げかけた。
「早速デスガ、皆さんは銀竜信仰のことをご存知デスカ?」
「かつてサフィーア帝国に住んでいたとされる銀竜を、国の守り神として崇めていると聞いたことがあります。銀竜は邪を払う力ーー解毒の力や、真実を見抜く瞳を持っていたとか」
「おお、グランディール王子は我が国のことにも詳しいのデスネ。その解釈で合ってマス」
伝説の生物、銀竜。サフィーア帝国のあたりを住処としていた種族。
毒は効かず、その瞳は嘘を見破る力を持つという。
生物の中でも最強クラスの力を誇っていた竜族だが、束になった人間たちによってその居場所を奪われていったという。ここら辺は獣人たちと似ているね。
そして、次第に竜は姿を消してしまった。今では、本当にいたのかどうかすらあやふやになってしまっている。
だが、サフィーア帝国には竜の遺物があると聞いたことがある。サフィーア帝国に紅玉国の獣人たちがなかなか攻め込めないのも、本能的にそれを避けるからだそうだ。実際に効果が出ているところをみると、竜の遺物は本物なんじゃないかな。
「しかし、それが全てではありまセン。内密にお願いしたかったのは、ここから先の話なのデス」
ヴァールハイト皇子は声をひそめる。
「人払いはしてありますし、念のため防音の魔法もかけています。秘密は守りますよ」
「そんなこともできるのデスカ。エルメラド王国の魔法は進んでマスネ」
流石はグランディール様、仕事が丁寧だ。防御魔法を得意とする彼は防音もお手の物のようで、完成度の高い魔法が部屋全体にかけられているのが分かる。
その言葉を聞いて安心したように、ヴァールハイト皇子は話し始めた。
「まずは、僕の瞳を見ていただけマスカ?」
言われるままにサファイアブルーの瞳を覗き込むと、丸かった瞳孔がシュッと縦に伸びるのが分かった。それと同時に、瞳の奥に黄金の粒がキラキラと散っているように見える。
「綺麗ですね、これは一体?」
「この瞳を綺麗と言ってくれマスカ。しかもお世辞でないとは。ルナシアさんは不思議な方デスネ。普通は奇妙に思うものでショウに」
どこか嬉しそうに笑いながら、皇子は説明を続ける。
「これは銀竜の瞳デス。僕は、銀竜の血を引く人間の子孫ーー竜人というやつデスネ。僕の瞳は銀竜と同じく、見つめた相手の言葉の真偽を暴く力を秘めていマス」
なるほど。エルの言っていた嗅ぎ慣れない臭いの原因は、彼が竜にまつわる者だったためか。
「すみまセン。あなたにとって、僕の近くは居心地が悪いでショウ」
そう言って、皇子はエルの方に視線を向ける。
視線を向けられると、申し訳なさそうに耳がぺたりと垂れた。
「いえ、えっと……はい。申し訳ありません」
「正直で結構デス。仕方のないことデスヨ。多くの獣にとって、竜は畏怖する存在。その血を引く僕のことも、警戒して当然なのデス。辛かったら気にせず退室してもらって構いまセンヨ」
「いえ、理由が分かってすっきりしました。大丈夫です、続けてください」
臭いの原因が分かったためか、先ほどより表情は和らいでいる。理由が分かって、敵ではないと認識したのだろう。
「分かりまシタ、では……サフィーア帝国の人間の多くは、血の濃さは違えど、銀竜の血を引いていマス。かつて竜の住処を奪った人間たちを、竜はその寛大な心を持って許シタ。その和解の結果とも言えマス。けれど、和解した頃にはすでに銀竜たちの数は激減していまシタ」
悲しげに皇子は目を伏せる。
「今のサフィーア帝国の人々は、銀竜たちへの償いのため、銀竜信仰という形で崇めてきまシタ。もはや竜は伝説上の生物。他の国では、そういう扱いデスネ。ですが、サフィーア帝国では、決して伝承の中だけの話ではないのデスヨ。同じ過ちを繰り返さないために、再び悲劇が起こらないように、守り秘匿されてきた真実」
皇子はまっすぐ前を向いて、はっきりと口にした。
「竜人だけでなく、正真正銘、本物の銀竜もまだ生きているのデス」
その言葉に、私たちは息をのむ。
伝説の生物とされていた竜が、まだ存在している? 思いがけない言葉に、私たちは顔を見合わせた。
真剣な表情で、ヴァールハイト皇子は続ける。
「ルナシアさんにサフィーア帝国へ来てもらいたいのは、我が友、銀竜ラーチェスが魔獣から受けた呪いを解いて欲しいからなのデス」




