1 巻き戻る時間
私は世界を守れなかった――はずだ。
だが、目を覚ました私の目に飛び込んできたのは見覚えのある天井だった。
「ここは――私の家?」
肌によく馴染むベッドから身体を起こして辺りを見回す。
勉強机、本棚、クローゼット‥‥‥それらは長年使ってきたもののはずだが、どこか真新しい。子ども用のおもちゃが目に入ったところで、はてと首を傾げる。あれは確かに自分のものだが、もうおもちゃで遊ぶような年齢ではなかったはずだ。私は二十歳になっていたし、成人が十八歳であるこの国では十分大人である。本棚に並んでいるのも絵本ばかりであるし、おかしいなと思い始めた。
「縮んでる‥‥‥」
まさか、と思って自分の身体を確認すれば、なんと幼児体型になっているではないか。
持って生まれた魔力が大きい者は成長が遅いと言われているが、これは流石にない。私はもうちょっと女性らしい体型をしていたぞ‥‥‥いや、どうだったかな。
だが、それを差し引いてもこれは――子ども時代に戻っている?
「ルナシア、朝ごはんよ。今日は家族でピクニックに行くって言ったでしょう? 置いていっちゃうわよ」
その時、下の階から女性の声がかかる。非常に聞き覚えのある声だった。
「‥‥‥お母さん?」
魔物たちが町を襲い、魔王が襲来した時、命を落としたはずの母親。そのはずなのに、元気な声で自分の名前を呼んでいる。
「ルナー?」
「起きてるっ! まって、置いていかないで!」
驚きでしばらく声が出せなかった。なかなか返事がないので、再び母親の声がかかる。ルナ、それは私の愛称だった。
反射的に返事をしてしまったが、まだ頭が追いついていない。定番だが、頬をつねってみる。痛い。念のため思いっきり頬を叩いてみるが、やっぱり痛い。痛いだけで、この状況が変わるわけでもない。
「夢じゃない‥‥‥世界が崩壊したのは、ただの夢だったの? いや、それにしては私の精神年齢が釣り合わない気がする」
状況を整理しよう。
まず、私はルナシア・シャルティル。先ほど、聞いた「ピクニック」という単語。子どもの頃、たぶん五歳の時だが、両親と確かにピクニックに行った記憶がある。鮮明に覚えているのは、そこでの出来事が「ホロウ」の名を戴く所以になったからだ。
ホロウというのは、国が認めた優れた魔導士に与えられる称号で、世界共通らしい。当時の私はよく理解していなかったが、本来なら五歳の少女に与えられるようなものではないそうだ。異例中の異例であると、宮廷魔導士として働き始めてから同僚たちが口を揃えて言っていた。
部屋にあった鏡を見てみれば、やはり子ども時代の自分の姿が映し出された。
私の目は「虹の瞳」と呼ばれる珍しい色合いをしている。光の加減や見る人によって色合いが変わることから、そう呼ばれている。やっぱり、これは私なのだろう。ぴょんぴょん重力に逆らっている白い髪も見慣れたものだ。
『寝ぐせ直し』
試しに、当時は使えなかった魔法を使ってみる。呪文というのは本人が魔術構造を理解しやすくするために使用しているだけなので、慣れてくれば無詠唱でも問題ない。もちろん、かっこいい呪文を唱えて魔法を使う人たちもいるが、直感的な方が私には分かりやすいのだ。「もっと様になる詠唱を‥‥‥」なんて残念がられたこともあるが、私にそんなセンスはない。期待するだけ無駄である。
それはさておき、どうだろう。鏡の前で自分の姿を確認すれば、寝ぐせは綺麗に直り、髪のセッティングは完璧だ。昔から肩にかかるかかからないかの長さなので、どうしてもはねやすい。毎朝直しているのが面倒なので編み出したこの魔法。この時ばかりは、私天才かと自画自賛したものだ。
さて、これで少しは頭の中が整理できた。
どういうわけか、世界が崩壊する前に時間が巻き戻っているらしい。
もしくは私の魔法が見せた予知夢ということもあり得るが、釣り合わない精神年齢と、昔は扱うことのできなかったはずの魔法まで使えることから、前者の線が濃厚である。
まさか、本当に神様が私の願いを聞き届けてくれたのだろうか。
ともかく、このチャンスを逃すわけにはいかない。今度こそ、守らないといけない。世界を、そして大切な人たちを。
「とりあえず、現状を把握しないと。今日が本当にあの日なのか、あの時と同じ運命を辿っているのか」
急いで着替えを済ませ、下の階へ降りる。香ばしいパンの香りが、鼻孔をくすぐった。
「お父さん、お母さん……」
先にテーブルについて待っていたのは、少し若返った両親の姿だった。
生きている。二人とも、無事だ。魔王襲撃など知らない、穏やかな顔で笑っている。ふらふらと歩いて行った私は、両親に抱き着いた。温かい、生きている。確かにここにいる。
「どうしたの、まだ寝惚けてるのかしら?」
「朝食を食べれば目も覚めるさ。ほら、見てみろルナ。いい天気だろう、ピクニック日和だ」
父親は抱き着いてきた私を抱き上げ、窓の外を見せる。眩しい。なんだろう、涙腺が緩んできた気がする。
泣き出す前に床に降ろされた私は、促されるままに食卓につく。久しぶりの母の手料理。噛みしめるようにして、ひとつひとつ味わいながら、残さず食べた。そんな私を見た母が、驚いたように目を丸くする。
「あら、嫌いな野菜も食べれるようになったのねぇ」
「偉いぞ、ルナ!」
「う、うん」
普通にニンジンを食べただけなのだが、この頃の私は野菜全般が苦手なのだった。
幸い両親は喜んでいるだけだが、私というイレギュラーな存在がどう影響を与えるか分からない。行動には気をつけていこう。
怪しまれないように、幼い頃の自分を思い出しながら、今こそ情報を聞き出す時だと父親に話しかける。
「お父さん、私いくつになったんだっけ?」
「なんだ、この前五歳の誕生日を祝ったばかりだろう? 忘れたのか?」
「ううん、覚えてる! ケーキがたくさん食べられて嬉しかった!」
「まさか余裕でワンホール食べきるとは思わなかったけどなぁ‥‥‥」
うっ、私の食い意地はこの頃から張っていたんだな。でも、仕方がないと思う。あの頃はまだ知らなかったけど、潜在魔力量が多い者は魔力補充のために大食いが多いらしい。将来的に私の食欲は‥‥‥ワンホールなど生ぬるいとだけ言っておこう。
それはともかく、やはり私は五歳。そして、今日はあの日である可能性が高いことが分かった。
もしそうなら、やっぱり起こるのだろう。魔獣襲撃事件が。
母が準備してくれたサンドイッチをたくさんバスケットに詰め込み、私たちは町から少し離れた牧場へと足を運んでいた。
父がその牧場で雇われており、よく新鮮な牛乳や肉などをもらってきてくれる。昔からよく食べる私がお腹いっぱいまで食べられたのは、ここの牧場主さんのご厚意によるところが大きい。本当にありがとうございます。
今日は、そこの牧場に子牛が産まれたと聞き、行きたいと騒いだ私に見せてくれることになっていた。ついさっき子ども時代に戻ってきた私にとっては、そんな約束したっけか状態なのだが。
子牛を見せてもらったあと、近くの原っぱで昼食をとる。やっぱり二度目のことだからか、見覚えがあった。
もう会えないと思っていた両親と、こんなに気分がいい場所でご飯を食べる。これから起こることを忘れたわけではないが、幸せなひと時だった。
記憶の通りだとするならば、このピクニックの帰り道にある村が魔獣に襲撃される。
そこに偶然通りかかった私が、無我夢中で魔法を発動し、魔獣たちを倒したのだが……。
あの時は、もうすでに村が半壊しており、多くの村人たちが犠牲になった。
魔獣は、百年前から突如としてこの世界に現れた魔力でつくられた獣だ。
突然に空間が歪み、そこから突然現れる。私たちは、それを「魔界の門」と呼んでいる。
どういう原理なのかは不明だが、この世界を壊す、あの崩壊の日の前兆であることは間違いない。
「今日は楽しかったね。そろそろ帰ろう?」
あの時は村が半壊したが、少しでも早く駆けつけていれば被害は少なくて済んだかもしれない。
だから、今回は早く帰ろうと心に決めていた。
「もう?」
「うん、疲れちゃった」
まぁ、子どもだし無理もないかと両親は帰り支度を始める。ごめんね、中身は成人してるんだ。でも、身体は五歳だから、ちょっと疲れてるのは本当だよ。魔法を使う時は、体力がないのを考慮しないと危ないね。
帰り道、例の村に近づいたが、まだ騒ぎにはなっていないようだった。
立ち止まった私に、足が疲れたのかと両親が聞いてきたので、そうだと言ってその場に居座る。「魔界の門」が開く瞬間を逃さないようにしなくては。
それとも、まったく以前と同じというわけではないのだろうか。いつまで経っても変化がみられないので、そんなことを考え始めた時だった。
「ん? あれは……」
父が村の方を見て目を細める。
強い魔力反応。私もそちらに目をやる。間違いない、門が開く。
はじめは小さな黒い点のようなものが急激に膨張し、そこからイノシシ型の黒い魔獣が溢れ出す。
両親が止めるのも聞かずに、私はそちらに全力疾走した。
外にいた村人の中には、魔獣に気づいて悲鳴をあげる者もいた。
元からそれほど足が速いわけではないが、子どもの足、遅い!
若干魔法で補助しながら、魔獣の前に滑り込む。まだ誰も怪我してないね?
先手必勝、
『光よ、村の皆を守って!』
魔獣は光が弱点。当時の私はそんなこと考えずに適当に魔法を発動させてたけど、今回の私は一味違う。
光が魔獣たちを飲み込み、跡形もなく消し去っていく。
「これは……君はいったい……」
騒ぎを聞きつけて家から出てきた村人たちが、信じられないものを見るような目で私を見る。
これは、さすがに引かれたかもしれないな。かつて、お前こそ魔王なのではと言われた時期もある私だ。自分が化け物じみていることも分かっている。
だから、どう思われようと平気だ。どう思われようと、私がすることは変わらない。
「こんな子どもが、これほどの魔法を扱えるなんて……」
中身は子どもじゃないんですけどね。
呆然と立ち尽くす人たちの様子も、だいたいあの時と変わらない。
ただ、さっき気をつけないとと意気込んでいたのに、宮廷魔導士時代の気持ちで魔法を使ったのはまずかった。特に、光魔法は魔力の消費が激しいのだ。このうっかりはいつになっても直らない。
案の定、魔力を消費しすぎた私は倒れた。村の誰かが魔獣発生の報告のために騎士たちを呼んだらしい。そのまま私は騎士たちに運ばれたらしく、目が覚めたらお城にいました。念のためにとお城のお医者さんが診てくれたそうです。
両親には凄く心配されたけど、村の人たちは皆無事だったらしい。よかった、助けられた。
少しだけ変えられた運命に、世界を崩壊から救う希望を持てる。
そして、この魔獣事件がきっかけで、私は再び「ホロウ」の名を授けられることになる。