38 失踪2
私たちがファブラス伯爵家に帰ると、ホッとしたような表情で、お屋敷中の人たちが集まってきた。
急ぎだったので、お屋敷の中に直接魔法で転移してきたんだけど、そのことに突っ込んでくる人はいなかった。
「大まかなことは聞いたよ。詳細を教えて」
暗い顔をしながらも、お屋敷の人たちは知っている情報を教えてくれた。
でも、事前に聞いていたこととさほど変わらないことしか分からなかった。
それでも、皆同じように思っているのは、「あのご当主が簡単にやられるはずがない」という、確固たる信頼だった。
ひと通り話を聞き終わった後、溜まった仕事をどうにかしなくてはならないと、イディオと一緒に執務室へ向かった。
「……急ぎの仕事は、すべて終わらせてありますね」
机の上の書類に目を通したイディオが、ぽつりと呟く。整然と片付けられた部屋。いつものことではあるんだけど、その几帳面さが今回ばかりは、「こうなることが分かっていたのではないか」という不安に繋がってしまう。
魔物に関する研究を行っていたお養父様。魔人が現れ、戦いが激化する中で、いつ何が起きても大丈夫なように準備していたのではないか。残された私たちが困ることのないように。
それを裏付けるように、震える手でイディオが一枚の紙に目を落としている。
「これは……」
特に拒否されることもなく、イディオはその紙を私にも見せてくれた。そこに書かれていたことに驚愕する。
「イディオを、養子に?」
「少し前から、話は出ていたんですがね……まさか、こんなものまで準備していたなんて」
それは、ファブラス伯爵家の養子としてイディオを迎えるという、王家の印まで押された正式な文書だった。
「お嬢様が王妃様になられる可能性が高くなったこともあって、俺の方から提案したんです。元々、俺がご当主に引き取られてきた時は、魔導士としてではなく、養子として迎えられる予定でしたから」
しかし、引き取られた当時は心の準備ができておらず、養子ではなく魔導士としてこのお屋敷で働いていたのだという。
私の不安を取り除くために、安心してグランディール様の元へ行けるように、イディオがファブラス伯爵家の次期当主としての責務を引き受けてくれたということだ。
「それはいいんです、俺が望んだことですから。でも……こんなものだけ残して突然いなくなるって、それはあんまりでしょう……」
俯いて、イディオは肩を震わせている。
「イディオ……」
何と声をかけてよいか、分からなかった。
お父様の右腕でありながらも、心の奥底では父親として慕っていたのかもしれない。少なくとも、二人が培ってきた時間は決して軽いものではないはずだ。私だって不安だし悲しいけれど、イディオと比べられるものではない。
お養父様は生きている。そう信じてはいるものの、まるで自分がいなくなることを予期していたかのような用意周到さ、そして未だ姿を現さない現実。お養父様が自分からいなくなったという可能性も捨てきれない状況ではあるが、どうして? でも、魔人にやられてしまったと考えるよりは、そう思っておく方が何倍もいい。何か考えがあってのことなんだと、きっとそうだ。
重い沈黙を裂いたのは、いくらか気持ちを整理したイディオの冷静な声だった。
「お嬢様、情けない姿をお見せして申し訳ありません。養子の件を黙っていたことは謝罪しますが、臨時として、俺が当主代理を務めることを許していただけますか?」
覚悟を決めたような表情に、私は頷く。
「お屋敷の仕事のことは、イディオの方が詳しいと思うから、私からもお願いしたいよ。それに、イディオは私のお義兄様っていうことになるのかな?」
「あっ……書面上は、そうですかね? お嬢様が、俺の義妹に……いや! もうすぐこの国の王妃となられるお方ですので、今まで通りお嬢様と呼ばせていただければと」
「イディオは、私が義妹になるのは嫌だった?」
「とんでもない! ただ、今までの関係を崩したくもないので……それに心の準備が……。ともかく、お嬢様と兄妹になれたことは、心から喜ばしいですよ」
そこでようやく、イディオは笑った。少し元気になってよかったと安堵しながらも、ぽっかりと心に穴が空いたようだった。
どうして、こんな嬉しい日にここに居ないんですか、お養父様?




