31 魔界の門5
準備を整えて向かったレイ王国の端にある街。
そこで私たちを出迎えてくれたのは、魔獣や魔物を次々と吐き出す巨大な門だった。街に到着する前から、その存在は目視することができた。近づくにつれて、これからあの門を相手にしなければならない私たちには緊張感が走る。
「嘘だろ……あんな馬鹿デカい魔界の門なんて、聞いたことがないぞ」
一緒に先頭の方を魔法で飛んでいたイディオの顔がさっと青ざめる。他の魔導士や騎士たちも同じような反応だった。
空間を裂くように開いた魔界の門。縦横に何メートルあるのだろうというそれは、全貌を把握するのも難しかった。街全体を飲み込もうとでもしているのだろうか。
報告で事前に聞かされてはいたが、想像以上だ。私もしばらくは何も言えなかった。
街に一歩入ると、そこには本当に人が住んでいるのか疑ってしまう光景が広がっていた。
壊された家屋、物陰に身を潜め、手に武器を持った人々、至るところに見える魔獣や魔物たち……。
そして、魔物に寄生されたのか、虚な目をした人間たちがヨロヨロと歩き回っていた。
「魔物は生物に寄生するって聞いてましたけど、人間まで……」
隣でイディオが顔をしかめる。
私は以前の世界での記憶があるが、魔物に寄生された人間を初見で見た時は大きなショックを受けたことを覚えている。
後ろを振り返れば、みんな何も言えずにその光景を凝視していた。
その時、悲鳴にも似た声が響く。
「殿下!!」
その声の方を見れば、一人の男性が魔物たちに襲い掛かられている姿があった。男性は対処しようと魔法を展開しているが、数が多すぎる。いくつもの黒いぶよぶよした塊が、男性目がけて飛びかかっていた。
「伏せてください!!」
咄嗟に光魔法を形成し、男性が応じてくれたのを確認してから放つ。
ジュッ、と魔物たちは光に飲まれて消えていった。
地面に倒れ込んだ男性に、何人かの兵士らしき男たちが駆け寄っていく。殿下、ということは彼がラディウス陛下のお兄さんだろうか。
「君は、一体……」
状況を飲み込めない顔をしている殿下と目が合った。
黒髪であること以外はラディウス陛下と本当にそっくりだ。でも、双子のはずなのにレイディアント殿下の方が明らかに年上に見える。本来、魔力量が多い人間はゆっくりとしたペースで成長するものだ。ホロウともなれば尚更。
魔力をあまり持たないはずのラディウス陛下より、ホロウであるはずのレイディアント殿下の方が老いるペースが早いということ。余程の無理をしなければ、そんなことは起こらない。
大魔導士ヴァン様は、魔獣の問題で苦労しなければ今でも御存命だっただろうと言われている。レイディアント殿下も、つまりはそういうことだ。
「申し遅れました。私は、エルメラド王国のルナシア・ホロウ・ファブラスと申します。ラディウス陛下の許可を得て、応援に参りました」
周囲にいた兵士たちも、私たちがラディウス陛下から遣わされた援軍だということを聞くと警戒を解いた。一緒にレイ王国の有志たちも来ているので、すぐに信用してもらえたのだろう。
尻餅をついた殿下は、差し出した私の手を掴んで立ち上がる。
「助かるよ。ラディも凄い人をよこしてくれたね。僕以外にもホロウがいるっていうのは風の噂で聞いたことがあったけど、君みたいに若い女の子だとは知らなかった」
知名度から考えて、殿下が聞いたのは私ではなくヴァン様のことかもしれない。しかし、彼は私がホロウの称号を戴いた翌年に亡くなっている。殿下は、一体どれくらい現状をご存知なのだろうか。
長い間、この巨大な魔界の門と魔物に寄生された国民たちを相手にしてきたのだ。他のことに気を回す余裕はなかっただろう。無理に笑顔を作ろうとしているが、疲れの色がまったく隠せていない。
「同じホロウとして聞きたいことがたくさんあるのですが、今はこの門を何とかしないと」
説明したいことも、聞きたいこともたくさんあるが、優先順位としては目の前にあるこの門を閉じることが先だ。
「魔界の門は私がどうにか閉じてみます。レイ王国の人たちのことは殿下にお願いできますか?」
やったことはあるが、私も魔物に寄生された人間から魔物だけを引き剥がすことに慣れているわけではない。一歩間違えれば、人間側にも大きなダメージを残してしまうだろう。
一人二人ならまだしも、これだけの人数がいるとなると素人が迂闊に手を出せるものではなかった。
それならば、これまで魔物に寄生された国民たちを抑えていた殿下に彼らのことを任せる方がよいだろう。
「もちろん。魔界の門から吐き出される魔獣を気にしなくていいのなら、随分と楽なもんさ」
今まで十年近く、この巨大な魔界の門と、魔物に寄生された国民たちを同時に相手してきたのだ。楽になったのスケールが違うが、その言葉に嘘偽りはないのだろう。
体勢を立て直したレイディアント殿下は、寄生された国民たちに意識を集中する。
すぐに殿下から眩い光の糸のようなものが紡ぎ出され、魔物に侵食された国民たちに伸びていく。
無詠唱でこれだけの光魔法を使うところを見せられ、驚きでしばらく見入ってしまった。
一度にこれほどの人数を相手に光魔法を行使する、しかも繊細なコントロールが必要な作業をするというのは、よほどの腕を持っていなければ難しい。
殿下の過ごしてきたこの十年が、彼をここまで成長させたのだろう。
思わずその姿に見入ってしまっていたが、自分のやるべきことを思い出す。
この巨大な魔界の門を閉じる。
この規模の門を閉じたことはないが、大丈夫。私は独りじゃない。
一度目を閉じて、深呼吸する。
それから意識を両手に集中させ、光の魔力を集め始めた。




