31 魔界の門3
「グランから聞いたよ。君もあの日のことを覚えていたんだってな」
グランディール様との一件があった翌日、話を聞いたであろうリトランデ様がやってきた。
事前にグランディール様から、リトランデ様やエルたちにも以前の世界の記憶があるのだと教えてもらっていたので、驚くことはなかった。まぁ、最初にそれを聞かされた時は驚いたけどね。
「はい、黙っていて申し訳ありませんでした。話しても信じてもらえるか分からなかったので……」
「それは俺たちも同じさ。余計な混乱を招かないためにも、無闇に話を広げない方が賢明だろう。まだ、本当に同じことが繰り返されるのかも分からないし」
そう口にしつつも、淡い希望であると分かっているのだろう。リトランデ様の表情は硬かった。
「また魔王が現れる可能性が高いのは否定できないけどな」
「以前とは異なる結果になった出来事もありますが、概ね同じような運命を辿っていますからね」
「でも、今回は準備する時間もあるし、一度経験しているのも大きい」
その言葉には同意する。以前と異なる運命を辿った出来事は、以前の世界での記憶があったから変化させることができたのだ。
これから先の未来、何が起こるのか知っている私たちにはそれを対処する責任がある。なぜ一度は終わったはずの私たちの時間が巻き戻り、再びチャンスが与えられたのかは分からない。
だが、理由が重要なのではない。二度目だからこそ、あの日の運命を変えられるのではないかという希望がある。それだけあれば十分だ。
「来たる日のために、俺は宮廷騎士団を強くしようと躍起になっていた。俺だけでどうにかしようなんて無理があったわけだけど。手が回らなくなっていたところを兄上に見抜かれて、今では力をお借りしているんだ」
「レイリオ様に?」
「ああ。兄上に以前の記憶はないんだが、俺の話を信じてくれた。やっぱり、兄上は兄上だ」
どこか嬉しそうに、リトランデ様は言った。
記憶がなくても、これから魔王が現れるという話を信じてくれる人がいるなんて。それだけ、リトランデ様が信用されてるってことなんだろう。
騎士団に対して強い影響力をもつ、ガザーク伯爵家の現当主であるレイリオ様。その力を借りることができれば、とても心強い。
私が知らないところで、魔王を倒すために動いている人たちはたくさんいたんだな。
「ルナシア、君もまた独りで抱え込もうとしていたんだろう? 俺たちもいるんだ、そう重く捉えなくていい。グランもそう言っていたはずだ」
その言葉に頷く。「独りで抱え込まないように」と言ってもらったことで、私の心はすっと軽くなった。
今までは、魔王が現れることを知っているのは私だけだから、私が何とかしなくてはと焦っていた。
でも、あの日のことを覚えているのが私だけではなかったと知って、焦りや不安が分散したのは確かだ。
大切な人たちに傷ついて欲しくないというのは本心だが、かつての私は魔王に敵わなかった。今回だって、私だけの力で解決できるか分からない。
しかし、魔王再来に向けて準備していたのは私だけではなかった。力を合わせれば、魔王を倒せる可能性もぐっと高まる。
一方的に守ろうとするのではなく、皆の力を信頼して任せること。それが必要だったのだと気付いた。
グランディール様がそうしてくれたように。
「なぁ、ルナシア。君は魔王を倒した後の世界のことは考えてるか?」
「魔王を倒した後、ですか?」
「俺はグランの側近として、エルメラド王国を支えるあいつを支えていく。君はどうするんだ?」
世界崩壊の日の先、まだ見たことのない未来。私は、何をしているんだろう。何をしたいんだろう。
「私は……私も、エルメラド王国を支えていきたいと考えています、宮廷魔導士として」
「他には?」
「他に、ですか?」
「ほら、今の君はグランの婚約者候補だろう? 婚約者になったからって、宮廷魔導士になることを諦めろって言うやつじゃないだろうし、そこは心配いらないと思うけど」
私はかつて宮廷魔導士として働いていた。今回も、それは変わらないだろうと思っている。
でも、前回とは違うこともある。私はグランディール様の婚約者候補になった。それは以前の世界では起こらなかった出来事だ。
今はファブラス伯爵家で暮らしているけど、以前は一般市民だったし、王族であるグランディール様の婚約者候補とは無縁の立場にあったから。
「グランが君を婚約者候補に迎え入れたのは、すごく悩んだ末の結論なんだ。以前の世界のことを覚えているはずのアミリアも、君が候補になることを後押しした。流石に君も分かるだろう?」
それは、私以外にも以前の記憶を持っている人たちがいると知った時に考えたことだ。
グランディール様が私を婚約者候補に選んでくれたのは、ホロウの力が必要だからという理由ではなかった。ただホロウの力が必要なだけであれば、私が宮廷魔導士になって魔王と戦うことを知っていたわけだから。わざわざ候補にする必要がない。
アミリア様も、このままいけば自分が正式な婚約者になると分かっていたはずだ。それなのに、私を新たに婚約者候補として加えるよう勧めたのはどうしてなのだろう。
私は、グランディール様の婚約者になることを望まれているのではないか。そういうことで、いいのだろうか。
「今度こそ運命に打ち勝つことができたなら、その時は……その時までグランディール様のお気持ちが変わらないのであれば、お応えできればと思います」
「君自身は、あいつのことどう思ってるんだ?」
私自身の気持ち……私は、グランディール様のことをどう思っているのだろう。
出会いは、私がヴァン様からホロウの称号を戴いたあの日。その時からグランディール様には記憶が戻っていたそうだ。
闘技大会の時、プレゼントとして頂いたエメラルドの宝石がはめ込まれたペンダント。今でも、服の下に忍ばせてお守りとして持ち歩いている。
学園に入学してから度々顔を合わせる中で、この方を支えたいという思いが強くなった。
そして、今。以前の世界で魔王を倒すことができず、敗れた私の最期まで傍にいてくれた人だと知った。
事あるごとに私を気遣ってくれて、それでいて私の意思も尊重してくれる。
私にとって、グランディール様は……何だろう、顔が熱い。
「ごめん、困らせるつもりはなかったんだ。その反応を見れれば十分だから」
どう答えようか思案していると、リトランデ様がそれを遮った。
「あいつは俺の親友だからさ、幸せになって欲しいんだ。ルナシア、君にも。だから、お互いの気持ちをきちんと確認しておきたくて。お節介だとは思うけど、後悔はしたくなくてさ」
昔からそうだ。リトランデ様は、グランディール様や、その周りにいる人たちのことをとても気にかけてくれる。以前の私も、彼のその性質に何度も助けられた。
「ありがとうございます。リトランデ様のような友人をもてて、私はとても幸せ者ですね」
「そう言ってもらえると、俺も嬉しいよ。よき友人……俺たちは、それでいいんだよな」
話が終わり、私たちはそれぞれ仕事に戻る。魔界の門の問題は、まだ何も解決していないのだ。
「ルナシア!」
去り際、リトランデ様に突然呼び止められる。
「どうしました?」
「‥‥‥いや、何でもない。言おうとしたこと忘れちまった」
「そう、ですか。思い出したらいつでも言ってくださいね」
「――」
微かにリトランデ様の唇が動く。何を言っているかは聞き取れなかった。そもそも、私に伝える気のない独り言だったのかもしれない。
でも、その少し寂しそうな表情が妙に頭に残るのだった。




