聖女様は覚悟をきめる
十一月に入り、天気の周期変化がかなり短くなってきた。こよみは秋だが、関東人としての杏たちの体感は完全に冬である。休みの日に標高の高いところにドライブに行くと、小雪が舞うことがある。電話で父とそんな会話をしていたら、車のことで父に言われた。
「杏の車だけどな、冷却液交換したほうがいいぞ」
「そうなの?」
「車の冷却液は、零度でも凍結しないようにエチレングリコールが混ぜてある。だけどそっちは冷えるから、関東用の濃度だと危ないと思うぞ。ついでにスタッドレスタイヤもまだ大丈夫かみてもらいなさい」
「スタッドレスは、五月に夏タイヤ買ったとき、タイヤ屋さんに預かってもらってる」
「じゃあ、それはそこでいいか」
杏はタイヤ屋さんと整備をお願いしているショップに電話した。
その他父の勧めでプラスチック製の除雪スコップ、車についた雪を落とすブラシなど、冬用装備を買い込む。北国に住んでいることが実感され、面倒なはずの冬支度も楽しい。
修二が東海村での実験結果について打開策を持ってきたのは、冬の訪れを待ちながらも天気がよく暖かい日だった。中性子散乱実験のデータは、杏のログイン中だけおかしくなる。だから、杏のログイン中のデータを排除すれば良いという話だ。そうは言ってもいろいろと問題があり、腹も立つ。
まず第一に、先刻の修二の態度だ。いつもの修二は限りなく優しい。その修二が聖女効果が実証されたと興奮していた。物理屋としての自分でもっとも痛い部分を、もっとも触れてほしくない修二に触れてしまわれた。かと言って修二と離れたくないのも事実だから、うまく行っていなかった実験に光が見えてきて、修二は興奮してしまったのだろうと思うことにする。
つぎに各方面にどう説明するかである。SHELのシステムの人々には、修二は実験上の失敗とおしきったらしいが、同じ論法が新発田教授に通用すると思えない。通用しなければ必然的に池田教授にも伝わり、杏は激怒されるにちがいない。
最後に神様である。この世に神様がいるかいないか杏にはわからない。しかし明が提案した聖女項といい、修二が実在を証明した聖女効果といい、神様は自分に厳しすぎるのではないか? そもそも杏は物理を志す学徒である。こんな超能力と言うか、オカルトチックと言うか、そんな能力を自分に付与するとは、神様は何を考えているのだろう?
今まで何回も聖女効果に心を打ち砕かれてきた杏であるが、今回ばかりは立腹が勝った。これをきっかけに修二との関係にひびが入ってしまったら、どう責任をとってくれるのだ?
とりあえずの問題は、教授たちにどう伝えるかだ。さっきはきれいな実験結果だけが残ったグラフをひっつかんで修二を置いてきてしまったが、やっぱり修二に相談するしか無いだろう。廊下を引き返し、榊原研へ向かう。修二は幸い、まだゼミ室にいた。
「修二くん、さっきはごめん。感情的になっちゃった」
「いや、僕も強引だったかな」
「で、先生たちにどう伝えようか?」
「うん、まずは緒方さんにも相談した方がよくないかな?」
「わかった」
早速スマホを出してのぞみに電話しようとする杏を、修二は止めた。
「神崎さん、ここじゃないほうがいいんじゃないかな」
「そっか」
修二の言うのは、ここ榊原研のゼミ室で話をすると、教授たちに状況を説明する前に内容が伝わってしまうのではないかということだ。
「昼食を、学外でとりながら、とかはどうかな」
修二の提案に、杏は一も二もなくのった。あらためてのぞみに連絡する。
「あ、のぞみ、中性子の実験なんだけどわかったことがあってね。お昼、外で食べながら話さない?」
「そうなの? だったらすぐ聞きたい。今どこ?」
「榊原研のゼミ室だけど、ここではちょっと。外がいい」
「ははぁ、なんか怪しい話ね」
「うん、ちょっとね」
「いいや、私今日の午前の作業、全部キャンセルする」
「いいの?」
「大丈夫。それより修二くんはどうなの?」
杏はスマホから耳を外して修二に聞く。
「のぞみ、すぐ聞きたいから午前の作業キャンセルするって」
「僕もそれでいいよ」
杏は再びスマホでのぞみに話す。
「それじゃさ、とりあえずすぐに理学部棟玄関集合ということで」
修二の目を見ながらのぞみに言うと、修二はうなづいてくれた。
杏は一旦池田研に帰り、教授にちょっと外出すると伝える。教授はちょっと意外そうな顔をしたが、許可をくれた。上着をもって階段を降りる。
修二はすでに待っていたが、手に持ったカバンには一通りの資料が入っているのだろう。
「おまたせ」
と言ったが、修二は、
「大丈夫だよ」
と返ってきた。杏は、
「で、どう伝えようか?」
と相談する。実のところ、池田教授も怖いが、のぞみも怖い。
「だったら、僕から説明しようか?」
「う〜ん」
杏としては修二の優しさに甘えたいところである。しかし、自分の行動が実験全体をダメにしかねなかったわけで、下手な言い訳をするとのぞみに絶交されかねない。
「やっぱり、自分で言う。正直に」
「そう、任せる」
「ありがと」
しばらくしたらのぞみが来た。なぜか明もいる。いつもならば杏が咎めるところであるが、今日は分が悪い。だまっていると修二が、
「なんでお前いるんだ?」
と言ってくれた。明は、
「聖女様がらみだろう、絶対面白いと思って」
バラしたのはのぞみに違いないのだが、このあと控えていることを考えるとのぞみを咎めることも憚られた。とにかくのぞみに現状を正直に伝えなければならない。覚悟を決めた。




