聖女様は方程式に影響を与える
キャンプから帰って、再び中性子のデータとの戦いが始まった。ノイズ除去の方法を色々と試しきれいなグラフができないか試す。または自分の提案するモデルのパラメータを操作して、実験結果が再現できないか試したりする。
データは中性子のものだけではない。比熱、電気抵抗、帯磁率など、札幌国立大内にある測定器で測定できるものは、着々とデータが増えてきている。その測定で、修二とのぞみは猛烈に忙しい。サンプル自体七つもあるし、それぞれの測定もゼロ磁場もあれば磁場下での測定もある。のぞみの作った試料は単結晶だから、磁場の方向もいろいろと変化させたい。そうすると測定する回数はとんでもないことになる。修二によれば、帯磁率の測定は機械任せで楽だが、比熱の測定が大変らしい。ていねいに測定すると、二晩かかるそうだ。
修二は測定ができるごとに、最新のデータを杏に送ってくれる。
杏のモデルでは、パラメータを上手にとれば、比熱も電気抵抗も帯磁率も納得できる範囲に納まる。中性子のデータだけ、うまくいかないのだ。中性子がだめなら、他のミクロ的測定にたよらなければならない。
そうは言っても、中性子のデータを無視する訳にはいかない。東海村でお世話になった人々へ申し訳が立たないし、そもそも科学者としての良心がそれを許さない。都合の悪いデータを無視するのは、科学的手法として間違っている。
ストレスは溜まる一方だった。
キャンプは終わったのだが、現在も札幌で行われている実験のデータや今後の計画の打ち合わせのため、昼食も夕食も修二やのぞみと食べるようにしていた。もちろんオフィシャルな池田研・榊原研・網浜研合同の打ち合わせはあるものの、各教授は忙しいので頻度は小さいし、院生としては思いつきをぱっと言うのがはばかられる。ざっくばらんな意見交換は、院生同士で話したほうが早い。
今日の昼食も打ち合わせを兼ねていた。ただ、のぞみが来れば明も来る。明の脳天気な発言はのぞみの精神衛生には良いが、修二を呆れさせ、杏をイライラさせることが多い。今日も絶好調で宇宙の加速膨張の話をしている。
「明くん、私は今、超伝導の実験で悩んでんの。宇宙の話は関係ないの」
「それはそうだけどさぁ、俺はアインシュタイン方程式の宇宙項で、悩んでんだよう。現状では観測からの必要性である項だけど、なにかもっと、根源的な理由があるんじゃないかと考えているんだ」
アインシュタイン方程式は、もちろんアインシュタインが導入したものだ。一般相対性理論から導かれる。物質があるとき、その物質の周囲の時空の曲がり具合を示す方程式である。杏は専門外だから、さっぱりわからない。
「じゃあさ、私が宇宙に行ったら、聖女効果で宇宙項が変わっちゃうかもね」
そう毒づいてみた。気楽な明は、
「だったらさ、聖女様、今度は宇宙飛行士に挑戦だ!」
などと言う。宇宙飛行士にはなりたくない。物理学者になりたいので、
「夢でなら、もう宇宙に行ってるけどね」
と、お茶を濁した。
その日も実験のグラフが遠方の銀河を捉える夢をみた。
翌日の昼食も明たちと一緒である。
「昨日も夢で、宇宙に行ったよ」
と、気軽に明に告げた。
明は興味津々という感じで、詳細を聞いてきた。
「だからさ、深夜までデータを検討するでしょ。煮詰まるでしょ。頭きて宇宙の膨張なんて止まってしまえと思うと、これまたすぐ寝れるのよ。で、夢の中で実験のグラフを宇宙を飛んでいってね、遠くの銀河を捕まえるのよ」
今日はたまたま真美もその場にいて、
「なにそれ!」
と言って、のぞみと一緒にバカウケしている。
なんかムカついた。
研究室に帰ってゼミ室でコーヒーを飲んでいると、カサドンがやってきた。
「聖女様、先程の夢の話ですが、具体的に、いつ、見たんですか?」
「なによ、それがどうかしたの?」
「真美先輩がですね、その夢の日時を精査すると、実験がうまくいかなかったときとの相関があるかもしれないと言ってですね」
「なにお~!」
「まぁまぁ、僕のためと思って、教えてくださいよぉ」
何故かカサドンに甘い杏は、細かく教えてしまった。
数日後の金曜日、M1中心で行っている超伝導のゼミが終わる頃、明が池田研ゼミ室にやってきた。
「よかった、みんないるいる。俺さ、重大な発見をしたっぽいんだよ。ちょっと聞いてくれないかな」
明はそう言って、用意してきたプリントをその場にいるメンバーに配った。
「実はね、宇宙天体望遠鏡が最近、遠方の銀河を赤外線観測しててね、その生データを入手することができたんだよ」
「よくできたね」
修二が感心するが、明は
「うん、方方メールしまくった。でね、その赤方偏移のデータがおかしいって、むこうが騒ぎになってたんだよ」
ドップラー効果は光にも存在し、近づく天体の光は青っぽくなり、遠ざかる天体の光は赤っぽくなる。宇宙は膨張しているため、遠方の銀河はみな赤っぽくなってしまっている。その光の赤っぽくなり具合で、その銀河までの距離が測定できる。そのデータがおかしいという話だ。
「でね、そのデータがおかしくなるのが、日本時間で午前三時から五時位に集中しているらしいんだよ」
明が説明していたが、杏は変なことに気づいた。
「このプリントだと、たしかに大体そうだけど、異常が無い日もあるよね。あと、異常の出る時間帯も、ちょっとばらつきがあるように見えるんだけど」
明は、
「うん、その事自体が重要なんだよ。カサドンに収集してもらったデータによると、まず、この日、異常のない日、キャンプ行った日だね」
「じゃあこっちは?」
「女子会の日」
「時間との相関は?」
「うん、こっちの資料を見てくれ。右側の列が聖女様の就寝時刻、左側の列が赤方偏移の観測データが以上を示す時刻」
だいたい杏の就寝時刻の五分ないし十五分後にデータが異常を示している。
「聖女様の就寝時刻は記憶に頼っているため、誤差が大きいと考えられるよね。だから、聖女様が普通に深夜まで勉強して寝ると、赤方偏移に異常がでるんだ」
「なによ、私が銀河を止めちゃう夢をみると、赤方偏移がおかしくなるって言いたいの?」
「うん、そのとおり。だからアインシュタイン方程式に新たに時間の関数として聖女項を付け加えることを、ここに提案したい。イテッ」
修二がプリントの束で明の頭をひっぱたき、のぞみが向こう脛を蹴っ飛ばした。
「とにかく私は、こんなこと認めないからね!」
杏はそういい置いて、ゼミ室をあとにした。
あとから聞いた話によると、明は修二とのぞみに相当締められたらしい。そのためか親衛隊SNSにも、聖女項についての記述がのることはなかった。




