聖女様は無理をする
修二が返ってきた翌日から、東海村で修二がとってきたデータの検討が始まった。朝の十時半、榊原研のゼミ室に、榊原教授、網浜教授、池田教授、修二、のぞみ、そして杏が集まり、杏がプリントアウトしたグラフを見ながら討論する。どの顔も暗い。ノイズが多すぎるからである。
網浜教授が質問する。
「榊原先生、このノイズだけど、これは正常ですか」
「いえ、異常です」
「他の研究者の実験で、このようなノイズは乗りましたか」
「いえ、これだけです」
「冷凍機の異常は考えられますか?」
「同じ冷凍機を使いまわした他のスキャンでは異常は出ていないです」
ここまで来ると、さすがの杏も、これこそが聖女効果なのではないかと思い始めた。杏がログインしていたのはごく短時間だから、それは影響を与えていないはずだ。だとすると、自分が研究にタッチしている事自体がいけないのかと思えてくる。
そうかといって、杏も科学者の端くれ、聖女効果などというわけのわからないものを認めるわけにはいかない。
杏は何も発言することができず、今日の検討会は解散になった。
杏の様子を心配してか、別れ際にのぞみが言った。
「お昼、一緒に食べよ」
気楽な仲間と一緒に食べようということだろう。杏は承諾した。
杏が昼食に行こうかと考え始めた頃、居室にのぞみがやってきた。修二に明、真美もいる。
「カサドンも一緒に行こうよ」
のぞみが気楽にさそう。
「はーい、行きます!」
真美がいるのだから、カサドンが断るわけがない。要するにキャンプメンバーで気楽な話をさせてやろうというのぞみの気遣いだろう。
今日の日替わりランチは、ミックスグリルで、カニコロッケもついていた。昨日のカニコロッケを思い出し、杏の心はちょっと暖かくなる。
話題はやっぱりキャンプの話だ。
「僕、M31がみたいです」
カサドンが言う。M31とは別名アンドロメダ銀河とも言って、我々がすむ太陽系が属する銀河系のとなりの銀河だ。光の速さで二百万年くらいの距離にある。
「M31、いいね。でもね、カサドン、M31は局所銀河団と言って、銀河系と一緒のグループにいるんだ、遠方の銀河団は……」
明は話が自分の宇宙論に近づいたのが嬉しいらしく、そのあとは明による宇宙論の話になった。まあいつもは、杏が超伝導の話をしまくるので、ここがチャンスということだろう。
話はやがてアインシュタイン方程式のことになり、宇宙の加速膨張のことになった。観測によれば宇宙はどんどんと大きくなりつつあり、アインシュタイン方程式の基づく理論では、宇宙には謎のエネルギー「ダークエネルギー」というものがあるらしい。
明のこういう話は、実験結果が思わしくない杏の心を穏やかにしてくれるようだった。
その夜、杏は自宅のパソコンを前に、実験結果の再検討をしていた。杏は理論であるから、今回の実験以外の研究もそれなりにあるし、院生だから基礎の勉強もある。明らかに実験のデータの処理は生易しいものには見えなかったので、昼間は本業の理論の研究を優先していたのだ。
だが、今、家である。何を研究しようが自由だから、実験の結果の再検討をしていたのだ。揚げ餅をかじり、バナナオーレを飲む。
気がついたら午前三時になっていた。明日は遅刻させてもらおう。
布団に入る。昼間、明が宇宙の加速膨張について、絶好調で語っていたのを思い出した。あのメンバーなら修二と主に語りたいのに、明が主役になってしまっていた。貴重な時間をとられ、ちょっと腹が立ってきて、宇宙の加速膨張なんて止まってしまえと念じて寝た。
夢を見た。暗黒の宇宙に、中性子実験で得たグラフが飛び交う。そのグラフが遠方の銀河を包み込み、杏の方へと引っ張ってくる。
目覚ましの音で、朝九時に目が覚める。眠い。支度してとにかく大学に出る。
大学で池田教授に遅刻をわび、その理由を話す。
「うん、がんばってるね。今日も早く帰りなさい」
いつも通りの仕事をし、夕食を学食で食べ、帰宅する。
帰宅すればやっぱり気になるので、中性子のデータを検討する。
今晩も三時になってしまった。
宇宙の加速膨張なんて止まってしまえと八つ当たりして寝る。
中性子のグラフが遠方の銀河を捉える夢をみる。
またも遅刻し、状況を池田教授に報告する。
そんなことをもう二日ほど繰り返したら、池田教授に、
「神崎さん、こんどみんなでキャンプ行くんだろう? こんなんじゃ行けなくなるぞ。早く帰って早く寝なさい」
と、本末転倒な心配をされた。キャンプは遊び、研究が本業なのだから。




