聖女様は出迎える
女子会翌朝は、普通のフレンチトーストになった。飲みすぎると運転に悪影響が心配されるため、杏は飲む量をひかえた。
フランスパンをフレンチトーストにして、のぞみが焼く。飲みすぎてはいなかったので今朝は美味しくいただくことができた。
のぞみと真美は各自の家に一旦向かい、身支度をして大学へ行く。杏は昼に修二が千歳に着くから、十時くらいに車で家を出る予定だ。杏は自宅のパソコンから、めぼしい話題がないか論文サイトをチェックする。
九時を過ぎたので、シャワーを浴びて身支度を始める。ひさしぶりに修二に会うのだ。なるべくきれいな自分を見てほしい。メイクをするか迷い、どうせ時間の無駄だと諦める。
家の外は曇で、今夜あたり雨が降りそうだ。車を出す。
フロントガラスから見える街の景色は寒々しく、北海道人にとっては秋なのだろうが関東人の杏には冬くらいに見える。除雪用のスコップを買ったり、灯油のタンクを買い足したり、冬支度をしないといけないなと思う。
高速に乗る。車も少なく快適だ。スピードを上げたくなるが、それで修二に早く会えるわけでもないのでがまんする。渋いグレーの国産セダンに追いついてしまったが、無理に追い抜く理由もないので後ろについて巡航する。
追い越し車線を猛スピードで走る車がいる。杏が「すごいな」と思っていると、前を走るセダンが追い越し車線に出、天井から赤いライトを光らせ始めた。
覆面パトカーである。
杏は交通違反などしていないのに、なぜか緊張してしまった。
空港の到着ロビーは、あまり人がいなかった。利用者の多くは圧倒的に観光客で、杏のように知り合いとか家族とかを出迎える人は少ないようだ。
十一時になっても、修二はまだ出てこない。案内板の表示は、修二の便が到着していることを示している。飛行機から降りること、預けた荷物を受け取ることにそれなりの時間がかかるのだろう。
不安な気持ちを抱えながら、どれだけまったかわからない。
しかし、自動ドアが開いて、修二が見えたときは思わず駆け寄ってしまった。
駆け寄ったものの胸に飛び込む勇気もなく、ただ、
「おかえりなさい」
とだけしか言えなかった。
「神崎さん、ただいま」
とだけ修二も返す。
修二は通学カバンでもあるリュック、キャスター付きの旅行鞄、お土産だろう紙袋を持っている。
「修二くん、荷物多いね。何か持つよ」
「いや、悪いよ」
「ううん、持たせて」
杏はやや強引に手を伸ばした。その手が旅行カバンを持つ修二の手にあたり、おもわず引っ込めてしまう。それでも何か手伝いたくて、
「お願い、何か持たせて」
と言ったら、「じゃあ」と言って片方の肩だけにかけていたリュックを手渡してきた。
受け取った杏は、右肩にリュックのストラップをかけて持つ。背中に温かみが伝わる。
帰りの車中での会話は、茨城の天候のこと、札幌の天候のこと、さっき見た覆面パトカーのことなど、あたりさわりのない会話で終止した。物理の話になると、杏の運転が危ないからである。
インターチェンジを降りたところで、杏は修二に言った。
「お昼、どっかで食べない?」
杏としては、最大の勇気を振り絞って言った。それに対する修二の反応は寂しかった。
「え、学食じゃなくて?」
「う、うん」
杏の気持ちはカサドンの言うところのx軸付近に停滞しそうになったが、必死に言葉を継いだ。
「あのね、久しぶりに、二人でゆっくりお話したくて」
修二はすぐには返事をしなかった。修二の表情を見たいが、運転中なのでそれもできない。
数秒しての修二の返事は、
「そういうことなら喜んで」
だった。
少し進むと、ちょっとお高めのファミリーレストランがあった。
「あそこでいいかな?」
と修二に聞くと、
「いいね、美味しいんじゃない」
との返事なので、駐車場に車を止める。
店に入るとそれなりに混んでいて、ちょっと待たないといけない。
待つ人用の椅子に並んで座る。修二の肩が触れる。渡されてメニューを見ながらも内心は、自分たちがカップルに見えるか、夫婦に見えるか、そんなことばかり杏は考えていた。
順番が来て、席に案内される。
広々とした席に修二と向かい合って座る。客観的には快適だが、先程の窮屈さが恋しい。
「なんにする?」
と修二に聞かれたので、
「これにしようかな」
と、小さなステーキにエビフライ、カニコロッケがついたセットを指さした。せっかくのお高い系ファミレス、美味しいのが食べたい。日頃は食べないが、エビフライが可愛く見えた。値段は普段の学食の四倍ほどである。
「じゃ、僕もそうしよ」
と言って、修二が注文した。
料理を待つ間、杏は修二不在中の大学の様子を語った。みんなのこと、自分のこと。授業のこと、研究室でのできごと。
料理が来た。杏はまずエビフライを口に運んだ。
「どう、美味しい?」
修二は杏が魚介類が得意でないことを知っている。
「うん、美味しい」
できたてのエビフライは、正直に美味しかった。修二は安心したように微笑んで、自分も食べ始めた。
「チェーン店だから、どこも同じ味なんだろうけど、美味しいね」
と修二が言う。杏は冷めないうちにとカニコロッケに手を出す。
「うん、美味しい」
つづけて修二は、下を向いて顔を赤らめ、
「料理の味は、一緒に食べる人に左右されるんじゃないかな?」
と言った。
その意味を杏はちょっと考えて、その後杏は味覚を失った。
修二がデザートを食べようと言う。杏は修二と一緒にいたいからもちろんOKするが、思考力が低下している杏は選択は修二にまかせる。修二はブルーベリーののったチーズケーキを選んだ。
甘いものというのは素晴らしいもので、どっかに飛んでいっていた杏の思考力をとりもどしてくれた。ケーキを食べ、コーヒーを飲んでいると修二がリュックからなにか小さな包を取り出した。
「神崎さん、お土産」
「あ、ありがとう。あけていい?」
「うん」
早速明けてみると、帝大グッズのイチョウマーク入りのハンカチである。イチョウのマークがかわいいが、紺色で引き締まったデザインである。
「よかったら、使ってよ」
「ありがとう。でももったいなくて、使えなさそう」
修二の笑みが大きくなった。リュックから今度はレジ袋を取り出した。
「そう言うかもしれないって思って、あと六つ買った。これなら毎日使えるでしょう?」
渡されたレジ袋内は確かに、同じデザインのハンカチが六つ入っている。
「イチョウって、漢字で書くと銀の杏って書くでしょ。だからこれしかないかなって思ってね」
ずっとずっと修二と一緒にいたかったが、心を鬼にして修二を自宅まで送り届け、自分も車を置き、大学には三時すぎに出た。
池田教授は杏の顔を見るなり「なんで来たの?」といった。カサドンはあきれたように、長い溜息をついた。四時すぎ真美が珍しく杏の居室に来て、
「ほんとだ、聖女様、居た」
とだけ言って、帰っていった。
学食で夕食を取って帰宅すると、家の前でのぞみと真美が待っていた。二日続けての女子会らしい。
深夜までのぞみに「あんたは大事なときに何をやっているんだ」と説教された。




