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聖女様は相転移する

 修二の実験中、杏も睡眠不足が続いてぼーっとしている時間が多く、その分修二のいないつらさに耐えることが出来た。修二は毎日昼に電話をくれ、実験の様子を教えてくれる。九月に一通り見学していたから、修二の説明が手に取るようにわかる。

 

 修二のいない杏の一日はこうである。

 まず、午前三時に起きて、東海村のデータを見る。ちょっとだけ見て、すぐ寝る。

 午前七時にはちゃんと起きて、朝食をとり、大学に向かう。

 午前八時ごろ大学着。その日の研究計画を練りつつ、東海村からのデータを待つ。

 だいたい九時か十時にはデータが来るので、それからは自分なりに解析する。それを持って、榊原教授、網浜教授、のぞみのところをまわる。見ているデータは同じだから、みな表情は暗い。

 睡眠不足なので、午前中はパフォーマンスが全く上がらない。

 昼は研究室のメンバーと学食へ行く。食べ終わるころ修二から電話が来る。ここで初めて本当に目が覚める。

 午後は東海村の実験とは関係ない仕事や勉強をする。

 夕食はなんとなく、のぞみ、真美、明、カサドンと摂る。集合に多少のバラツキはあるが、星見キャンプの打ち合わせと称しているのだが、修二ロスの杏を心配してか、単純に観察したくてか、集まってくる。

 夕食後はとっとと帰宅し、ちょっと飲んでなるべく早く寝る。

 

 今日の夕食では、のぞみは今回の実験の試料をつくったので、実験の様子が心配らしかった。

「なんか、うまくいかないね」

 杏としては、

「まあ、最初っからうまくなんていかないんでしょうね」

と返す。

「しかし、なんでうまくいかないんだろうなぁ」

と、のぞみはサンプルに愛着があるのだろう、納得が行かない様子である。

 真美はカサドンに聞く。

「聖女様の調子はどう?」

「そうですね、午前中は、グラフで例えると、x軸付近をさまよってますね」

 要するにやる気ゼロみたいな状態が、午前中続いていると言いたいのだ。

 なんちゅー例えだ、と杏は思う。だが事実ではある。

「これがですね、十二時半ごろ、一次相転移の比熱のごとく、発散します」

「なんで?」

「唐沢先輩から電話がくるからです」

「なるほど」

「その後しばらくはゆっくりとディケイします」

 ディケイとは、減少するということだ。

「午後三時ごろからは、指数関数的に減少し、x軸に漸近します」


 説明すると、午前中はほぼやる気ゼロで終止し、修二からの電話で気持ちが無限大に高揚する。その後高揚感はゆっくりと減っていくが、午後三時をすぎると一気に下がり、あとは午前中と同じ状態になってしまうということだ。相転移という用語は、中学で習う状態変化と同じ意味だ。

 なお、一次相転移とは、水が沸騰して水蒸気になるときのように、状態変化を起こしている最中は温度変化しないものだ。比熱とは、物体に熱をあたえたらどれだけ温度が上がるかを示す量だが、水が沸騰しているときは熱を与えても与えても温度があがらないため、比熱が無限大になってしまう。

 

「ということは私は、お昼に一次相転移して、午後三時頃に二次相転移して元にもどるということか。ふしぎな物質だね」

と、杏は余計なことを呟いてしまった。

「そんな物質あるの?」

 真美が聞いてくる。

「あるよ。超伝導転移は、ゼロ磁場なら二次転移だけど磁場中だと一次転移だよ」

「じゃあ、修二は磁場だな」

 明がむかつくことを言うので、杏はテーブルの下で明の足を蹴っ飛ばしておいた。

 

 腹がたってきたので、カサドンも攻撃する。

「カサドン、一般に強磁性も二次転移よね。ヒステリシスの話を含めて、そのへんのことをわかりやすく説明しなさい」

「え、マジですか。すぐには無理です」

「なによ、さっきあんな例えをしたくらいだから、学部三年レベルくらいの話ならできるでしょう。あんた理論研なのよ」

「聖女様、かんべんしてあげてよ」

 真美がカサドンをかばう。

「そりゃ真美ちゃんはカサドン、のぞみは明くんがすぐ近くにいていいよ。私は、私は」

 杏の八つ当たりは、急にピークに達した。のぞみが小さな声で言う。

「聖女様、落ち着いて、落ち着いて。親衛隊の人数、また増えちゃうよ」

 一気に冷静さをとりもどした。周りを見ると皆、杏が視線を送ると下をむいてしまう。またやってしまったらしい。それでもカサドンを許す気になれず、あくまで教育という名目で課題を出す。

「さっきのヒステリシスの話、明日までの宿題だからね」


 杏はその夜も明朝のログインのため九時すぎには就寝したのだが、夜遅くに親衛隊SNSに、

「聖女様相転移す!」

という投稿があった。もちろんフォロワー数は少しだけど増えていた。

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