聖女様は仲間の力を借りる
カステラを配って回った日の午後、杏は東海村の新発田教授の指摘、つまり実験スケジュールの予定について考えていた。新発田教授からは、修二に割り当てられた具体的なマシンタイム、実験一回あたりにかかる時間、予想されるトラブルについて聞いてきてはいた。しかし実際の実験経験がまるでない杏は、どこをどう余裕をもたせればいいのか見当もつかなかった。
夕刻家に帰ってからも考えてはみたが、いい考えが浮かばない。SNSに載る明のカステラ食レポを眺めながら、一人で考えてもダメなことにようやく気づいた。早速修二とのぞみに連絡する。明日、昼食を食べながら相談しようと。
翌日の昼食、杏は呼び出したのだからと、早めに学食で待機していた。重要な相談であるから、勝負のハンバーグカレーを久しぶりに取ってきた。SNSに着信があり、のぞみはちょっと遅れるので、先に食べていてほしいとのことだ。杏はさすがに一人では食べる気にならず、まだ待つ。
二、三分もしただろうか。修二となぜか明もやって来た。二人ともハンバーグカレーである。
「聖女様、おまたせ」
明は呑気に挨拶してくる。
「明くん、あんたなんでハンバーグカレーなの?」
「聖女様との会食は、ハンバーグカレーに決まっているでしょ。なんなら飲み物、バナナオーレ買ってくる?」
「あんたねぇ、私達三人がハンバーグカレーで、のぞみだけちがうメニューだったらどうするの?」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、のぞみんもどうせハンバーグカレーだよ」
「修二くん、どう思う?」
「僕はハンバーグカレー一択だけど、緒方さんはどうかな?」
こいつらは、ダメだ。のぞみの気持ちなんかわからない。
仕方がないので、杏は言ってみた。
「のぞみ、ちょっと遅れるって。先食べてていいって」
「いや、俺は待つ」
明は男らしく言った。
「明くん、いいとこあるんだね」
「いや、先食べて怒られたら、超こわい」
わかる。
というわけでハンバーグカレーは冷めてしまうが、のぞみを待つことになった。
少しして、のぞみがやって来た。ハンバーグカレーであった。明が勝ち誇ったように、
「ほらね」
と言う。
「みんな食べててよかったのに」
そう言いながら、のぞみが着席した。
「で、何?」
杏は、カレーに手を付けながら説明を始めた。
「今度の中性子の実験ね、新発田先生から言われたんだけど、もう少し余裕をもたせた方がいいって」
のぞみは、
「そう、そうだったね」
と同調してくれた。修二は、
「具体的に、どういうことかな?」
と聞いてくる。
「あのね、ビームラインが止まるとか、冷凍機の不調とか、そういうことがあるかもしれないって」
「なるほど」
修二は腕を組んで考え始めた。明が言う。
「実験計画って、どうなってるの?」
杏はちょうど持っていた、実験計画のメモ書きを明に渡した。
しばらくそれをみていた明が口を開いた。
「これさ、c軸の格子定数が11.3オングストロームから11.9オングストロームのサンプルを測定するんでしょ? 11.3オングストロームから測るんじゃなくて、11.5、11.4、11,6、11.3、11.7、11.2、11.9の順に測定すればいいんじゃない?」
c軸の格子定数とは、結晶構造のある方向の原子間の距離である。のぞみの作ったサンプルは、11.5オングストロームを中心として、c軸方向に伸ばしたり縮めたりしている。そのときの電子状態の変化を見る実験なのだ。だからまず基準となる11.5オングストロームのサンプルを測定し、それから明の言う順番で測定すれば、トラブルで全部のサンプルが測定できなかったとしても、測定範囲の端が切れるだけで被害は少ない。
杏はまじまじと明をみてしまった。多分口は開いていただろう。
「俺、なんかマズいこと言った?」
のぞみが言った。
「明くん、それいい! 天才だわ!」
杏も同感である。
「そう? 専門外だから、自信なかった」
「じゃ、このあと榊原先生のところに行こうか?」
修二が提案する。すると明は、
「ああ、がんばってね」
などと言う。のぞみは、
「明くんも行くんだよ」
と言った。
「なんで?」
「明くんも、サンプル作るの手伝ってくれたでしょ。榊原先生に会っとけば、論文に名前入れてもらえるかもよ」
「お、ラッキー!」
そういうわけで四人で榊原教授のところに行き、明の提案は採用された。
榊原研を出て、のぞみと修二は一階の実験室へ、明と杏は三階のそれぞれの居室へ向かう。
杏が階段を明と上っていると、明が小声で話しかけてきた。
「聖女様、ちょっと相談があるんだけど」
「何?」
「ここだとまずいから、夕食後でもちょっと会ってくれないかな?」
「私、のぞみを裏切ることはしないよ」
「俺だってしないよ。だから、お願い」
「じゃ、夕食後、駅近のカフェで」




