聖女様は北海道に帰る
伊達研を訪れたあと、杏とのぞみは扶桑女子大の売店に行った。札幌国立大のみんなへのお土産を買うためだ。女子大カステラである。東海村でも、結構好評であった。各研究室と物理事務室に買うので、飛行機に載せられる量ではない。仕方ないので池田研究室宛で、配送を頼んだ。
翌日は、川崎滞在の最終日、杏とのぞみはそれぞれ実家でのんびりすることにしていた。
が、嘘である。
杏は今回の川崎・東海村の滞在中、気になっていたことがあった。修二へのお土産である。扶桑女子大の売店で、女子大オリジナルのクマのぬいぐるみを見て、修二へに渡したくなっていたのである。白いクマのぬいぐるみだ。こんな女の子らしいお土産は、修二がよろこんでくれるかわからない。でも修二は、小鳥とかっぱのぬいぐるみを買ってくれた。自分も何か修二だけに買いたいと考えた。だけどなにも思いつかず、ならば自分がもらって嬉しいものと考えた。現段階思いつくのはぬいぐるみだけだった。
しかもである。女子大のぬいぐるみはTシャツを着ていて、そのTシャツの色が青、赤、ピンク、緑の四色展開だ。青を修二に渡して、ピンクを自分用にすれば最高ではないか。いや、ちがう。青は修二だから自分が持ち、ピンクは自分の分身として修二のところにやる。
こう考えたら居ても立っても居られず、扶桑女子大の売店にやってきた。人目につかないよう、すばやくぬいぐるみを手に取り、レジへ向かう。
向かおうとして振り返ったら、そこにのぞみがいた。目があった。一番会いたくないやつにあってしまった。顔が真っ赤になるのが自分でもわかる。
とりあえず、挨拶だけしとく。
「あ、あら、こんにちは。ちょっと買い忘れたものがあって」
自分でも挙動不審になっているのがわかるが、のぞみも顔が赤い。
「わ、わたしもね、ちょっと買い忘れが」
と、こちらも挙動不審である。
とにかくレジへ向かい、ぬいぐるみを買う。振り返るとのぞみはぬいぐるみの前で、こちらを見ている。あのにらみ方は、杏に早く行って欲しい感じだ。
「じゃ、明日空港で」
と声をかける。
「うん、空港で」
と返事が来た。
大学での用事はさっさと済ませ、実家に戻る。小腹が空いたので、駅前でたこ焼きを買う。大手のチェーン店なので札幌にもあるはずだが、向こうでは一回も食べていなかった。三パック買う。二つはすぐに母と食べるつもりだ。父はまだ仕事から帰っていないだろうから、晩酌のつまみにでもしたらいい。スコッチに合うかはわからなけれど。
家に帰ったら、ぬいぐるみを母に見つかってしまった。
「あんたそんなにぬいぐるみ好きだったっけ?」
と聞かれたが、適当に返事する。適切な答えが浮かばないからだ。
たこ焼きは適度に冷めていて美味しかった。
翌日空港に行く。母が付いて行きたがっていたが、別れがつらくなりそうなので断った。
チェックインカウンターの前でのぞみを探すと、のぞみと一緒に優花が来てくれていた。
「来てくれたの、忙しいのに、ありがとう」
「うん、私が来たかっただけだから」
「だけど、なんで時間知ってたの?」
「親衛隊とファンクラブに全部出てるよ」
そうだった。
荷物をあずけ、優花としばらく雑談したが時間が来てしまった。
「聖女様、のぞみ、またね」
なんと優花は、涙ぐんでいる。
「おいおい、泣くなよー。また会えるじゃん」
のぞみが慰める。
「優花、高木さん、お願いね」
杏も声をかける。
「うん、わかった」
優花はおしゃれでかわいいけれど、性格はわりとスパッとしている。見た目もスパッとしているのぞみより、よっぽどスパッとしている。そんな優花が、今日はぐしゃぐしゃだ。なにかあったのか、心配になってしまう。
「まさか、健太くんとなにかあった?」
のぞみが聞いた。杏には聞く勇気がない。
「ううん、健太は大丈夫。ただ、急にさみしくなっちゃった」
時間の問題があるので、無理やり優花と別れ、飛行機に乗った。
離陸を待つ飛行機の席で、杏はのぞみに言った。
「あんな優花、初めて見たね」
「うん、私も急に寂しくなっちゃった」
「のぞみ、私もさ、寂しくなったんだけど、私は言われるまで寂しくなかったんだよね。私、自分に普通の人間の感情が無いんじゃないかと時々思うんだ」
「……」
「いつもさ、物理とか目の前のことに夢中になるばっかりで、人の気持ち考えてない。そんな自分が嫌になる時があるんだ」
ちょっと二人の間に沈黙があった。沈黙のあとで、のぞみが言ってくれた。
「確かに聖女様は、目の前のことに夢中だと思う。でも、私は昔から、そんな聖女様を見るのが好きだよ」
「でもさ、人の気持ちは考えてない」
「そんなことないよ。こないだも高木さんのこと、真剣に考えてたでしょ。あれは高木さんのためでしょ」
「そうだけど」
「聖女様はそれでいいんだよ。私は、そのままの聖女様でいて欲しい」
「ありがと」
杏とのぞみは、小声でしばらく泣いてしまった。
千歳には真美が迎えに来てくれていた。とくに頼んでなかったので、その分うれしい。
「おかえりー!」
と言って、手を振っている。二人も手を振る。
真美によれば、
「明くんも修二くんも来たがっていたんだけどさ、私の車、軽でしょ。断った。ふたりともごめんね」
確かにちょっとだけだが修二に迎えに来てほしかったのだが、そういうことなら仕方がない。
とりあえず迎えのお礼に、東海村で買った干し芋をわたす。
「ありがとう。そういえば池田先生も網浜先生もね、一日か二日休んでから来いって言ってたよ」
空港ターミナルから駐車場へ向かうと、季節は完全に秋であった。
「いやあ、気温がぜんぜん違うね、川崎はほとんど夏だったよ」
のぞみが言った。杏も、まったくそのとおりだと思う。
真美の運転する車中で、杏とのぞみはそれぞれ指導教官に電話を入れた。やはり明日は休めとのことだ。
真美は二人それぞれの家まで送り届け、まだ実験があるからと去っていった。
久しぶりの我が家のカギを開ける。秋になったとはいえ、締め切っていた室内の温度は蒸し暑いくらいだ。さっそく方方の窓を開け、涼しい空気を入れる。思わず吸い込むと、北海道に帰ってきた実感がこみあげてきた。住んで半年ほどだが、もうすっかり気分は北海道人となっているのに気がつく。
荷物を広げる。洗濯物は昨日、今日の二日分しかないので明日の朝でよかろう。荷物の中から昨日買ってきた二匹のクマのヌイグルミを出す。青のTシャツのぬいぐるみを、かっぱ二匹、白い小鳥の横に並べる。問題は赤いのを、いつ、どこで修二に渡すかだ。勢いで買ったのはいいが、どう渡すか、決断を先延ばしにしていた。
スマホを取り出し「明日会えないかな?」と打ってみるが、送る勇気が出ない。とりあえず消して「ただいまもどりました」とだけ送る。数分して「おかえりなさい」と返ってきた。実験中だろうからなんとか返事してくれたのだろう、短い。でも、ちょっと物足りない。まあ実験をじゃましては悪いので、スーパーへ食品を買い出しに行く。しばらく車に乗っていなかったから、近いが車を出すことにした。
冷蔵庫の中は空になっているので、目につくものを手当たり次第に買う。考えてみれば久しぶりの自炊なのだが、だんだん億劫になってきた。とりあえず今夜はスーパーのお弁当でごまかすことにした。
スーパーから帰ると早くも日没で、急に冷え込んできた。黒い方の作業着を羽織る。今夜は自炊も放棄したのでやることもなくなった。何か暇つぶしを、と考えたがこの十日間、ろくに論文をチェックしていない。パソコンを立ち上げ、論文サイトをチェックする。目につくものをモニター上で読んでいたら、もう八時になっていた。
買ってきたお弁当を食べる。ついでに冷蔵庫に残っていたビールを飲む。
さて、どうやって修二にぬいぐるみを渡そうか。
スマホを出して何文字か打っては消すを繰り返す。
ビールを飲まなければよかった。
思考ができない。
黒の作業着のときは榊原研に押しかけた。運良く他の人がいなかった。明日は休むことになっているので、大学はまずい。明後日にすると、今度は渡す勇気が無くなりそうである。
ビールをもう一本開けた。
こうなったら、明日朝、修二のマンションの下まで行って渡そう。
そう決め、さらにビールを追加した。




