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聖女様は実験室に入る

 澤田教授、伊達教授、宮崎准教授、林准教授に挨拶して回って、その日は終わった。帰りに杏、のぞみ、優花の三人で少し呑んだ。

 

 翌日は朝から電車で東海村へ向かう。駅からSHELまで結構距離があるが、通勤時間でないのでバスが期待できず、二人なのでタクシーに乗るつもりでいた。荷物には扶桑女子大カステラが四箱入っている。優花のすすめで昨日買ってきた。実験をしに行くわけでもないし、どちらかというと見学という名前の迷惑をかけるだけかもしれないので、手土産として用意した。おそらくSHELも男性ばかりの世界だろうから、天下の扶桑女子大のロゴ入は喜ばれるだろうとの判断だ。

 

 特急も使って、トータル三時間ほどで東海村駅に到着した。景色が広い。北海道とはまた違った、景色の広さである。どう違うかと言うと、北海道はなにか日本離れした、これはもう北海道でしか無い、という広さである。東海村は家屋の作りとか、樹木とか、日本国内であることを実感させるものである。

 それはそうと、駅に到着したことをSHELで杏たちが十月に実験で用いる装置のグループリーダー、新発田教授に電話を入れる。新発田教授は東海村に常駐していて、自分の研究に加えて装置のメンテナンスを行っている。電話がつながると柴田教授は、

「すぐ行くから、駅前のロータリーで待ってて」

と言う。ありがたいことである。

 

 しばらく待っていると、駅前のロータリーに白いセダンが入ってきた。こちらを見て手を振っている。杏とのぞみはお辞儀する。

 それにしても車が古い。というよりボロい。札幌国立大の先生たちも、みな古い車に乗っている。かつて大学構内の車の古さが気になった杏は、国立大学教官の収入を調べてみたことがある。びっくりした。父よりかなり低い。SHELにしても国の研究機関であるから、給与は似たようなものだろう。ぶっちゃけたところ、扶桑女子大の先生たちのほうが羽振りがよく見える。

 

 国立大学は敷地も広く、実験室、居室なども広い。扶桑女子大の実験室では、実験機材が狭い部屋に押し込められ、というよりも立体的に詰め込まれている。学生・院生個人にデスクなど割り当てられるわけもない。札幌国立大学は、機材のまわりに充分にスペースがとられている。

 また、私学は学生が多く、教官が少ない感じがするが、国立は学生に対する教官の割合が多めである。

 つまり研究者にとって、組織とか環境とかは国立が良く、収入は私学のほうが良いようである。

 

 その新発田教授の車に乗ってSHELに向かう。宿泊施設のチェックインは午後四時からなので、先にSHELの受付をすまそうということだ。

 

 SHELユーザーズオフィスに向かう。安全教育を受け、IDカードを貰い、放射線管理バッジももらう。放射線管理バッジは、女性は腰につける。放射線は、細胞分裂が盛んな部位ほど影響を受けやすい。女性固有の臓器の被爆を心配しているわけだ。杏も将来のため、変な被爆はしたくない。のぞみも同様だろう。

 杏は自分が女性であることをそんなことで実感していたら、新発田教授が提案してきた。

「君たち、自転車借りといたほうがよくないかな。全部歩きだと不便だよ」

とのことなので、早速手続きした。とりあえず今は新発田教授の車で移動し、夕刻自転車をユーザーズオフィスにとりにくることにした。

 

 新発田教授は、

「君たち、昼食は?」

と言うので、

「まだです」

と答える。

「じゃ、研究所の食堂行こうか」


 SHEL入り口で守衛所により、入構手続きを行う。ユーザーズオフィスで手続き済みなのでスムーズであるが、基本SHELは原子力関係の研究施設内にあるので、入構関係は厳重である。

 食堂へ行く。構内は札幌国立大以上の広さで、どこへ行くのも車か自転車が必要だ。構内は防風林としてなのか、針葉樹がたくさん植えられている。海が近いはずだが、その気配は感じられない。

 

 食堂は、ものすごく混んでいた。杏はその雰囲気に圧倒された。

 まず、ほぼ全員、男性である。そしてほぼ全員、作業服である。大学の学食は、二十歳前後の男女が私服で華やいだ雰囲気があるが、ここは職場。年齢も高い。しかしおじさんたちのパワーが感じられ、学食とは異なる活気がある。

 日替わりの定食にする。今日は生姜焼きだ。

 列に並んでトレーを持って、メインの皿、煮物、味噌汁、ご飯をもらう。ご飯の盛りに驚いた。大盛りを頼んだつもりはないのに、大盛りである。

 とまどっていると、新発田教授が教えてくれた。

「茨城は米どころだからね、みんな米をいっぱい食べるんだよ。これでふつう盛だよ。大盛りだと、男子の院生でも気合を入れないとたべきれないことがあるよ」

「そうなんですか、なんかお得ですね」

 のぞみは実験漬けで食べる量が増えているので、普通に喜んでいた。杏は腰回りが少し心配になる。

 

 食堂から、実験施設の入る建物に移動する。これも車である。やっと実験室にたどりつける。駐車場に車をとめ、建物を見上げる。とにかく大きい。新発田教授は、

「荷物は車に入れといたままでいいよ。明日、明後日は忙しくて機材なんか見れないだろうから、今のうちに見せとくよ」

と言ってくれるのだが、のぞみが聞いた。

「新発田先生、大変ありがたいお話であるのですが、明日の準備のお手伝いとかはいいんでしょうか?」

「うん、大丈夫。若い人たちがほとんど終わらせてくれてる。あとね、明日なんだけど、一般のお客さんの案内係を頼みたいんだよ。そのとき科学的な質問も出るかもしれないから、施設見といたほうがいいと思ってね」

「ありがとうございます。がんばります」


 杏も、明日の戦力になるよう、気合を入れた。

 

 玄関ホール脇には、実験者控室とか会議室とかあるが、そこはスルーしてすぐに実験室に入る。IDカードをリーダーに通すと、ドアが開く。靴を専用の白い靴に履き替えさせられる。放射線管理区域であるので、規則をきちんと守らないといけない。

 

「ここは明日は一般の人は入れないんだ。会議室で映像を見てもらうんだけど、君たちは大きさを実感して欲しい」

「「はい」」


 もう一度別のゲートを抜けると、実験ホールに出た。天井が高いが、所狭しといろいろな実験機材が並んでいる。

「今は一般公開前のシャットダウン中だから静かだけどね、稼働すると結構うるさいんだよ」

 新発田教授はそう言うが、それでも幾つか機械類が動いているようで、杏にはとてもではないが、静かだとは思えなかった。

「君たちの実験は、来月榊原先生と唐沢君が出張してくるんだよね。測定器はね、こっちのチョッパー分光器だよ」


 ここの中性子実験施設では、高速の陽子線を水銀ターゲットに当てて中性子を発生させる。このときいろいろな速度の中性子が発生するのだが、ある特定の速度の中性子をより分けるための機材をチョッパーと言う。

 その中性子をサンプルに当てると、中性子が色々な方向に散乱する。散乱した中性子の速さと方向を測定することにより、物質の内部構造や、原子間のエネルギーのやり取りなどを探るのである。杏たちは、高温超伝導体において、層をなす酸化銅の面と面の間のエネルギーのやり取りを調べる予定である。

 

「それで、君たちの役割はどうなってるの?」

 のぞみが答える。

「私は単結晶試料を作成しました。現在、予備的な測定中です。神崎は、理論的側面から参加しています」

「なるほどね。そうだ、クライオスタット見てみる?」

「はい、ぜひ見てみたいです」

 そういったのは、杏である。札幌では機材に近づかせてもらえてない。

「聖女様、さわっちゃだめなんだからね」

 のぞみに小声で注意された。小声だが、口調は本気である。

「うるさいな、わかってるって」

 聖女効果を知ってか知らずか、新発田教授は微妙な笑顔だ。

 

 チョッパー分光器は高さが2メートルほどあるが、その上に登る。分光器の上はテントが張れそうなくらいの広さで、色々な機材が置いてあった。これから見学するクライオスタットとは、資料を低温に維持して、各種実験を行う装置のことである。

 

「ああ、ちょうど外に出てるね」

 新発田教授が案内してくれる。直径50センチメートルほどの金属板の下に、いろいろなものがぶら下がっている。間近にクライオスタットを初めて見る杏には、水平に設置された金属板が、上から侵入する熱を伝える光を遮断するためであることくらいしかわからない。

「これはね、上のこのチューブから液体ヘリウムを供給して、この銅のブロックを通してサンプルを冷やすんだよ。サンプルはこの銅ブロックの下につける。サンプルを入れるケースはこれだよ」

 新発田教授はアルミ製のサンプルケースをのぞみに手渡した。

 のぞみはこわごわとサンプルケースを受け取り、質問する。

「サンプルは、このケースいっぱいに入れないといけないんでしょうか」

「できればそうしたいけど、量がないときは、現物合わせでホルダーをつくるよ。工作室があるから、大丈夫だよ」

 のぞみは試料作製を担当しているだけに、サンプルの量が気になったようだ。

 

 杏はこのように広々とした実験施設を生まれて始めてみて、感動した。のぞみも同じだったようで、

「素晴らしい環境ですね」

と言っている。新発田教授は、

「今はいいけれど、大震災のときは大変だった。ビームラインがずれたりしてね。それよりもあの頃、東日本では電力が不足していたでしょう。こことか筑波とか、節電のため研究所が真っ暗だった」

 杏ものぞみも当時小学校の低学年だったから、すでにうっすらとしか記憶がない。

「ここはね、日本の中性子の研究者の夢だったんだ。だからなんとしてでも早く復旧させたくてね、半年で運転再開にこぎつけたよ」

 

「そういえば実験のスケジュールたてたの、神崎さんだったよね」

 うかつに手を出さないよう、手を後ろに組んで装置を見ていいた杏はちょっと驚いた。理論の自分のことまで知ってくれていたからである。

「あれね、よくできてるけど、もうちょっと余裕があったほうがいいかな」

「と、いいますと?」

「うまく行けばいいんだけどね、冷凍機の不調とか、ビームラインのトラブルとか、実験がストップしちゃうときはしちゃうんだ。申し訳ないけど」

「立て直したほうがいいですか?」

「大丈夫だろうとは思うけど、榊原先生と相談してみて」

「わかりました」

 またものぞみが小声で言ってきた。

「聖女様がさわんなければ、大丈夫なんじゃない?」

「うるさい」


 我慢できなかったのか、新発田教授が聞いてきた。

「あのさ、大変失礼だとは思うんだけどさ、聖女効果って実在するの?」

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