聖女様は感謝する
ビール園翌日、杏の両親は小樽へ行くと言って、車でで出発した。明日は川崎へ帰るというのにアクティブな二人である。なお、父は二日酔いなので母の運転だ。
杏は母の作ってくれた弁当を持って、今日も研究室に向かう。
お盆休み中、昼食を池田研ゼミ室で食べるのがルーティーンと化していたが、今日はそれに午後の休憩も池田研の約束である。
午後三時半、実験の途中の三人がやってきた。杏はお菓子・飲み物を出す。
「のぞみ、作業は順調?」
「うん、いい感じで進んでる。休み中機材が独占できるし、いつもの三倍の手があるからね」
三倍とは、のぞみに加えて、修二・明のことであろう。
「でもさ、明くんって、宇宙論でしょ。実験手伝ってて大丈夫なの?」
「ん、実験は実験で楽しいよ。勉強の方も、手があいてるときにやらせてもらってるよ」
「そうなの、明くん、論文持ち込んでて、作業無いときに読んでる」
ほほう、明は日頃の言動はアレだが、研究者としてはまともらしい。
「聖女様、私下行ってお菓子取ってくる」
杏の出すのは揚げ餅だから、甘いのが食べたくなったのだろう。
「あ、俺もいくよ」
明がなぜかついて行った。
「修二くん、のぞみと明くんって、うまくいってるの?」
「うーん、よくわかんないな。いい雰囲気ではあるけれど」
「そうなんだ」
「でもね、正直なところ、午後に池田研に呼んでもらって助かったよ」
「そうなの?」
「僕もさ、緒方さんの気持ちは知ってるしね、三人でいるとおじゃま虫っぽくて」
「なるほど」
「かと言って、緒方さんと二人っきりで実験するのもなんだしね」
「うーん」
相槌しか打てない杏である。
「だけどね、明のやつ、緒方さんのサンプル作り、自分から手伝いたいって言ってきたんだよ」
「ほ、ほう」
明はとぼけた奴だが、実はちゃんとしているんだろうか。杏は聞いてみる。
「修二くん、明くんとの付き合い、長いんでしょう。実際のところ、のぞみのこと、どう思ってるのかな」
「うーん、明のことは、よくわかんないね」
「俺がどうしたって?」
ちょうど明が戻ってきてしまった。
まずいところで明が戻ってきてしまい、杏と修二は慌てた。のぞみも一緒にもどってきている。お菓子やらペットボトルやら二人共持っている。
「二人共早いのね」
「そう、だってとってくるだけだもん」
のぞみは当然そうに言っている。杏としては、おそらく修二も、二人が二人の時間を過ごすのではないかと、ちょっと期待していたのだ。ごまかすのも難しく、杏は強引に話題を変えることにした。
「あのさ、カサドン昨日、写真送ってきた」
スマホの画面を三人に見せる。きれいな電飾を背景に、二人は幸せそうにピースサインである。
のぞみが興奮して聞いてきた。
「ほ、本文無いの?」
「無い」
「無いのか~」
「うん、だから写真の意味はわからない」
明が言う。
「これはコクって、うまく行ってのピースなんじゃない?」
修二も、
「うーん、あの雰囲気だから、普通勝負に出るよな」
杏は、修二が過去にいったいだれとあの雰囲気に行ったのか気になる。だけど聞けない。
明が言う。
「そうだよな、だけど、俺たちが行ったときは男ばっかだったよな」
「だけど、まわりカップルだらけだったぞ」
杏は少しほっとした。のぞみが言う。
「男ばかりだと、絵にならんねぇ」
明が言い返す。
「女ならいいのかよ」
「うん、可愛ければそれでよし」
「男女差別なんじゃないかね」
「なら、今度私と行く?」
「おお、のぞむところだ。のぞみんだけに」
杏と修二は顔を見合わせるしかなかった。
その夜は、杏は両親と三人で食卓を囲んだ。
「お父さん、杏がちっちゃかった頃、こんな感じでご飯食べてたよね」
「んん、社宅の頃か?」
「そうそう、あの社宅、ボロかったわよね」
「暖房効かなくってな」
「そうそう」
杏は社宅で、父の帰りを母と二人、小さなストーブの前で暖を取りながら待ったことを思い出した。
「あの頃はまだ、給料も少なくってな」
「そうそう、家の頭金貯めるため、必死だったわ」
杏はもういい年なのでそのへんの事情は理解していたが、両親の口から聞くのは初めてだった。
「お金大変だったんだ」
「そうよ、家計簿かいてね、ちょっとでもお金が余ると貯金してね」
「だけど杏が物壊したり、熱出したりすると大変でな」
「ちょっと待ってよ、物壊したのは悪いと思うけど、小児の病院代は、基本かからないんじゃない?」
「いくら医療費が出てもさ、病院に行っている間、家事もできなきゃ、パートも休まなきゃいけないのよ」
「そうそう」
「でもね、杏、あんたが幸せなら、それでいいのよ」
翌朝、杏は車で両親を千歳まで送ろうと申し出たのだが、きっぱりと断られた。仕方なく昨日までと同じ時刻に大学に出る。
昼食を四人でゼミ室で食べ、午後の休憩をやはり池田研ゼミ室でとる。薄暗くなるころ、帰宅する。
お盆も終わり、札幌の夏は通り過ぎ、少しだが秋の気配を感じないでもない。
家のカギを開け、暗い部屋に「ただいまー」と言ってみる。もちろん返事はない。
いつもの生活に戻っただけだと自分に言い聞かせる。
勉強机に紙が置いてあった。冷蔵庫の中の食べ物についての指示だ。読まずに冷蔵庫を開ける。
ポテトサラダやら、今夜の夕食用なのかハンバーグとか、ぎっしりと入っている。冷凍庫も冷凍された母手作りのハンバーグとハンバーグソースなど、やはりぎっちりと入っている。
勉強机にもどり、改めて母の指示を読む。今夜はどうしろとか、細かく書いてある。流しの下も見ろとも書いてあるので、見る。
流しの下のスペースには、電子レンジで温めるだけで食べられるカレーとかごはん類、さらにはパスタ、米などこちらもぎっしりだ。個々数日間、母はキッチンに立たせてくれなかったが、少しずつ買い置いてくれたに違いない。さらに今日の午前、杏のために料理しまくってくれたのだろう。
指示書の末尾には、父の字で飲み過ぎに気をつけろと書いてあった。ビール園で飲みすぎたのは誰かと、少し笑ってしまう。
夕食は母の言いつけどおり、料理を温めた。テーブルに並べて自撮りと一緒に写したかったのだが涙が出てしまう。
仕方がないので左手でOKマークをつくり、料理と一緒に写す。
「おとうさん、おかあさん、ありがとう」
とのメッセージと一緒にメールした。




