聖女様は会食する
夕食は、ビール園でジンギスカンとなった。北海道らしいものということ、杏が生魚が苦手ということから勘案してジンギスカンがよかろうと、男子二名の提案である。杏の好き嫌いよりも、肉が重要なのかもしれない。そしてビール園は、杏の借りている部屋から徒歩で二十分程と意外と近い。いざとなったらタクシーで帰ってもたいした運賃でない距離だ。院生四人は大学から徒歩で、杏の両親と現地集合となった。人気の店であるから念のため電話したら、運良く午後七時に予約が取れた。
理学部棟玄関に午後六時に集合する。杏はいつものくせで、少し早めに到着したが、他はまだこない。やはり実験の人は大変らしい。明もどうせ、修二とともにのぞみの実験を手伝っているのだろう。ちょっとうらやましい。
六時を十分近く過ぎて、やっと三人がやってきた。
「聖女様ごめーん、待った」
「待った。けど予定通りかな」
どうせ実験は、長びくだろうということである。そもそも七時にビール園に行くのに六時に大学を出発する必要はないのだ。
実は四人とも、半年近く札幌にいて誰もまだビール園に行ったことがなかった。
「ビール園って、どんなとこなんだろうね」
めずらしく、修二が口火を切った。
「修二くん、おなかすいてるの?」
「ははは、恥ずかしながら」
のぞみが口をはさむ。
「男子ったらさ、いつもだったら途中でお菓子とか食べるくせにさ、今日は食べ放題だって、お菓子我慢するんだよ」
それに明がつっこんだ。
「のぞみんだってそうだろう」
いつの間にか、明はのぞみをのぞみんとよんでいることに、杏は今気づいた。よいことである。
しかし、納得いかないこともある。
「それってさ、午後休憩して、三人でお菓子とか食べてるってこと?」
それに明はあっけらかんと答える。
「そうだよ」
「私はさ、一人で計算して、一人で揚げ餅たべてるんだけどな」
またも明は呑気に言う。
「それにバナナオーレでしょ? イテッ!」
のぞみが明の足を蹴っ飛ばした。さらにのぞみが言う。
「聖女様、今度から休憩は池田研のゼミ室を借りていいかな?」
「上まで上がってくるの、大変でしょ」
ちょっとすねている杏である。
「修二くんも、聖女様と一緒に食べたほうが休憩になるよね」
「そりゃそうだ」
今の発言は、明の奴だ。
「う、うん、もちろんだよ」
やっと修二が言ってくれたので、杏は快諾した。
歩くこと三十分あまり、ビール園が見えてきた。やたらと敷地が広く、小さくレンガ造りの建物が見える。建物には蔦だろうか、緑の植物が這い上がっている。北海道だから、遠近感・スケール感が関東人の四人にはまだ馴染めないところがある。
両親との集合場所、建物入り口に到着したが両親は未着だった。「五分前」が口癖の母がいるのにめずらしいことである。
「ごめん、うちの親まだみたい」
杏が言うとのぞみは、
「その辺で写真でもとってるんじゃない?」
と言う。さもあらんと見回すと、バンザイする母を、ローアングルで父が撮影していた。
店員の案内でホールに入る。方方でジンギスカンの煙が上がり、ジョッキを持った店員が行き交っている。大正時代に建てられたという建物は、時代感とドイツっぽさがミックスしている。
席は父・母・明が並んで座り、父の前に修二、その横に杏とのぞみが並んだ。こういうとき、母がだいたい仕切ってしまう。とりあえずのジョッキが全員の前にそろい、母の音頭で乾杯する。
父は一気にジョッキの四分の三ほど飲んでいる。
修二が目を丸くして、
「おとうさん、大丈夫ですか?」
と言ってしまったら、
「だれが君のお父さんだ?」
などと、父は冗談で返している。父の微笑みから冗談とはわかるが、杏としては微妙な気分だ。
話題はビール園の建物、ビールの味、そしていつもの雑談へと移っていく。院生だけなら杏の主導で物理の話一直線だが、今日はそうならなかった。
父が問う。
「修二くん、君のご実家は都内だったっけ?」
「はい。中央線沿線です」
「なら、意外とうちから近いな」
「そうですね」
「そのうち、修二くんのご実家にもご挨拶しないといけないな」
「ハッ」
父のハイピッチなビールで、話がとんでもない方向にいきそうである。
「ちょっとぉ、お父さん、何言ってんの?」
「ああ?、一度修二くんのご実家にご挨拶にだな」
母が割り込んできた。
「お父さん、ものには順番があるでしょ。修二くん、困ってるじゃない」
「そうか、だから順番通りに、まずご挨拶を」
「お父さん、飲み過ぎ!」
母が無理やり話題をそらす。
「明くんは、埼玉よね」
「そうです」
「お母さん、なんで知ってんの?」
「明くんとは親衛隊とファンクラブで、よく連絡とってるからね」
久しぶりに聖女様親衛隊と、のぞみんファンクラブの名前を聞いた。杏は近ごろはあまり気にしておらず、ときどき飲み会をやっているらしいことぐらいしか知らなかった。
明が言う。
「聖母様は、親衛隊・ファンクラブ合同親睦会は、ほぼ皆勤だよ」
杏は驚いた。
「なにそれ?」
「ネット会議で一緒に飲んでるよ」
「おれも時々出てるぞー!」
父も言う。
うちの両親はいったい何を考えているのか、頭が痛くなる杏である。
「それはそうとさ、杏、まみちゃんずはどうなってるかね?」
母が話題を変えて来た。
「今日あたり、デートなんじゃないかな」
のぞみが聞く。
「わたしさ、カサドンっていまいち接点が少ないんだけど、どうなの?」
「うん、基本いいやつだよ。男にもてるのがよくわかんないんだけど」
父が割り込んできた。
「おい、カサドンって、女の子か?」
「ううん、四年の男の子。ムキムキマッチョなんだけど、なんか私に懐いてるんだよね」
「男にもてるって?」
「なんかね、週一くらいでその手の人にナンバされるらしい。その度私に報告してくる」
「よくわからんな」
父はすでに酔い過ぎているのか、理解できないらしい。
「私もよくわからないけど、単純に私に懐いているのか、私を通して真美ちゃんにアタックしたいのか、本当によくわかんない」
しばらくして、杏はトイレに立った。
「私も行こ」
と言って、母もついてきた。
母が小声で聞いてくる。
「杏、のぞみちゃんと明くんってどうなってるの」
「うーん、よくわかんない」
「杏、あんたならわかるけど、のぞみちゃんももしかして奥手?」
「なによ。のぞみはあんまり自分の気持を外に出したがらないみたい」
「あんたは、ダダ漏れだけどね」
「なによ」
「見てればわかるよ」
母はそう言って、空いている個室に入っていった。
その夜は結局、父が酔い潰れた。会計は母がまとめて払った。伝票をもってすっと立ち、さっさと会計してしまう。ワリカンとか言い出せない迫力である。杏は将来そんなふうになれるのか、全く自信がない。
「おかあさんはおかあさん、神崎さんは神崎さんだよ」
そんな杏の気持ちを慮ってか、修二が声をかけてくれる。
出席者のなかで杏の部屋が一番ビール園から近いのだが、父のせいで神崎家だけがタクシーとなった。タクシーの中で杏のスマホが鳴り、まみちゃんとカサドンのツーショットが送られてきていた。




