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聖女様は両親と昼食をとる

 翌朝いつもの時間に目を覚ますと、両親はまだ寝ていた。

 昨晩は、寝床の順番でちょっと議論になった。両親が杏のとなりを取り合ったのである。杏としては、ふつう、父・母・杏の順だと思うのだが、父が納得せず、結局父・杏・母の順になった。杏がまだ小さかったころ以来で、酒が入っていなかったら、はずかしくて無理だったろう。

 杏はまだ寝息を立てている両親を起こさないよう、そっと起き上がり、慎重に父をまたいでリビングに出る。

 

 いつもならパソコンなりラジオなりで音を聞きながら朝食をとるのだが、今朝は静かに食べることにする。昨日の買い物の状況だと、今日の昼食はサンドイッチになりそうなので、冷凍のごはんを電子レンジであたため、ふりかけをかけて食べる。

 シャワーを浴びて浴室から出たら、両親が起きてきていた。父が問いかける。

「杏、意外と早いんだな」

 杏は髪を乾かしながら、答える。

「あのね、八時に大学に出て、そのかわり早めにあがらしてもらっているんだ」

「そうか」

「遅くまで研究室でやってたら、池田先生におこられた」

「ははは、それはよかったな」

「うん、よかった」


 両親は昼前に大学に昼食をもってくるという。なので杏は、いつもどおりの時間に自転車で大学に向かった。真夏ではあるが、午前中はすごしやすく風が気持ちいい。ペダルを漕ぎながら見る景色に、一年前の受験のころを思い出した。両親にもアイスやとうきびをすすめよう。

 

 居室につき、今日の作業を始める前に、修二やのぞみにSNSを送る。両親に学内を見てもらうためだ。理論研は大量の本と論文のコピーなど紙類、そして黒板やホワイトボードに書き殴られた数式の山しかない。一般人には実験機材のほうがインパクトがあるだろうが、杏は立ち入りどころか近づくことさえ遠慮している。両親の案内は、申し訳ないがのぞみに頼もう。

 

 しばらくして修二から返信があった。

「僕が案内するよ」

「ありがとう、のぞみに頼もうかと思ってたんだけど」

「緒方さんは多分手が離せないと思う。僕ならなんとかなるから」

「ごめんね」

「どういたしまして」

 なんだか強烈にドキドキする。

 

 いつも通りに居室で作業をしていたら、廊下から母の声が聞こえてきた。

「おじゃましまーす。杏ー、いるー?」

 振り返れば父と母が、両手に紙袋を下げていた。

「うわー、多くなーい?」

「まあ、いいじゃなーい。それより、ここいい景色ねー」

「おお、こんなところで研究してるのか。杏は幸せだな」

 さらに二人は研究室を見回している。

「なんか、杏の部屋とおんなじね」

「そうだな、雰囲気が似てるんね」

「どういうこと?」

「物理に埋まっているっていうか?」

「ははは、私はこの部屋、好きだよ」

「そうだろうね」


 続いてゼミ室に両親を案内する。

「杏、あんたまだ研究あるんでしょ。私達はここでお昼の準備するから、あんた研究続けてなさい」

 なんか母に追っ払われた。

 

 やりかけの計算を再開してしばらくすると、廊下に足音が聞こえる。

「のぞみちゃん、修二くん、明くん、ひさしぶりー」

 母の声、それに答える三人の声で、昼食の時を知った。

 

 ゼミ室に行けば、テーブルに食べきれないくらいのサンドイッチ、唐揚げ、一口ハンバーグ、ウインナー、ポテトサラダ、おにぎり、さらに麦茶が並んでいる。内容的には外の芝生の上に並べたほうがいいようだ。明がおにぎりに手を伸ばそうとして、のぞみに叩かれている。

 

「いただきまーす」

 杏の声で、昼食が始まった。

「おかあさん、おかかのおにぎり、おいしいです」

とは、明の言である。だれがあんたのお母さんだ。

「ほんと、おいしいです」

 修二も同調する。

「のぞみちゃん、忙しそうね」

「はい、サンプルづくりが佳境に入っていますんで」

「のぞみ、あとで様子を両親に見せてやってくんないかな? 例の『効果』はないと思う」

「了解」


 母の手料理は昨晩堪能したが、やはり美味しい。ポテトサラダをついついつまんでしまう。

「杏、あんたハンバーグ食べ過ぎ。昨日も食べたでしょ。それだと男の子たちの分が無くなっちゃうよ」

 母に注意されてしまった。ポテトサラダだけでなく、ハンバーグもたくさん食べてしまっていたようだ。

「おかあさん、聖女様のハンバーグ好きは有名ですから、想定内です」

 明、おまえはだまれ。

 

 いつものゼミ室での会話は99%物理であるが、今日は母を中心として、なにか華やいでいた。杏はふと、自分も何年か、何十年かして、自分の子供の友だちとこんなふうに会話できるかな、と思う。杏は自分が変わりものであることは自覚している。自分の好きなこと、今は物理だが、それには一直線。ほかのことは人間関係を含め、かなり疎かになってしまう。母は、気がつくと人の輪の中心にいて、それでいて一人ひとりに気を配っている。そしてその横には言葉少なに微笑む父がいる。二十年後、私の隣にいて微笑んでくれる人は一体だれだろうか。

「神崎さん、ちゃんと食べてる?」

 修二と目が合った。

「修二くん、そろそろ『杏』っていってあげてよ~」

 母が突っ込んでいた。修二は、

「あ、いやー」

などと言っているが、母は

「その方が、杏も喜ぶと思うんだけどなー」

などと恐ろしいことを言っている。事実ではあるが。


 食事後、両親はのぞみと修二に連れられて見学へと出ていった。

 居室へもどり計算を再開するが、心は幸せなままである。研究室には嵐の後の静けさが訪れていた。

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