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聖女様は迎えに行く

 昼食後、しばらくしてスマホに着信があった。両親が千歳についたそうだ。勝手に部屋に来るとは聞いていたものの、せめてもと札幌駅まで迎えに行くことにした。一旦帰宅し、車をとって駅に向かうのには、充分に時間的余裕がある。

 

 作業を切り上げ、SNSで両親を迎えに行く旨のぞみたちに連絡する。計算途中のものもあるが、今日は持ち帰らず久しぶりに両親としっかり会話したい。研究室に施錠し、家に向かう。

 

 北海道とはいえお盆中なのでまだまだ暑い。時間の余裕はあるのだから無理に急ぐ必要はないのだが、自転車をこぐ足に力が入る。少し汗をかいてしまった。

 

 家につくとやはり熱がこもっており、さらに汗をかく。シャワーを浴びたいところだが、どうせまた車で汗をかくだろうとがまんする。両親を連れてくるのにさほど時間はかからないだろうから、防犯上問題のない範囲で窓を開けておくことにした。

 

 自動車のドアを開ける。こちらは灼熱地獄である。ドア四枚とも開け、リアハッチも開け、空気を入れ替える。エンジンをかけ、窓をすべて全開にし、ドアを閉める。

 札幌の夏場、杏は車に乗り込むのはドライブのため早朝ばかりだったので、車内の灼熱は川崎以来である。車を発進させると空気は入れ替わるが、シートがまだ熱を持っている。エアコンをかけても札幌駅につくまでに冷えないと考え、エアコンはつけない。

 

 駅地下の駐車場に車を置き、改札に向かう。早めに着いてしまったので、しかたなく改札付近を散歩する。札幌駅は建て替え工事中なので、なんとなく殺伐とした雰囲気でありなかなか時間がたたない。

 

 やがて改札の向こうに両親の姿が見えた。杏は大きく手をふる。二人が小さく手をふるのが見えた。

 

「おとうさん、おかあさん、久しぶり」

「うん、元気だった?」

 やはり母親というものは、我が子の健康が心配なのだろう。父はにこにこし、杏の姿を上から下まで何回もみている。

「なによお父さん、私も立派に成長してるでしょ?」

「うん、一人暮らしでやつれているかと思ったが、川崎のときよりむしろ、肌にはりがでてるかな」

 父は言葉を選んでいるのだろうが、要は太ったと言いたいのだろう。

「お母さん、荷物持つよ」

「うん、ありがと」

 杏は母のもつ荷物を持つが、父の荷物については先程の発言を根に持って無視した。

 両親の先に立ち、駐車場に向かう。

 

 一旦家に行って荷物を置く。つづけて母はスーパーで買物をしたいそうだ。

「スーパー近いよ。歩いてく?」

「ううん、多めに買いたいから車お願い」


 スーパーにつくと、母はカートにかごを三個載せた。杏は、どんだけ買うんだと思いつつ、とりあえず付き合う。

 野菜売り場では、きゅうりやらトマトやら買い込む。それにしても量が多い。いくら三人とはいえ、多すぎるのではなかろうか。

 ハムとか卵とかも、たくさん買っている。マヨネーズは最大サイズ、からしも買い込んでいる。パン売り場では、薄切りの食パンを三斤もとっている。杏は我慢できず、母に聞いた。

「おかあさん、これ多すぎない? 川崎でもこんな買ったことないよ」

「ああ、これね、明日のお弁当」

「それでも多くない?」

「うん、六人分だから」

「六人分?」

「修二くんたちのも入ってるから」

「?」


 聞けば明日、修二・のぞみ・あきらに昼食をとどける約束をしているそうである。

「知らなかった」

「あ、そう。そういえば大学でお弁当広げられるとこ、ある?」

「うん、ゼミ室なら」

「お湯とか沸かせる?」

「電気ポットある」

「よかった」


 大量の食材を部屋に運び込むと、母は料理を始めた。

「杏、あんたは勉強してていいわよ。お父さん、手伝ってね」

「ああ、わかった」

 気さくに答える父を見て、杏は驚いた。去年まで父は、まず台所など入っていなかった。自分が家を出たので、寂しくて母の家事を手伝っているのかもしれない。


 母の指示に従い、勉強を始める。今やっている研究は大学に置いてきてしまっていたので、パソコンからプレプリントが掲載されているサイトをチェックすることにした。

 プレプリントというのは、元々の意味でいうと論文誌に掲載する前に印刷された論文のことである。

 研究者の実績というものは、厳密にはきちんとした論文誌に論文を掲載することだけである。「きちんとした」とは、掲載される論文が他の研究者によりチェックされているという意味である。これを査読という。研究者は、論文を論文誌に投稿する。論文誌の編集側では、これを査読者にまわす。査読者は論文の内容を精読し、疑問点や書き直しすべき点などを連絡してくる。それを直して査読者が納得して、やっと論文掲載となる。だから論文が最初に書き上がってから、実際に掲載されるまでかなり長い時間がたってしまう。

 研究は競争だから、読み手としては早く情報を知りたい。書き手ももちろん、自分の研究を早く世に問いたい。だから知り合いの研究者とプレプリントのやりとりがなされる。

 現在では、プレプリントがインターネットで簡単に手に入る。査読はないので、速報性が高いと同時に、最終的に論文誌に掲載されるまでに変更がなされるケースも多い。言い換えれば、速いけれども正確性が低いということである。

 もう一度言うが、研究は競争だから、速いということは非常に重要なので、現在の研究者は全員、プレプリントをネットでチェックしている。

 

 なお、研究者の実績に、学会発表は含まれない。招待講演ならばともかく、学会発表は、学会員ならば全員できる。もちろん事前のチェックはない。言いたいことを勝手に言えてしまう場なので、実績に含めるわけにはいかないのだ。

 

 時間の余裕があるので、日頃はきちんと読まない専門外の論文もチェックする。一人暮らしの部屋なので、勉強机から両親が料理する様子は手に取るようにわかる。カレーの香り、ハンバーグのタネの空気を抜く音、そうしたものでなんとなく杏の好物を用意してくれているのがわかり、幸せな気持ちに包まれていく。

 

 予想通り、夕食はカレーライスにハンバーグと揚げなすがトッピングされていた。寝室に折りたたみのちゃぶ台をひろげて三人で食べる。先程スーパーで買い込んだ地ビールも並んでいたのだが、冷蔵庫がいっぱいすぎたのだろう、まだちょっとぬるかった。

 それを杏は口に出し、三人で笑った。

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