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聖女様は嫉妬する

 お盆休みに入った。杏の両親が北海道にやってくる。杏は千歳に迎えに行こうかと聞いたのだが、母は勝手に行くので迎えは要らないと言ってきた。合鍵は渡してあるので、勝手にやってきて勝手に部屋に入るのだろう。したがって杏は今日も普通に研究室へ出る。

 

 お盆休み中、杏は好き勝手に研究することにしていた。主にやりたいことは、雑誌会でとりあげた超伝導体の局所的対称性を破った場合に起こる現象を、高温超伝導体にあてはめたらどうなるか、それを調べることである。池田教授に指示されてやっているわけではないので、どうしても手をつけるのが後回しになっていた。結局今日までほとんど何もできていない。おそらくほとんどのメンバーは休みをとるだろうから、誰にも邪魔されないだろう。のぞみには「一緒にお昼食べよう」とだけ、SNSで送っておく。

 

 十時を過ぎても、だれも居室にやってこない。論文の読み直しをやっていたのだが、ちょうど切りの良いところだ。少し休憩しようと思ったら、スマホに着信があった。SNSで修二からである。

「今日は質問はないの?」

「うん、無い」

「了解」

 やりとりをして、杏は失敗を悟った。これでは修二に会う口実が無い。やっぱり中性子関連もやることにした。休憩もとばして、中性子実験関連の昨日までの続きをする。

 

 今日は少し暑いようで、手計算していると手の下の紙が汗を吸っている。ここ北海道では居室に冷房は無く、窓からの風、そして扇風機が頼りだ。

 室温は三十度。昨日まで研究室の北海道出身者はみな、三十度で活動不能に陥っていた。だが川崎の暑さで鍛えられている杏は、このくらい平気である。むしろここまでやっと気温が上がってきて、ようやく夏本番を迎えた感じである。

 こうして杏は絶好調で物理に取り組んでいたら、開け放たれたドアをノックする音がした。

「聖女様、お昼行こ」

 のぞみだった。修二と明もいる。二時間もノンストップで計算していたらしい。

「うん、ちょっと待って」

 杏はあわてて居室に施錠した。

 

 日頃居室に施錠するのは、夜最後まで残っていたメンバーが帰宅するときだけである。始終誰かしら出入りするので、たとえ偶然無人になったとしても、施錠などしない。しかしお盆期間中は、部屋をあけるときは施錠するよう、強く桑原に言われていたのだ。

「お盆中は、学内を観光客がたくさんウロウロしている。迷い込まないとも限らないから」

 杏も納得したので、トイレへ行く時すらきちんと施錠するようにしていた。

 

「おまたせ、どこ食べ行く?」

 お盆休み中は学食も休みなので、少々歩いて学外まで食べに行かねばならない。修二が言う。

「お盆だからさ、確実に開いてるのは駅近くらいじゃない」

 のぞみが答える。

「遠いねぇ」

 杏としては修二と過ごす時間が増えるのは、全く構わないので、あえて何も言わない。すると修二がのぞみに聞いた。

「さっきのサンプルさ、セットしてあのままでいいの」

「うん、時間がたっても真空度が上がるだけだから問題ない」

「そう、よかった」


 杏はよくなかった。今の会話から推察すると、午前中修二はのぞみと一緒に作業していたのではないか?

「修二くん、のぞみと実験してたの?」

「ああ、緒方さんとの共同実験だからね、サンプル作りを手伝わしてもらってた」

 のぞみも言う。

「手が二つになって、助かったよ」

 杏としてはこう言うしか無い・

「よかったね」


 心の中の声は『ああそうですか、よかったね、修二くん、のぞみと仲良くよかったね』と全く良くない。胃がねじくれそうである。

 それが顔に出てしまっていたのか、明が言ってくる。

「おお、聖女様、ご機嫌ななめかな」

「べつに」

 ついつい足が早くなる。

 事態を察知したのぞみが、謝ってきた。

「聖女様ごめん。修二くんがサンプル作り見たいって言うから、気楽にOKした」

「……」

「修二くんはね、『神崎さんも誘おう』って言ってたんだけど、ごめん、私が断った」

「……」

「いや、だからね……」

「もういい」

 杏は無理やり笑顔を作ってのぞみを止めた。

 

 構内を駅方面に向かって歩く。大した距離ではないのだが長く感じる。

 四人で無言になってしまった。

 杏は、その無言の原因が、自分だとわかっていた。

 のぞみの明に対する気持ちは知っている。

 のぞみが杏を裏切るような人では無いと知っている。

 杏自身の弱さがみんなに不快感を与えたことは、理屈ではわかっている。

 わかっているのに割り切れない自分に、いらだちを覚える。

 

 大学正門近く、一年前訪れたカフェがお盆休み中にも関わらず営業しているのが目に入った。杏が指差すと皆、うなずいた。

 カフェ入り口には売店がある。そこにはまだ、去年修二が買ってくれた小鳥のぬいぐるみがまだ売られていた。杏の視線を感じたのぞみは、杏の手を引っ張ってぬいぐるみの前まで来た。

「聖女様、私、このぬいぐるみに誓って言う。やましいことはなんにも無い。修二くんはただの仲間。考えが足りてなかったことは謝る。だけど信じて」

「わかった。信じる。私の方こそ、ごめんね」

 杏は涙を止めることができなかった。

 

 修二と明は、先に席をとって、さらに食事まで取っていてくれていた。テーブルにはオムライスの上にハンバーグが鎮座し、さらにカレーソースがかかっている。

 明によれば、

「メニューでさ、これ見たときこれしかない、って思ったね。聖女様の好きなもの、三連コンボじゃん。なのでもう頼んでおきました。あ、ワリカンね」

 だそうだ。ワリカンにしてしまうあたり、明は気が利いていると思う。のぞみはずっと前に、明のそんな良さがわかっていたのだろう。おかげで心が晴れた。

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