聖女様は後輩をはげます
午後四時すぎ、カサドンは過去問のやり直しを杏のところに持ってきた。カサドンの表情は険しい。こんなカサドンは初めて見た。答案をチェックする前、杏はカサドンに話をすることにした。
「カサドンさ、まだ見てないけど、多分、これ全部直ってるとおもうよ」
「そうですかね」
「昨日だってそうだったじゃない」
「まぁ、そうですけど」
「私はさ、カサドンの実力から考えて、直ってるだろうと判断してるんだけど」
「そう言ってもらえると嬉しいですけど、正直不安です」
「じゃあ、見てみるか」
杏はまず、答案に書いてある解をチェックする。
全て合っている。
次に、最初の答案にあった、解法に問題点がないかチェックする。
こちらも大丈夫だ。
「カサドン、全部大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
「よくがんばったよね」
「でも、テストは一発勝負です」
「自分の問題点がよくわかっているじゃない」
「でも、これじゃ受かんないです」
杏はカサドンには、少し喝を入れる必要があると思った。
「カサドンさ、昨日、今日と、私は解法教えた?」
「いいえ、教えてくれませんでした」
「なんでかわかる? 冷たいとか思ったんじゃない?」
「実のところ、聖女様教えてくれればいいのに、と思いました」
「でもさ、結局自力で解けたでしょ」
「はい」
「ということは、カサドンは自力で解くことができるということだよ。自信持って」
「でも」
「でも、じゃない! カサドンはちゃんと解く力を持ってる。確かに今は一発で正解にはたどり着くことができてない。実力はあるのにそれが出せてない。それが解決できないと、合格しないよ」
「そうですね」
「だからね、昨日の問題、今日の問題、最初に解いたときの自分の心理状態とか、勘違いしたポイントとか、計算ミスの原因とか、それを分析しないと。それは私に教えることはできないし、多分誰にもできない。私は、実力は完全に合格ラインを超えてると思う。自分の弱点を正面から見つめて解決すれば、絶対合格するよ」
杏は、カサドンに反論させないためまくしたてたのだが、気づくとカサドンは泣いていた。
「ごめん、言い過ぎた」
「そんなことないです。ありがとうございます。僕、がんばります」
「うん、応援してる」
杏はいたたまれず、ゼミ室に逃げた。空いている椅子に座り、どうすればベストだったかと考える。カサドンには自分の弱点を見つめて解決しろといったが、それは自分自身のことだと思った。こんな私がカサドンに教えていいのか、不安になる。
窓の外を眺めながら考え込んでいたら、ゼミ室にM2の山崎が入ってきた。
「神崎さん、ありがとう」
日頃のように聖女様よびせず、山崎は名字で呼んでくれている。
「ありがとうって、なんのことですか?」
「カサドンだよ、もちろん。本来M2の僕たちがやるべきことをおしつけちゃってごめんね」
「カサドンから、直接たのまれましたから。それより私、あれでよかったんでしょうか?」
「うん、見事だよ。僕にはあんなふうにできないよ。カサドン、神崎さんのおかげできっと合格するよ」
「カサドンの実力ですよ」
「実力を引き出すのが、難しいんじゃない?」
そう言いおいて、山崎はゼミ室を出ていった。
今度は杏の目から涙が溢れてきた。
杏は居室に帰って自分の仕事を続ける。集中してしばらく計算し、疲れるとカサドンの状態が気になる。杏自身はカサドンのように真剣に受験勉強したのは、中学受験のときだけだ。中学受験のときもそうだったし、大学に入ってからもそうだったが、泣きながら勉強したことは何回もある。泣いた原因はただ一つで、自分の分からない問題、間違えた問題が、じつは易しいと気づいたときだ。たいてい、単純な勘違いでミスしている。そんなとき自分がバカに思えて思えて、涙がでてくるのだ。人にバカと言われるより、自分で自分がバカだと思えるほうが、よっぽど悲しい。悲しいけれど、中学受験に受かりたいとか、今考えていることがを理解したいとか、そういう気持ちが悲しみに勝った。だから泣きながらでも続けてきた。そういった経験の積み重ねで今の自分があると仮定すると、カサドンもぜひ乗り越えてほしいと思う。
そう言っても、鞭ばかりではいけないかと思うので、飴も与えたい。杏の知る限りではカサドンにとっての飴は真美だろう。SNSで真美に連絡し、夕食時に学食で会うことにした。
時間になって学食に行くと、真美はまだ来ていないようだ。やはり実験は思い通りに行かないのか、たいへんそうだ。杏は約束があるから、と研究室のメンバーとは離れた席をとった。料理が冷めてしまうので、料理は真美が来てから頼むことにする。
五分ほど待つと、学食入り口に真美の姿が見えた。手をふると、真美も手を振り返してきた。料理を取るため席を立ち、真美とともに列に並ぶ。今夜のおかずはチキンの大根おろしソースにする。真美は生姜焼きをとっている。一人暮らしをしているとどうしても簡単に作れるものになるため、すこし手の込んだメニューを見ると、つい手に取ってしまう。真美が言う。
「やっぱ学食助かるよね。こんなの自分で作る気しない」
杏も同意する。
「生姜焼きか、地味にめんどくさいもんね。あとはもう少し遅くまで営業してくれてるといいんだけど」
「うん、実験遅くなると、お腹空いてくるんだよね」
「遅い時間に食べたら、太っちゃいそう」
「うん、やばい」
席につくと、真美が聞いてきた。
「話って、何」
「うん、カサドンなんだけどさ、院試の勉強、すごく頑張ってるんだ」
「院試、もうすぐだもんね。私も去年の今頃は、超勉強した」
「そもそもさ、カサドン、進学は真美ちゃんのためかもよ」
「まみちゃんずのため?」
「ごまかさないでよ。カサドンの気持ち、わかってるでしょ」
「わかってるけどさ、ワシの嫁はのぞみんだから」
「ん、もう、私、真面目に聞いてるんだけど」
「じゃあ、正直に言うね」
真美は椅子に座り直した。杏も姿勢を正した。
ちょっと間をおいて、真美が口を開く。
「カサドンの気持ちは、正直言って嬉しい。好きと断言できるほどじゃないけど、お試しのお付き合いをしてもいいかなって思うくらいではあるよ」
「だったら」
「だけどね、学年が一つ違うんだよ。私は多分、修士取ったら就職する。カサドンが進学しようがしまいが、卒業が一年ずれる。私が先に卒業する可能性が高いけどね」
「うん」
「私、就職は研究職をねらってる。カサドンだってそうなると思う。そうするとさ、勤務地が同じになんてまずならない」
「うん」
「それ考えたら、私は動けなくてね」
「真美ちゃんが真剣に考えてることはわかった。勝手なこと言ってごめん」
「ううん」
「でもね、カサドンね、泣きながら勉強してるんだよ」
「え」
「私、カサドンをかなりしごいてると思う。でもカサドンは泣きながらでもついてきてくれてる」
「信頼されてるんじゃない」
「そうかもしれないけど、私はやっぱり真美ちゃんだと思う」
「うん」
「カサドンの勝手な気持ちかもしれないよ、でもね、私は先輩として応援してあげたい」
「うん」
「だからね、ちょっとでいいから、カサドンを元気づけてあげられないかな」
「わかった」
翌日午前も、カサドンは過去問の答案を持ってきた。表情は明るい。
「聖女様、ぼく、やりました」
「なにを」
「僕、お盆休みに千葉帰るんですが、真美先輩と夢の国でデートすることになりました」
杏はカサドンとハイタッチした。




