聖女様は受験勉強の指導をする
杏たちが襟裳岬に行ってきた夜、親衛隊・ファンクラブ・まみちゃんず共通の投稿があった。
「聖女様をはじめ女子お三方、襟裳岬にて決意表明 物理で世界に挑む!」
三人並んで太平洋を見る後ろ姿の写真がついている。
杏は月曜朝にその投稿に気づいたのだが、リプライがもう三十もついている。暇人の多さに呆れながら、大学に向かう準備をする。
大学の居室には、いつもどおり八時着。まだ誰も来ていないので自分の研究に集中できる。午前は中性子散乱実験関係だが、まずは修二に質問する内容をまとめる。昨日は休日だし、のぞみの気晴らしが第一目標だから、あえて修二に中性子の話はなにもしなかった。お盆休みまであと一週間。みんながいなくなる前に、一人ではできないことは極力解決しておきたい。
九時すぎ頃、カサドンがやってきた。
「カサドン、いつもより早くない?」
いつも十時すぎなので、杏は声をかけた。
「聖女様、昨日はありがとうございました。最高の一日でした」
「なにか進展があったの?」
「とくになんにもなかったです。ですけど、僕、進学することにやっと決意できました」
「まだしてなかったの?」
「いちおう、進学の方向で準備はしていたんですけど、なにか踏ん切りがついていませんでした」
「そうなんだ。で、なんとかなりそうなの? 札幌の院試、もうすぐだよ」
「そうなんです、聖女様、勉強教えてください!」
杏はあきれた。今更感がハンパない。
「真美ちゃんに教えてもらえば」
「真美先輩はだめです。真美先輩の研究のじゃまはできません」
「なに、わたしのならじゃましていいの?」
「そういうわけではないですけど、聖女様ならなんとかしてくれるんじゃないかと」
「何故」
「だって、聖女様ですよ。迷える子羊をお救いください」
「しかたないなぁ。でも手取り足取りってわけにはいかないよ」
「もちろんです」
「院試の過去問、さがせばどっかに転がってるでしょう。それの添削ならやってあげる」
「ありがとうございます」
杏は一年前の院試の対策では、過去問はあまりやらなかった。ゼミやら輪講やらの勉強で、充分院試の対策になっていた。しかし見たところカサドンはかなり危なっかしい。しかも札幌国立大の院試はお盆休み直前だ。時間が絶対に足りない。こういう場合の特効薬はやはり過去問だろう。
翌日朝十時にいつものように修二と打ち合わせをし、居室に戻るとカサドンが杏の席で待っていた。
「お待ちしておりました。早速やってみました」
「採点終わってんの?」
「いえ、解答無いです」
「つまり、私にも解けっていうの?」
「スミマセン」
「しかたないなぁ。今日中には見とく」
午前中の日課は修二からの情報をもとに中性子散乱実験の勉強だが、今日はカサドンの過去問の出来具合が気になる。ルーティーンを乱すのがいやなので、無視していつもの作業をしようと思うのだが、やっぱり気になる。
「しかたないなぁ」
杏はそう口にして、問題と答案を見ることにした。
まずざっと問題を読む。問題自体は教科書に出てくるような問題で、とくにひねりはない。演習の授業をしっかりと出ていれば、無理なく解けるレベルだ。細かい計算はカサドンの答案を見ながらすることにして、とりあえず解を導く流れを考える。
続いてカサドンの答案を見る。理論研だけあってびっしりと書き込まれているので、そうひどいことにはなっていないようだ。しかし、第一問の解がなんだかおかしい。カサドンの計算を丁寧に追ってみることにする。
杏は自分でも別の紙に計算し、カサドンと食い違うところがあるともう一度計算し、カサドンの間違いには容赦なく赤ペンを入れる。
第二問、第三問、第四問とすべてチェックしたら、答案は真っ赤になった。
勘違い、計算ミス、場合分けの判断ミス、いろいろあった。池田先生にみられたら、カサドンは無事ではすまないだろう。早速カサドンに返すことに決め、カサドンの机に持っていった。
「カサドン、見たよ。おかしいところは赤入れといた。なるべく早めに直したほうがいいよ」
「もうですか、ありがとうございます」
「お昼にしようよ」
「僕、気になるんで、これやり直します」
「そっか」
杏はカサドンをのぞいた研究室のメンバーと学食へ行った。普通に昼食をとって研究室に戻ると、カサドンはさきほどの過去問のやり直しに集中していた。
杏は売店へ行っておにぎりを三個買い、ゼミ室で桑原の淹れたコーヒーをカサドンのマグカップにもらって、カサドンの机に持っていった。
その日はさらに二度カサドンと答案のやり取りをして、やっと全問正解にたどりついた。
翌日も午前十時半にカサドンから新しい答案をもらい、赤入れをして、午前中にカサドンに返した。やはりカサドンは昼食に同行しなかった。杏が昼食から帰ってカサドンの様子を見ると、カサドンはおにぎりを食べながら問題の解き直しをしている。頑張っているなと思って席に近づくと、答案にいくつも水滴がついている。杏の入れた赤も、ところどころ滲んでしまっている。
杏はかけるべき言葉が思いつかず、とりあえずそっとしておくことにした。




