聖女様は相談される
支笏湖へのドライブがよほど楽しかったのか、週明けアラン教授は池田研究室に入り浸っていた。ゼミ室にどっかりと座り、杏を捕まえて車の話をひたすら振ってくる。杏はそれには適当に答えつつ、実験の話を質問していた。アラン教授は重い電子系の権威である。
「アラン教授、最近ウランテルル系が話題ですが、ウラン白金とか、ウランカドミウムとかはもうやり尽くしているんでしょうか?」
「いや、そんなことはない。ただ、どれも超伝導への転移温度が低いので、実験に手間がかかるんだ」
「今回の日本での実験ですが、なにかいい結果は出ましたか?」
「うん、もちろん。でも、どこまで話していいのかな。サカキバラサンに聞かないと」
研究者はお互い仲間であると同時に競争相手でもある。ビジターのアラン教授としては、自分の研究の中身についてどこまで話していいのか判断が難しいのだろう。
そんな会話をしていたら、池田教授と榊原教授が連れ立ってゼミ室にやってきた。
「神崎さん、アラン教授の接待をおしつけちゃって、ごめんね」
榊原教授が日本語で謝ってくる。杏も日本語で、
「いえ、貴重な勉強をさせていただいています」
と返すと、日本語のわからないアラン教授は目を白黒させている。池田教授は、
「神崎さん、こないだの雑誌会の論文、持っといで」
「はい」
居室から論文を持ってくると、池田教授がアラン教授に渡せと目で指示してくる。アラン教授にわたすと、
「ああ、これね」
といいながら、ペラペラめくっている。その間に、池田教授が日本語で言った。
「神崎さん、偏極中性子の実験について話していたよね。それアラン教授にできるか聞いてみれば?」
杏はあせった。提案の形をとっているが、これは事実上指導教官による命令である。しかもアラン教授であるから英語で尋ねなければならない。
「アラン教授、このスピン帯磁率についてなんですが、たとえば偏極中性子とかで実験できないんでしょうか」
「ほう、偏極中性子ですか。日本だと茨城にあるね。あとはグルノーブルにもあるけど、マシンの性能は新しい分だけ日本のほうがいいかな?」
「マシンタイムの確保は大変なんですか?」
「うん、どこの国でも使用の申請を出してから審査があって、審査に通っても一年後とか普通だよ」
「サンプルはどうでしょう?」
「やっぱりウラン系は一番もっているのはロスアラモスだけど、ロスアラモスから外に出すのがむずかしい。それよりも中性子の場合、元素ごとの散乱断面積のほうが問題だ」
中性子線は、元素によって通り抜け具合が違う。銅とかアルミニウムだと、中性子線はほとんど素通りしてしまう。そのため中性子線で内部の様子を探るのは難しい。逆にカドミウムなどは、ほとんど中性子線は通らない。しかも中性子線の速さによってもそれが変わってくるので、実験のしやすさ、しにくさがサンプルによって異なる。そのあたりのことを、アラン教授は散乱断面積という一言で表現しているのだ。
しばらく話して、アラン教授は榊原教授とともに出ていった。ほっと一息ついていると池田教授が、
「アラン教授と話して、どうだった?」
と聞いてきた。
「はい、実験の困難性とかあまり考えたことがなかったので、勉強になりました」
「そうなんだよ。実験屋としては、できるかどうかわからない実験に無駄に時間と金をかけていはいられない。だから理論屋も実験のことを勉強しなきゃいけないんだよ。これかしてあげるから、しばらく読んでみるといい」
池田教授が貸してくれたのは、中性子散乱実験の教科書である。榊原教授の授業では中性子の話は二回でおわり、その後はミューオンとか超強磁場とかの話に移っていたので、教科書はありがたい。
「ちょっと古いんだけど、その分基礎的なことが詳しいよ」
池田教授はそう言って、ゼミ室を出ていった。
杏はそのままゼミ室でその教科書を読んでいたのだが、喉の乾きを覚え、インスタントコーヒーを淹れた。
香りを楽しみながら教科書を読んでいると、声をかけられた。
「神崎さん、ちょっといいですか」
ふりかえると笠井智樹である。
「カサドン、どうしたの?」
笠井の井の字の真ん中に点を打って、カサドンとみんなから呼ばれている。
カサドンは杏が池田研にやってきて、なぜかすぐに懐いた四年生である。ムキムキマッチョのせいか、男にモテるらしい。男にモテた後、それをこまめに杏に報告するのである。決まり文句は「神崎さ〜ん、今日も声かけられちゃいましたよ」である。女の杏に、男のカサドンが男にモテた話をしてなんなのかよくわからないが、いつも嬉しそうに報告してくる。
「神崎さんって、恩田先輩と仲いいですよね」
「恩田先輩って、真美ちゃん?」
「そうです。真美先輩です」
扶桑出身の杏は先輩でなく、札幌出身の真美は先輩なのかも、と関係ないことを考えつつも、聞いてみた。
「まあ、たまに飲んだりするくらいだけど、真美ちゃんがどうしたの?」
「い、いやぁ~、ちょっとお話してみたいかな、と」
「は、はい?!」
変な声が出てしまった。カサドンはBL系ではなかったらしい。言いたいことというか、カサドンの気持ちはわかったが、少し聞いてみた。
「まあ、いいけど、なんで?」
「去年ですね、ぼくが三年になって物理に入ってですね、授業とかでたまにみかけるんですよ、真美先輩」
「うん、そうだろうね」
「真美先輩って、かっこいいじゃないですかー。それにこないだの雑誌会もかっこよかったし」
何がかっこよかったのかよくわからないし、M1の間で仁王様などと呼ばれていることも黙っておこう。
「去年からってことは、カサドン何で表面行かなかったの?」
「それは、恋愛は恋愛、学問は学問じゃないですか」
「本当?」
「本当ですよ」
「ホントに本当?」
「だって同じ研究室で玉砕したら、もう居場所ないじゃないですかぁ!」
ちょっとかわいそうになってきた。それにしても相談相手がよりにもよって杏とは、理解し難い。それをそのまんまカサドンに聞いてみたら、
「えー神崎さん、モテモテじゃないですか。親衛隊とか」
「やる気なくなった。自分でやれ」
「聖女様、おゆるしを」
「完全にやる気なくなった」
予想していなかった訳では無いが、四年生にまで自分の呼び名が広まっている現実をつきつけられると、人の恋愛相談など知るか、という気分になってしまった杏である。カサドンが必死に謝りお願いしてくるが、無視を続ける。
しばらく無視して教科書を読んでいたら、ゼミ室の外で何人かこちらを覗き込んでいる人がいる。さすがにマズい。
「しかたないわね、そのかわり参謀を呼ぶわ」
「ありがとうございます。参謀って誰ですか」
「緒方のぞみ」
「のぞみんですか」
「あんた、まさかファンクラブ入ってないよね」
「入ってます」
「浮気者!」




