聖女様は新しい仲間を得る
榊原教授の授業の後、何人かのM1で学食へ行った。
杏は平日の昼食はすべて学食でとっており、メニューを考えるのもめんどうなので、最近はいつも日替わりランチである。学食入り口に掲示があり、今日のメインディッシュはきゅうりのフライである。
「きゅうりのフライって、何?」
杏は思わず声にしてしまった。
「『きゅうり』って魚の名前だよ」
だれかが教えてくれたので、振り返る。
「においがね、きゅうりみたいなんだ」
「そうなんだ」
この人さっき教室にはいたけど、誰だろうと杏が思っていると、それが顔に出ていたのか、
「私、長谷川研の恩田真美。表面物理やってんだ」
と、自己紹介してくれた。
「扶桑女子大から来た、神崎杏です。池田研で物性理論です。どうかよろしく」
「扶桑女子って、川崎だっけ。私はね、大学から札幌だけど、もとは千葉なんだ」
「へぇー。あ、あっちの緒方のぞみも扶桑女子大」
「緒方でーす。のぞみ、でいいよー」
そのまま女子三人で、日替わりランチの列に並ぶ。
「私ね、神崎さん、緒方さんが来てくれて、ほんと嬉しいんだ」
「のぞみでいいよー、あははー」
「あははー、でね、物理って女子ほとんどいないでしょ。一人になるかって、覚悟してた」
「扶桑は女子大だから、実は私も不安だった。のぞみが来るってきまってほんと嬉しかった」
杏たちがランチを持って移動すると、すでに料理を取っていた修二や明が席をとっている。明に至っては手を振っている。
男子たちのいるテーブルで、なんとなくみんなで自己紹介し合う。
杏の所属する池田研からは、杏と田村幸一。のぞみの所属の網浜研からは、のぞみに鈴木康太、佐藤真一。修二のところは榊原研で、修二に加えて、吉川翔馬、木村啓介。恩田真美の長谷川研は真美と徳永正道。物性の理論と実験のM1が十名も集まってしまった。なぜか明が同席している。
「岩田くん、こっちでいいの? 素粒子とか原子核とか」
のぞみがそう言うのだが、明は、
「関東勢でおれだけのけものにしないでよ。恩田さん、よろしく」
と言う。真美は言う。
「よろしくーと言いたいとこだけど、ほんとにいいの」
「うん、あいつらとはすでに付き合いあるし」
徳永が訊いた。
「女子がいるからじゃないのー?」
「そういうのは、修二に聞いて」
杏が修二の方をみると、うつむいている。なんだか顔があかい。
話をずらそう。
「恩田さん、さっき表面、って言ってたよね」
「真美でいいよ」
「真美さん」
「ま み」
「真美ちゃん」
「まあ、いいか」
「で、真美ちゃん何やってるの?」
今まで、塊としての物質の性質の勉強ばかりやって来た杏としては、その表面を扱う分野が物珍しかった。
「うーん、私はね、超高真空状態で、金属表面がどうなってるか調べてる」
「ほうほう」
「どんな原子が吸着されるのかとか、電子状態がどうなってるのかとか」
「なるほど」
「ていうか、神崎さんって、超伝導でしょ。あんまり関係ないかもよ」
「聖女様って呼んであげて」
のぞみが余計なことを言う。
「うるさい。でもさ真美ちゃん、表面ってある意味二次元でしょ、私は低い次元での物性に興味があるのよ」
「ええー、なんで」
「高温超伝導体って、ある種の次元性の低さがカギになっている気がしているんだよね」
「そうかー」
「カンだけどね。とにかく色んな経験をつみたいんだ」
「熱心だね」
「聖女様はね、修士取って博士取って、研究者になりたいんだよ。だから何でも興味があるんだと思う」
のぞみが割り込んできた。
「人の人生勝手に決めないでよ。あってるけど」
真美が言う。
「女性で研究者目指すって、すごいね」
実のところ、杏は他の道をほぼ考えてこなかったので、
「そうかな、ほかはあんまり考えてない」
のぞみが言う。
「聖女様はさ、大学入ってから物理一本だもんね」
「いやいやー」
杏が照れると、のぞみが急に口調を変えた。
「聖女様、そんなこと無いか」
「どういうこと?」
真美が食いついてくる。のぞみが目を細めて、
「聖女様はさ、こう見えてもモテるんだよ」
などと抜かす。杏は危険を察知して立ち上がる。
「そろそろ、午後の準備を……」
しかし、真美は許してくれなかった。
「そこのところを詳しく」
「と、特に無いよ」
男子がいる前で言えるわけがない。のぞみが助け舟?を出してくれた。
「真美ちゃん、女子会やろう!」
真美が喜んだ。
「うん、いいね! 女子会!」
杏は、勝手にやれ、と思っていたが、のぞみが言う。
「今週金曜日、聖女様の家でやろう!」
「へ? なんで? どっか美味しいお店で」
のぞみは許してくれなかった。
「聖女様、あんたには前科がある」
「前科ってなーにー?」
「ぜ、前科って何よ? そんなの無いわよ」
「いや、証人は二人もいるんだけど」
杏は修二と明の方を見た。修二はうつむき、明は目をキラキラさせている。杏はこれはだめだと、とにかく逃げることにした。
そういうわけで、女子会の金曜日がやって来た。いつもの杏は、夕食を学食でとり、大体九時くらいまで居残るのであるが、今日は池田教授に言って四時に研究室を出た。一旦帰宅し、車で大学に戻る。院生は校内に車で入れないから、正門の近くに停車して待っていると、すぐにのぞみと真美がやって来た。
北海道に長い真美とスーパーに行って美味しいものを買い、杏の部屋に三人でお泊まりの作戦である。
スーパーで買ったものは、ラム肉、ジンギスカンのたれ、野菜類、北海道限定のビール、ワイン、そのほかツマミ類である。杏は食べたくないが、真美は瓶詰めになった魚介系の漬物をプッシュしていたので、のぞみがOKした。
「朝ごはんはこれにしよう」
と真美が選んだのはカップ焼きそば。お湯を捨てずにスープになるものである。
真美が杏のアパートについて驚いていたのは、その広さである。
「すごーい、二部屋もあるー」
「でもね、大学から遠いし、築も古いんだよ」
「わたしもこうすればよかったー」
次に、勉強机である。
「なにこれ、大きい」
「でしょうー、私もこれは真似した」
のぞみがのっかってきた。
「実はこれ、ダイニングテーブルなんだよ」
杏が説明すると、真美は、
「真似したいけど、部屋にはいるかなぁ?」
などと言っている。
勉強机で肉を焼いたが、椅子は一つしか無いので、三人とも立って食べた。自然と笑ってしまう。
肉のあとは寝室に移り、床に座って飲むことにする。
「これなら、つぶれてもその場で寝ればいいから、楽でいいや」
のぞみが言う。真美が聞く。
「潰れるまで飲むつもり?」
「聖女様が危ない」
そこから杏の過去の悪行を、のぞみが真美にバラした。
真美が杏の顔を見て切り出す。
「こないだの話の続きなんだけど」
「なんの事?」
杏はわかっていたが、知らんぷりをすることにした。
「大学時代、物理一本じゃなかったって」
「私は、物理一本だよ」
のぞみが割り込む。
「あー聖女様はどうせ口を割らないよ。でも、私が知ってる」
「なになにー!?」
真美とのぞみが盛り上がりだした。
「あの窓のところにさ、ぬいぐるみが3つあるでしょう?」
緑のカッパ、ピンクのカッパ、白い鳥のぬいぐるみである。片付けておけばよかった。
「あのうちの一つ、男からもらったんだよ」
「えー、東京の人?」
杏はたまらず、
「のぞみ、言ったら絶交する」
「えー、絶交は困るなー」
真美は、杏に直接攻撃してきた。
「聖女様、教えてー」
真美も杏を聖女様呼びするのが定着してしまっている。そして立ち上がって窓のところへ行った。
「どれもらったのー?」
真美が聞いてくるが、杏は黙秘することにする。
「これー?」
いきなりピンクのカッパを指さした。杏が黙っていると、真美はのぞみの方を向いて目で尋ねている。
「言うなよ」
杏は聖女様らしからぬ物言いで、のぞみを止める。危なそうなので、手で口を塞ぐ。
「これかなー? これかなー?」
真美は、緑、ピンク、白の順にぬいぐるみを指さしている。杏はのぞみの口を塞ぎながら、なるべく無表情を装う。
しばらくして真美は、「私、わかっちゃった」と言った。
「聖女様さ、ピンクのカッパと鳥のぬいぐるみのときは目が泳ぐんだよね。ということは、この緑のカッパだ!」
「ちがいまーす!」
杏は、なんとか乗り切れたと思った。
しかし、甘かった。
「ちがってたのは私だわ」
のぞみが言い出した。
「男に買ってもらったのは二つだ―!」
そのあとはのぞみの思いつきで、ネット会議を使って、真美に優花を紹介したりした。
そのほか他愛のない話を延々としたが、今回は杏は記憶をなくさずに済んだ。




