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聖女様は実験の研究室を訪ねる

 ゼミ室にずらっと集まったメンバーに、杏は自己紹介する。

「神崎杏です。扶桑女子大から来ました。扶桑では、超伝導のBCS理論を勉強していました。まだまだ現代の理論に追いつけていませんが、がんばりますので、どうかよろしくお願いいたします」

 パチパチパチと、拍手され、つづいて元々のメンバーの自己紹介になった。


 一通り挨拶が終わったところで、池田教授が

「神崎さん、同期の田村くんに言ってあるから、午前中必要なところを教えてもらって」

と言ってくれた。

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

「同期だから、タメ口で大丈夫だよ」


 ということで、その後理学部ツアーになった。


 池田研のとなりは赤澤教授率いる赤澤研である。夏の院試の際、いろいろとお世話になってしまったのでしっかりと挨拶する。専門は素粒子論である。さらに隣が宇宙論の斉藤雅彦教授の研究室で、挨拶に出向くと岩田明が手を振っていた。

 廊下に再び出たところで、田村が話しかけてきた。

「さっきの人、知り合いなんだ」

 杏は、隠しても仕方ないと思い、

「うん、帝大から来た岩田明くん。あと、帝大から榊原研の唐沢修二くん、扶桑女子大から網浜研の緒方のぞみは、友達。去年の『実験物理 若手の学校』で実行委員だった関係で知ってるの」

 合コンのことは黙っておこう。


 階段を降りると、物性実験系の研究室の居室がある。杏のいる池田研は理論であるが、実験の研究室と連携をとることもあるので、挨拶しておいたほうがいいとのことだ。


 階段脇が網浜俊雄教授の網浜研究室である。網浜教授は高温超伝導体の試料作成も手掛けている。杏の専門分野も超伝導だから、なにかとお世話になるだろう。ノックし入室すると、網浜教授がいた。田村くんが紹介してくれる。

「失礼します。網浜先生、こちらが池田研に今度きた、神崎杏さんです」

「あー君、神崎さんね。うちの緒方さんと一緒の大学だったんだよね」

「はい。あの、先生、私高温超伝導を勉強したいと思って札幌に来たんです。いろいろと教えてください」

「うん、池田先生とも協力してやってるから、こちらこそよろしく」


 のぞみはのぞみで、学内を見学中らしく不在であったので、つづけて榊原研を訪問することにする。


 網浜研のとなりが榊原正俊准教授の榊原研で、またも田村くんに紹介してもらう。

「神崎杏です。よろしくお願いします」

「うん、よろしく」

「榊原先生、先生は中性子も手掛けてらっしゃるんでしたよね」

「うん、よく知ってるね」

「昨年、扶桑女子大のゼミで論文を取り上げさせていただきましたので」

「ああ、そう、で、どうだった?」

「はい、先生のお立場は、格子振動が超伝導をもたらしているということですよね。でも、超伝導相になったせいで格子振動に影響が出たと考えられなくもない気がしたんですが」

「そう、そこなんだよ」

「そうですか、私の理解が足りなくて誤解していたんじゃないかと心配だったんです」

「だからあの実験は決定的な結果がでているわけじゃないんだ。また工夫してやるつもりだよ」

「どうするんですか?」

「単結晶でやってみたい」


 物質を合成するとき、多くの場合、1ミリもない小さな結晶がたくさん集まったものとしてできてしまう。これを多結晶といい、鉄板とか一円玉とかはそうだ。それに対し、一つだけの結晶を何センチとかの大きさにしたものを単結晶という。水晶の結晶がそうだし、パソコンのCPUなんかも単結晶から切り出して作られる。

 実験の内容にもよるが、物質の性質を探る上で単結晶試料のほうがわかりやすい結果を与えることが多い。しかしながら試料の作成は、多結晶よりも単結晶のほうが圧倒的にむずかしいのだ。


「もう手に入ったんですか?」

「いや、自分じゃ作れないんで、網浜先生にお願いしている」


 現在の科学は分業化がすすんでおり、一つの研究でも、試料をつくるひと、中性子線を用いた測定をする人、その他の測定をする人が別れていることも多い。だから、一つの論文の著者が十人ちかくになっているものも結構ある。


「先生、私、ちゃんとわかっているわけじゃないんですけど、高温超伝導体って、二次元性が強いですよね」

 二次元性が強いというのは、電気伝導をになっている面が積み重なって高温超伝導体という物質ができていることを、杏は言っている。

「そうだね」

「中性子で、面間の相互作用を探れないですかね。圧力をかけたりとか」

「なるほど、でも、データがとりにくいかな」


 そんな話をしていたら、修二がやってきた。杏同様、学内ツアーをしていたらしい。

「やあ、神崎さん」

「こんにちは」

 榊原教授は驚いたようだ。

「何だ君ら、知り合いか?」

「なんでも、神崎さん、唐沢くん、緒方さんは『実験物理 若手の学校』で実行委員だったそうですよ」

「ほう、理論の人が感心だね」

「私、本当は実験希望だったんです。でも実験が致命的に苦手で……」

「そうか、じゃあ、こんどうちに覗きに来るといいよ」


 このとき杏は、榊原教授が神に思えた。高揚した。世界が明るく見えた。


 しかし杏は、視界のすみで、修二が顔色を変えているのに気づいてしまった。それでも修二が黙ってくれているのをありがたく思う。


「あれ、唐沢くん、どうしたの?」

 さすが実験家、榊原教授が修二の様子に気づいてしまった。

「いや、べつに、何でもないです」


 杏の視界は一気に暗くなってしまった。実験が失敗だらけになってしまう「聖女効果」を思い出してしまったし、なにより修二が自分を気遣ってくれているのが申し訳ない。ここは自分から……

「榊原先生、本当は私、実験が下手なんていうもんじゃなくて、すべての実験に失敗してしまうんです」

 涙腺がやばい。

「なので私、実験に近づかないほうがいいみたいなんです」

「そんなことあるの、パウリじゃあるまいし」


 杏はついつい下を向いてしまう。でも、それではいけないと思い顔をあげると、修二は完全にうつむいてしまっている。自分からこれ以上「聖女効果」について話せるとは思えないし、修二に言わせるわけにはいかない。


「あ、あの、詳しくは網浜研の緒方のぞみに聞いてください。し、失礼します」


 逃げてしまった。

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