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聖女様は大学院生活を始める

 月曜朝、杏はアパートで目を覚ました。まだ三月で正式には大学院入学前だが、指導教官の池田教授に呼ばれている。やっと札幌での研究生活を始められる。一気に頭がすっきりした。


 今朝の札幌は晴れである。放射冷却のせいで、とても寒い。寒さに耐えながらも、まずは不燃物のゴミ出しをする。外に出ると、息が白い。部屋に戻り、トーストとカフェオレの簡単な朝食をとる。


 ダウンを着て、毛糸の帽子、毛糸の手袋を装備して、大学へ向かう。

 二日前に降った雪は、まだ気温が上がってこないので解けていない。そのぶん滑るので、うつむきながら歩いてしまう。歩いているうちに、体が温まってくる。体温の上昇と、今日への期待の上昇と、比例しているように感じる。


 札幌の街並みは、道路と道路が直角に交わって、碁盤の目のようになっている。杏のアパートから研究室まで直線では行けず、何回か直角に曲がらないといけない。基本的にすべての交差点が直角なので、遠回りしない限り、どの経路で行っても通学距離は変わらない。

 杏は小学生の頃、このように直角に交わる街路をすすむとき、不思議に感じることがあった。

 碁盤や将棋盤上で、正方形のある頂点から、対角線の反対側の頂点まで向かうとき、盤の線上を遠回りしないで進むことにすると、どの経路をとっても移動距離は変わらない。盤の端の線上をまっすぐ進み一回だけ直角に曲がろうが、線の交点に出会うたび直角に曲がろうが、移動距離は等しい。

 曲がる回数をどんどん細かくしていっても、移動距離は変わらないはずである。

 ところが、曲がる回数を無限にふやしてしまうと、移動経路は対角線になってしまい、結果として移動距離が短くなる。

 杏はこれが不思議でならなかった。いくら考えても小学生の頭ではどうにもならなかった。

 札幌の街路を歩きながら、そんなことを思い出しているうち、創成川を渡り、西区に入る。


 やがて札幌国立大学の敷地につきあたるが、杏はイチョウ並木のある門を通った。

 まだ三月であるからイチョウの葉はまだない。


 すこし雪の残る学内を歩くと、理学部棟にたどりついた。少し時間が早いのか、知り合いに会わなかった。手袋をずらして腕時計を見ると、九時二十分であった。

 建物の中に入れば暖房が効いており、暑く感じてダウンを脱ぐ。


 池田研究室は三階の西の端である。ドアは空いていたので、声をかけて中に入る。

「失礼しまーす。神崎杏でーす」

 

 入ると、応接セットがあり、その向こうの事務机に池田晋一教授が座っていた。

 池田教授は立ち上がって迎えてくれた。

「あーいらっしゃい。早かったね」

 聞けば院生や四年生は十時過ぎにならないとこないそうだ。そのあたりの事情は扶桑女子大も似たようなものだったから、納得してしまう。

「神崎さんのデスクは、こっちだよ」

 池田教授は、今いた部屋から出て、廊下の反対側のドアを開ける。

「こっちが、院生・学生の居室。居室はもう一つあるけど、神崎さんはこのデスク使って」

と、パソコン一つだけが置かれた事務机へ案内された。背負っていたリュックを置き、ダウンを椅子の背にかける。ハンガーを持ってきたほうがいいだろう。

「今日は、このスリッパ使ってて。みんな室内ではサンダルに履き替えているよ」

 さらに池田教授は部屋を出て、隣の部屋へと杏を案内する。ビニールのテーブルクロスがひかれた大きなテーブルと丸椅子がいくつもあり、壁際の小机には電気ポットやらコーヒーセットやらがある。

「ここはゼミ室。あとね、お茶代は月千円だから、桑原くんに払っておいてね」

 国立大では、経費で嗜好品など個人で使うものは認められないのだ。

「うちは、部屋はこれだけだよ。とりあえずデスクでまっててよ。そのうちみんな来るから」

「ありがとうございます。それにしても広いですね」

「神崎さんは私学出身だもんね。国立だとこんなもんだよ。これでも建て替えで少し狭くなったんだよ」

 北海道だから特別と言うことではないらしい。とにかく、自分のデスクの荷物整理をすることにした。


 杏の居室には窓に直交する二つの壁に沿って事務机が3つずつ並んでいる。杏の席は窓際で、遠くにポプラ並木が見えた。他の五人の机には、教科書、論文のコピーなどが置かれているが、きちんと積み重ねられている机もあれば、机の表面が見えないくらい混乱しているものもあった。どんな人が来るのか楽しみだ。

 杏自身はまだ何もなく、持ってきた文具と教科書を並べるだけで、殺風景である。なにかしらかわいいものを置いておきたいが、河童のぬいぐるみは大きいし、入手の経緯も人に話せるものではない。

 とりあえず、パソコンの電源を入れてみた。


 やがてパラパラとメンバーがたちがやってきたので、ゼミ室で顔合わせとなった。まだ三月ではあるが、研究室としては新学年として動いていた。メンバーは

 教授 池田 晋一

 PD 桑原誠

 PD ケン=ウィルキンソン

 D3 川口 辰朗

 D1 吉田 勇

 M2 関根 孝

 M2 山崎 勇気

 M1 田村 幸一

 M1 神崎 杏

 B4 笠井 智樹

 B4 本田 光太郎

の計十一名である。PDとはポストドクトラルで、博士号を取得した直後の任期付きの研究者である。ポスドクと略される。D3とかD1は、博士後期課程の三年目、一年目。M2、M1は修士課程(博士前期課程)の二年目、一年目。B4はふつうの大学四年生である。


 分かってはいたが、研究室は男だらけである。女子大育ちの杏は、女子一人でこれだけの男子を前にしたのは初めてで、少し戸惑ってしまった。

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