聖女様は新居をさがす
卒業を間近に控えた二月下旬の土曜日。杏は両親とともに札幌に来ていた。
卒論提出もすんで、大学受験シーズン終了前に大学院生活を送る新居を決めておきたかったのである。別に一人で来てもよかったのだが、父が一人娘を心配して、半ば強引に同行してきた。母はそれにのっかって、旅行気分である。
羽田を朝一番の飛行機で立ち、土日の一泊二日である。もっと早く来たかったが、雪まつり中は宿など取れない。
千歳でレンタカーを借り、父の運転で札幌へ向かう。車好きの父は上機嫌である。
真っ白な高速道路を快調に進む。楽しげに運転する父の横顔に、杏は考えてしまう。
父がついてきたのは、娘の新居を心配するよりも雪道を運転したかっただけなのか。
こんなに上機嫌なのは、娘の独り立ちの寂しさよりも運転の楽しさのほうが打ち勝つのか。
一時間ほどで市内に入り、高速を降りる。雪国札幌は、今日も小雪が舞っている。
川崎にいるうちに、ネットで下調べはしてあった。杏の考える条件は研究室から徒歩二十分以内である。ネットでそれだけの条件で検索していたら、父が文句を言った。
「女性専用でなければだめだ」
それもそうかと思い、検索条件を絞る。
「駐車場付きじゃないと」
父が更に口を出す。父の顔を思わず見ると、父は言う。
「駐車場別だと、雪の日車までつらいぞ」
ありがたくその意見を入れ、検索条件をさらに絞る。
一気に検索件数が三十件ほどとなった。
その中で、東区役所の近く、築はかなり古いが女性専用の物件があった。ネット地図で調べると、研究室までほぼ二十分で行けそうだ。狭いがリビングとベッドルームがあり、駐車場込みでも月五万円をきる。東京・神奈川では考えられない安さである。さっそくネットで不動産屋に予約を入れた。
予約済みの不動産屋に行く前に、少し近辺を車で流す。下調べ済みのスーパー、コンビニなど確認していく。真っ白な景色の中、見える物が遠くに感じる。そのように口にすると母が、
「北海道だから、道路も広いのよ。除雪のためにも広さが必要なんだろうね」
と言う。夏には分からなかった北国の暮らしが、やっとわかってきた気がする。
不動産屋の駐車場にレンタカーを置き、不動産屋の車で物件を見に行く。目当ての物件にすぐ着く。
女性専用アパートだけあって建物入り口にセキュリティーロックがあり、外部の者は入れない作りだ。不動産屋によると男性で立ち入りできるのは親族のみとのこと。
「彼氏さんでもだめですよー」
不動産屋はふざけ気味に言うが、父は満足げだ。行き遅れても知らん。
部屋はきれいであり、コンセントもたくさんある。暖房は石油を人力で持ち上げなければならないらしい。それくらいは我慢しよう。
他二件ほど回ったが、結局最初の物件に決めた。杏は白くぬられたかわいい建物が気に入っていた。
あっさり決まってしまったため、時間があまった。とりあえず昼食をとることにする。北海道系のファミリーレストランに車を止めた。
父と母は、海鮮丼にした。二人とも目が輝いている。杏はとんかつにした。
「あんたは北海道に住む意味がないねぇ」
と、母に言われてしまうが、
「私は研究に来るの」
と、当たり前のことを言い返しておいた。
午後は、両親の見たいという大学へ行くことにする。一般車は入れないため、ホテルに早めにチェックインし車を置いて徒歩で大学へ向かう。雪模様だが、杏はこれから毎日のことだからと文句を言わないことにする。運転できない父は不満げだが、母はどこかはしゃいでいる。
構内の広さに、やはり両親は驚いている。雪道を右を向いたり左を向いたりしながら歩くので、なかなか前に進まない。同様の観光客もそこかしこに見える。
「今日は誰もいないから、中は入れないよ」
うそである。どうせ院生はみんないるだろう。杏は両親をつれて学内見学をしていることが恥ずかしく、物理のメンバーにバレないよう、予め釘をさしておいた。
それでも理学部棟の前までは行って、両親に建物をみせる。既に薄暗くなり始めているので、来た道を引き返す。正門前で母のたっての願いで売店に入った。
母がTシャツの前で「ああ、これねー」とか言っている。父はネクタイが欲しそうだ。
そして、小鳥のぬいぐるみの前で両親が立ち止まった。私も買おうかなどと、母が言う。誰に買ってもらったかなどとても言えない。この場から二人を引き離すべく、杏は自分の財布で父にネクタイ、母にストールを買うと言った。両親への感謝ということにする。色を選んでもらいレジで代金を払おうとしたのだが、父に強引に万札を出されてしまった。
冬の札幌の昼は短い。売店を出たら真っ暗である。駅に行き、地下街に入る。暖かく、体がほぐれるのを感じる。しばらくウィンドウショッピングをした。夕食はジンギスカンにした。結構疲れたので早く寝る。両親は缶ビールを飲みながら、小さな声で何事か話していた。
目が覚めれば朝食である。前回の北海道では朝食は結構楽しめた。ビジネスホテルなので豪華ではないが、質より量という感じた。おじさんたちだらけだったが、ふしぎとみんなソーセージをトレーにたくさん取っていた。今回はふつうのホテルなので、量より質であるに違いない。レストランに行く。浴衣というわけにもいかず着替えなければならないが、そこで母は今朝の服を出してきた。
大学名の入った緑のTシャツ三枚である。
院試の際お土産に買ったTシャツを、母はわざわざこのために持ってきていたのだ。母は言う。
「暖房暑いくらいでしょ」
それはそうだが恥ずかしい。しかし喜々として着込む父の姿を見て、杏は覚悟をきめた。
日曜日は、もともと新居選びの予備日のため、何も予定は無い。時間をたっぷり取るため、飛行機は夜の便だ。両親は小樽へ行こうと言う。昨晩両親は話し合いして、今日の旅程を決めていた。
時間の確実性を高めるため、いったん千歳へ車を返しに行く。千歳から特急で小樽へ行くのだと言う。たしかに車は降雪状態により時間が読みにくいから、この案は合理的だ。
車を返して昼前に小樽についた。食事時間をケチれば、それなりに見て回れるだろう。
まずはやはり運河に来た。夏は倉庫の壁に緑の植物が這っていたりした。今はすべてが真っ白である。札幌より日本海に近いからだろうか、降雪の量が大幅に多い。
「運転できないのは残念だけど、汽車で来て正解だった」
父すらそういう。雲の向こうの太陽は南中しているはずだが、なんだか薄暗い。
運河を見ていて、夏の小樽の一日を思い出した。つい半年前のことなのに、とてもとても懐かしい。写真を取り、みんなにSNSで送る。修二だけに送る勇気は、杏にはない。
帰りの飛行機、両親は疲れたのか眠っている。杏は少しでも勉強しようと輪講の資料を取り出した。いつもならどんな状況でも数式を前にするとのめり込んでいけるのだが、今日はなぜかできない。しかたなく、昨日今日の出来事を思い返す。
父の運転する車の中ではしゃぐ母。杏の新居選びに本人よりも真剣な父。大学名の入ったTシャツを嬉しそうに着込む両親。杏は自分がどれだけ愛され、どれだけ進学を喜んでくれているか、身にしみた。もう少しで自分はこの二人から巣立っていかなければならない。少し寂しくなった。




