聖女様はおしゃれしたい
北海道から帰ってきて、杏には忙しい日々が待っていた。
輪講はいつもどおりある。札幌国立大学以外にも二つ院試に出願していたので、その受験もある。札幌の発表は月末であり、他学の院試は札幌の発表前なので、辞退できない。特に受験勉強をする訳では無いが、純粋に時間と労力がとられる。九月はじめには「実験物理 若手の学校」があり、その準備も無いわけではない。このように多忙な杏なのだが、ここに来て新たな研究分野を見つけてしまったのである。
北海道で、杏、修二、明はお互いスマホで写真を撮り、SNSで共有していた。明が撮りやがった修二とのアップめのツーショットなど、消されてしまわないようとっとと自分のスマホに保存しておいたが、ちょっと自分のすっぴんが気になった。さらに全身が写っているものをみると、すべて無地のTシャツにストレートのGパンである。足元はただのスニーカーである。おまけにTシャツの色が薄い日など、下着がうっすらと見える。
ともに写る男子二名は、なんだか清潔感のなかに光るものがあって、いい感じに写っている。合コンの時ダサさがウソのようだ。もしかしてこいつら、あのあと努力したのではないか? それに対しうら若き女性たる自分はこれでいいのだろうか?
つまり新しい研究分野とは、ファッションである。
杏はまず考えた。自分は女子大生である。天下の扶桑女子大であるから、良いお手本は学内にいくらでもいるであろう。というわけで、翌日昼食時、他の学生のファッションを見学させてもらうことにした。
しかしこれは失敗であった。夏休み中である。わざわざ大学に来ているのは、三つのカテゴリーの人間である。
まず体育会。ほぼスポーツウェアであるから、なんの参考にもならない。
つぎに切羽詰まっている連中。何が切羽詰まっているのか人それぞれであろうが、ファッションに気を使う余裕などあるわけがない。
最後に、いつも大学にいる連中。杏はこれにあてはまる。残念ながら同じカテゴリーの他の学生たちも、ファッションは杏とどっこいどっこいである。酷いのになると白衣のままである。
無駄な分析力を発揮しながら、杏は途方に暮れた。優花やのぞみに相談すると何を言われるかわからないので、資料を集めることにする。生協に行けば、ファション雑誌などあるであろう。
その生協であるが、色々とファッション雑誌があって、どれがいいのかわからない。仕方なく手近なのを開くと、やたらとカワイイを強調しているようで自分には痛々しいように感じる。うーむとうなりながら見ていると、肩を叩かれた。
優花である。会いたくないやつにあってしまった。
「あんたならこれ」
と、手渡されたのは、先程の雑誌より明らかにターゲットの年齢層が高い。でもたしかにそうかなと考え、レジで購入した。
優花は言う。
「聖女様、明日午後、買い物に行こう」
スマホをいじりながら、優花は更に言う。
「軍資金、しっかり用意しなよ。上から下まで、ぜんぶやんなきゃだめでしょう」
流石は長い付き合いである。杏の考えは全てお見通しのようだ。
「勉強もあるんだけど」
一応言ってみた。
「ゼミみんな、休みでしょ」
夏休みは就職組、進学組それぞれ色々あるので、宮﨑准教授はゼミをすべてストップしてくれていた。
「のぞみも呼んだ」
もうおまかせするしか無い。でもこれだけは言っておく。
「男子は呼ぶなよ」
「わかってるって」
その日杏はいつもより早めに帰宅し、雑誌を見てみた。大人っぽいモデルが来た服は、自分にも似合いそうな気がする。問題は金額だった。夕食時に母におねだりしてみよう。杏は覚悟を決めた。ちょうど今日は父はまだ帰宅していない。
「おかあさん、すこしお金かしてほしいんだけど」
日頃そんなことを言わない杏に,母は少し驚いたようだった。
「何につかうの」
「服買いたい」
「ん」
食事中ではあるが、母は席を立って父の書斎へ行ってきた。
戻ってきた手に、一枚のカードとボールペンを杏に差し出す。クレジットカードの家族会員カードだ。
「裏にサインして。限度額は三十万、暗証番号は……」
母は事務的に指示してくるので、杏もそれに従う。
「前にね、お父さんがいずれ必要だからって、つくっていたのよ。就活がなかったから、渡しそびれてた」
「ありがとう、ちょっとまってて」
杏は自室から、雑誌を持ってきた。食事中ちょっとお行儀が悪いが、父の席に雑誌をひろげ、母と読んだ。
「いい本じゃない、あんたよく選べたね」
「優花にえらんでもらった」
「なるほど」
「明日、優花とのぞみと一緒に行ってくる」
「じゃ、安心だ」
母は、杏のファッションセンスを信じていないらしい。
翌日杏は、自分なりに一番オシャレな服を着て待ち合わせに臨もうとしたが、暑い。あまり選択の余地がない。
結局トップスは肩の出たデザインのTシャツ、ボトムスはなるべくよれていないGパンになってしまった。せめてもと母の指導で薄くメイクし、パンプスを履いた。バッグは母に借りる。
場所は横浜郊外の大規模ショッピングセンターである。母に車で送ってもらい、待ち合わせのカフェに行く。優花とのぞみは夏のアイスドリンクを飲みながら待っていてくれていた。
「ごめーん、遅くなっちゃった」
「あー聖女様」
といったところで、二人に上から下までジロジロ見られた。
「やればできんじゃん」
「メイクうまいね」
ほぼ母にやってもらったとは、とても言えない。
三人でショッピングセンターを歩く。ときどきのぞみがフラフラと店に入っていこうとするが、その度に優花に止められていた。杏としても、物理的にキラキラ光っているような店はちょっと敬遠したい。
優花の連れて行ってくれた店は、なんとなくベージュ系の色合いが多い店で、店員もちょっと自分たちより年上の感じであった。
「聖女様はこんなののほうが似合うと思う」
優花の示すマネキンを見て、杏も同意する。すると優花は店員に告げた。
「これとおんなじの、全部この子に着せてみたいんですけど。上から下まで」
杏はその買い方に驚いたが、同時に納得もしていた。店のイチオシの組み合わせだから、間違いはないだろう。
試着してみて、自分でも気に入り、カードで買う。
「次は靴だね」
のぞみが言う。確かに服にあう靴を持っていない。
結局半日がかりで、傾向の違う店を三つ回り、靴もサンダルを含め三足買った。荷物もすごいが金額はもっとすごい。どこかのお嬢様になった気がした。
「今日はほんとうにありがとう」
優花とのぞみは何も買っていなかったのに、延々とつき合わせて申し訳なく、優花は礼を言った。
「いやいや全然」
「むしろ思いっきり買い物できて、楽しかったよ」
「きれいな聖女様みれたしね」
「そうそう」
杏は気が楽になった。ただ、荷物の量を考え、母に迎えに来てもらうことにし電話した。二人は車で送らせてもらうことにする。
母を待つカフェでは流石に杏のおごりにした。強制的にケーキも食べてもらう。こんなことで感謝しきれないのだ。
やってきた母は荷物の量に驚いていたが、金額については何も聞かなかった。優花とのぞみを送る車中で母は運転しながらこう言った。
「今夜はファッションショーね」
実際帰宅後、杏は新調した服を着せられ、母にスマホで撮られた。親戚に写真を送るらしい。




