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聖女様は受験勉強しない

 よその大学の大学院を受験するというのは、結構不安なものである。


 多くの大学四年生は自分の大学の院に進学する。その場合、四年次の研究をそのまま院でも継続できる。他大学に行ってしまうと、基本的には研究は一からやり直しである。研究をするものとして、たった一年で研究内容を切り替えるのは心理的障壁が高い。


 また、大学院入試の合格の出し方も特殊である。合格ラインは物理なら物理で共通ではないと思われる。研究室単位で希望者をリストアップし、得点の高いものから順に合格を出していると考えられる。実験系の研究室にいる学生は、実験という手作業にかなりの時間を取られるため、理論研の学生に対しが学習時間が半分も取れないのではないだろうか。研究室単位での選考でなくしてしまうと、合格者は理論研出身者だらけになってしまう。事実、将来は実験を志す学生であっても、大学院入試のために理論研に所属するものも少なくない。それはさておき合格ラインが不明瞭なので、偏差値みたいな指針が何もないのである。大学入試までは入試対策の方法論は確立されているし、塾や予備校などもたくさんある。極論すれば先生の言う通りにやっていれば、ある程度以上の結果が約束されている。大学院の入試(院試)についてはそうではない。


 さらに、他大学の大学院に進学するということは、進学先の大学院の研究室に潜り込むことになる。院試には面接があるので、当然その研究室に現在在籍している四年生が有利に思えてしまう。大学までの受験は、同じ受験制度を利用しているかぎり受験生ごとに有利不利はないのであるが、大学院入試はそうではないようだ。


 脱線するが、以上の話から、大学入学前から研究者を志すものは、大学入学の段階で運命が決まってしまうように感じるかもしれない。しかし一部超超優秀大学では、四年までの「学部」よりも「大学院」のほうを大学組織の中核としている場合がある。その場合大学院の定員も多く、他大学からの入学もそれほど困難でない。私立大学を卒業しても、旧帝国大の大学院を卒業してしまえば「旧帝国大出」とみなされるので、お得感が高い。これを世に「学歴ロンダリング」という。


 そういうわけで大学の研究室には、いろいろな大学院の入試問題の過去問がおいてあったりする。大学、学部、学科により入試の方法、出題内容、出題傾向がバラバラである。つまり院試の情報はとても少なく、研究室頼みだったりするのだ。特に理論系の研究室の場合、年度の前半は院試の準備ばかりしているところもあるそうだ。そういう研究室は、

 「あそこは予備校」

などと陰口を言われている。


 その点宮崎准教授はあっけらかんとしたもので、

「僕のゼミに出ていたら、院試の準備は必要ないよ」

と常々言っている。

 院試の実情をよく知らない杏は、宮崎准教授の言うことを真に受けて院試の準備は何もしないことにした。その理由はゼミにあった。


 宮崎研究室のゼミは、週に四回もある。四回のうち一回は最新の論文の紹介、残り三回は三種類の教科書の勉強会である。教科書が三種類もあるのは、同じ研究室でもメンバーそれぞれは違うことを研究テーマとしているからである。ノルマは論文で一回、教科書で一回の二回だけなのだが、専門バカになりたくない杏は、四回すべてに出席している。澤田教授の輪講にも出ているので、平日は事実上毎日である。

 これだけゼミに出ていればひたすら勉強していないとついていけないので、院試の勉強などまるで余裕がない。しかしながらゼミの予習復習をしていると、以前学習したことにもどって勉強しなおさなければならないことが多々あり、院試の準備になっていることはすぐに実感できた。

 

 ただし、過去問を用いた受験勉強も無意味なわけではない。

 

 量子力学で学ぶことに、「偶然縮退」というものがある。水素原子のエネルギー状態を調べていくと、よくわからないのに、同じエネルギー状態になる解がある。状態が違うのにエネルギーが同じになることを「縮退している」というのだが、実はちゃんと理由があって縮退するのである。ところが水素原子においては、方程式を解いていく上で理由が不明確なのに縮退しているところがあるのだ。だから「偶然」と言われるのである。

 杏が読んだ量子力学の教科書にも偶然縮退の理由は書いていなかったし、量子力学の授業でも「偶然」だと教えられた。ところが、量子力学以前のいわゆる「古典力学」で「ルンゲ=レンツベクトル」というものがある。これが量子力学における偶然縮退に対応するものなのであるが、現代の物理学者はその辺の事情を忘れてしまっているケースがあるのである。

 

 先日、香川みのりが古都の旧帝国大学の過去問を見せてくれたのだが、ルンゲ=レンツベクトルを少し変形させたものが出題されていた。実は入試問題というものは、実施する側が受験生に対し「こんなことを勉強しておいてほしい」「こういうことが処理できる人が欲しい」ということを伝えるメッセージなのである。これは中学受験などでも変わらない。

 

 宮崎教授が「院試の準備は不要」と言うのは、彼のゼミに出ていればそのような素養は自然と身につくと言い切っているのに等しい。みのりの見せてくれた過去問を解いて杏はそのことを再認識し、充実したゼミに感謝したのであった。

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