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聖女様は上高地へむかう

 六月はじめの金曜日夜九時半。杏たちは新宿のバスターミナルにいた。夜行バスで上高地へむかうのだが、遊びではない。「実験物理 若手の学校」宿舎の下見に向かうのである。ゴールデンウィークのあの日から二日がかかりで各方面へ折衝、若干の反対もあったが上高地で開催となった。我ながらよくやったと思う。


 宿は予約済みだが、セミナールームなどない普通のホテルである。セミナーは宴会場でやる予定だが、分科会はどうするか。そのほか交通も問題である。上高地はマイカー規制がされているので出入り自由とはいかず、深夜に空腹をおぼえてもコンビニなど存在しない。実質的に宿の手配をしてしまった杏としては、若手の学校開催当日のトラブルを避けるため、なんとしても一度現地泊を体験してみたかったのだ。伊達教授に相談すると、澤田教授に話を通してもらえた。澤田教授は、予算について必ず面倒をみるからとにかく領収書をだせと言った。学部長様様である。


 メンバーはあの日の学生六人プラス宮崎准教授である。宮崎准教授がいるとはいえ、若い男女六人が上高地。気分が浮つかないはずがない。ただしバスは夜行であるから、盛り上がるどころか私語厳禁である。強制的に浮つく気持ちを押さえつけられ、杏は意外にも車中でよく眠れた。


 杏が目を覚ますと、バスは右に左に走り続ける。外は明るくなってきていて、雨はやんでいるらしい。左の窓の下は深い深い渓谷で、寝ている間に殆どついてしまったようだ。

 時計は五時ちかい。周りの座席をみると、まだ寝ている人もいれば、杏同様目を覚まし景色を見ている人もいる。起きている人の表情はみな明るい。


 バスが大きく右に曲がると、眼前に大きな山が見えた。穂高である。眼下に大正池が広がる。


 宮崎准教授が降りる支度をしている。杏たちはいったん終点の上高地まで行くつもりであるが、宮崎准教授は方方散策したあとで、ホテルで杏たちと合流予定である。澤田教授は宮崎准教授の経費については払わなくていいと思う。宮崎准教授は大正池バス停でさっそうと下車した。


 朝六時。上高地着。バスを下車する。寒い。


 今回の下見の予定は以下の通りである。

 まずはホテルまで行って荷物を置かせてもらう。

 午前中はホテルから放射状に近隣を散策。若手の学校でもずっと勉強ばかりしているわけではなく、遊びの時間もある。だから観光スポットまでの移動時間はホテルからでないといけない。もちろんホテルがデータをもっているが、杏たちは自分の足で確かめたかった。

 ホテルからは午後二時に来てくれと言われている。ランチ営業が落ち着いてから打ち合わせをしたいのであろう。昼食からホテルチェックインまではバスターミナルを偵察する予定である。上高地はマイカー規制がなされているので、出入りはバスか認可されたタクシーのみである。宮崎准教授によれば、バスターミナルの混雑は凄まじく、バスに乗るにはかなりの時間がかかるという。予約制とのことなので、どんな感じか見ておこう。

 午後二時にホテルに入り、すぐにホテル側と顔合わせ。その後セミナー用の宴会場、分科会用の大部屋を見せてもらうつもりだ。

 夕食後は全員で意見を戦わせながら、時間割案を作る予定だ。

 翌日午前中は、時間割案をもとにホテル内を再見学。ホテルをチェックアウトしてバスターミナルへ。

 昼の新宿行きバスに乗り、夜には新宿着、解散予定である。土・日で下見が終了するので、月曜日からの大学生活には大きな影響はない。


 杏は今日の予定を思い返しつつ、山の空気を吸い込んだ。独特の湿り気を感じる。昨晩出発時は雨が降ったり止んだりで天候に気を揉んだが、今は靄の向こうに青空も見える。聞き慣れない鳥の声が聞こえる。メンバーたちも寝不足を感じさせない顔で、杏のもとに集まってきた。

 バスターミナルの建物は二階建て。一階は売店である。上高地は河童橋があるので、河童推しらしい。二階に登るとレストランがもうやっている。リサーチによればメインは岩魚定食であろうか。食べてみたいが、今は時間がない。

「とりあえず、河童橋まで行こう。でもその前にトイレ行っとこう」

 杏の提案で、男子組・女子組交代でトイレに行く。

 バスターミナルのトイレは有料だけにとても清潔である。駅のトイレとは雲泥の差である。消耗品類も充実している。物理はオタク男子の大集団であろうから、宮﨑准教授以外、アウトドアへの耐性は疑問である。このトイレを見て、上高地で大丈夫だと、初めて思えた。


 トイレ後、河童橋近くの河原べりのベンチで身支度をする。まだ早朝のため、空いていてラッキーだ。近くにホテルがあるが、もう売店が開いている。女子みんなでちょっと行ってみることにした。

 信州名物お焼きを買う。相談して男子の分も買っていく。おすすめの具は野沢菜らしい。ついでに河童のぬいぐるみも買った。

「聖女様、おみやげホテルにもあると思うよ」

 呆れたように優花に言われたが、杏は言い返す。

「いや、これはこの売店限定だから」

「リサーチ済みかよ」

「どんだけ楽しみにしてるんだよ」

 そんな声は無視して男子のところへ行く。男子達は何の話題か知らないが、大いに盛り上がっている。


 今回の上高地行きは遊びではない。若手の学校の下見である。ここは一発引き締めておこうと、杏は声をかけた。

「あんたら、うかれてんじゃないよ。仕事で来てるんだよ」

「ぬいぐるみをだきしめてる人に言われてもな」

 杏は健太に言われてしまった。

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