最後の女神
「ライラ・アッシュリール王女殿下…いえ、今は女王陛下と呼ぶべきでしょうか」
「そうね、ジュリアス様。もう婚約者ではありませんから、オーベリウス第三王子殿下、でしたわね」
ライラは一段高い玉座から、かつての婚約者であったジュリアスを見下ろした。周囲には彼女を守る騎士や配下もおらず、彼女を取り囲むようにしているのは血塗れの剣を構えた兵士ばかりだったが、一切それに動じた様子はなくいつものように尊大な態度を崩さないままだった。
彼女はこの国の王太女であり、つい先刻国王になった。長らく砂漠を支配していた国の最後の女王に。
「我々は…私は、この国の女神を連れて帰るように命じられている。もしそれが貴女ならば…」
「トゥーラ」
ジュリアスの言葉を遮って、ライラは立ち上がると玉座の隣の隠し扉を開き、そこから一人の女性を引きずり出した。ライラよりも痩せた女性は、乱暴に床に転がされた。
「トゥーラ!」
「良かったわね、トゥーラ。貴女の王子サマが救いに来てくださったわよ」
「お、姉さま…」
突き飛ばされた勢いで、女性は玉座の階段を転げ落ちそうになったが、ジュリアスが素早く駆け寄って抱き止めた。その様子を、ライラは砂漠の夜よりも底冷えのする真っ黒な目で見下ろしていた。その動きに、周囲を囲んでいた兵士がライラに斬り掛かろうとするが、ジュリアスが手を挙げて制した。
ライラはその行動が当然と言いたげな余裕で、周囲には一切味方がいないことを気にも留めていないように悠々と玉座に戻り、ゆったりを足を組んで座った。その表情も所作も、もはや風前の灯で国が滅ぶ直前の女王には見えない。いつだってライラは余裕のある態度を崩さず、傲慢なまでに他者を見下して生きることを許されて来た存在だ。
ジュリアスに抱きとめられた女性は、哀し気な顔で玉座のライラを見上げていた。その顔は、ひどく痩せて手入れのされていない髪や肌は乾いて荒れていたが、砂漠の女神と呼ばれていたライラとよく似ていた。それもその筈、トゥーラと呼ばれた彼女はライラの双子の妹だ。痩せて見窄らしくなっても尚一目で分かるほど似通った面立ちなので、トゥーラが正式に姫として扱われていたならば二人の女神として民に崇められていただろう。
「この子が貴方ご所望の女神よ。良かったですわね、ジュリアス様?」
「ち、違い、ます!連れて、行く、のは、お姉さまです!」
彼女達がそう言った瞬間、二人の真っ黒な瞳が赤く染まった。しかしそれは一瞬のことで、すぐに黒い色の瞳に戻る。その光景をジュリアスは何度も見て来たが、初めて目にしたらしい兵士達が息を呑むのが分かった。
「で、殿下…」
「彼女を…トゥーラを連れて行け」
「…はっ」
「違、う…!お姉さまを!お姉さまが…」
激しく首を振って抵抗するトゥーラだったが、痩せた女性の力で屈強な兵士達に抗える筈がない。この反乱の指揮官であるジュリアスの命を受けて、二人が彼女を抱えて連れ出して行く。しばらくは拘束されるだろうが、この国にいる「女神」を祖国に連れ帰ることは最重要任務なことを部下達も知っている。丁重に扱うだろう。
ジュリアスはトゥーラの姿が見えなくなると、自ら剣を抜いて切っ先をライラに突き付けた。彼の剣もまた、血脂で曇っていたが、目の前の華奢な女性の首を刎ねるくらいの切れ味は残っている。
「ねえジュリアス様。最後に少しお話をしませんこと?二人きりで」
ライラはかつて婚約者だった頃と全く変わらぬ口調で、ジュリアスに微笑みかけた。軽く喉の奥で小馬鹿にするように嗤う彼女の癖は、周囲の兵士達を苛立たせるのに十分だったようだ。一瞬で玉座の周辺に殺気が膨れ上がる。
「わたくしが貴方に何かするとでも?こんな丸腰の女に無礼なお国柄ですこと。ああ、それともわたくしに負けるような腰抜けなのかしら」
「この毒婦め!」
「止せ」
ジュリアスのすぐ後ろにいた側近の一人が激昂したように数歩前に出たが、すぐにそれを制する。
「ねえ、話をするだけ。お分かりかしら?」
そう言って蠱惑的な笑みを向けた彼女の瞳が、再び赤く染まった。
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かつて栄華を極めたこの国は、豊富な地下資源と乾いた土地でありがならも豊かな恵みをもたらすオアシスのおかげで手に入らないものはないと言われるほど繁栄していた。
先代の国王は10人を越える妃と、30人を超える王子王女を抱える大宮殿に君臨していた。ライラとトゥーラは下から数えた方が早いくらいの王女に生まれたが、多くの使用人達に囲まれて何の不自由もなく育った。そして国王は属国にした国の王族を自分の子供達の婚約者と言う名の人質として王宮に住まわせていた。ジュリアスも、属国までにはならなかったが、戦争を仕掛けた敗戦国と同盟を結んでいたために人質としてこの国に捕らえられていた。
名目上は年の近い王女の婚約者として王宮内では不自由なく過ごしていたが、少しでも生国の父王が不穏な動きを見せれば簡単に首を飛ばされるような軽い命だった。
そんな中、ライラとトゥーラに女神の加護と呼ばれる異能が発現した。彼女達の瞳が赤くなったときに告げた言葉が、神託として悉く当たったのだ。彼女達の美しい外見と能力から国民からの賞賛を浴び、国王も重用するようになって行った。
しかし年を重ねるごとに、神託が当たる確率が上がって行ったライラと、どんどん外れることが多くなったトゥーラに格差が生まれ始めた。それと共にライラの性格は傲慢になり、トゥーラは役立たずの王女として虐げられてひっそりと息を潜めて振る舞うようになった。
彼女達の明暗が決定的になったのは、トゥーラが告げた神託が引き起こした事態のせいで、三人の王子と二人の王女が亡くなったことだった。その時のトゥーラの神託は「今日は雨が降らない」という程度のものだったが、その日は午後から急な嵐になって、灌漑工事の視察に出ていた王子達が流されたのだ。
国王は災いを齎す邪神の眷属と断じてトゥーラを処刑しようとしたが、ライラが「私の下女にするべきです」と神託を出した為に王族籍は失ったが辛うじて命をつないだ。だがその神託はライラには不満だったようで、トゥーラには絶対に声を出さないことを命じて、ことあるごとに当たり散らした。その頃のライラは「神託さえなければ」と随分怒鳴り散らしていた。
ジュリアスはその時に亡くなった王女の一人の婚約者に宛てがわれていたが、次に年の近いライラの婚約者になった。婚約者とは言っても捕虜と変わりない立場なので、そこに感情的なものは一切存在しなかった。その時にはもう手の付けられないほどに傲慢な性格になっていたライラに下僕同然に扱われ、増えて行く傷の手当をしながら故郷の為にと歯を食いしばる毎日だった。そして気が付くと、同じような立場になっていたトゥーラと支え合って生きるようになっていた。もしバレてしまえば只では済まないのは分かっていたが、この王宮で最下層に落とされた者は互いに支え合わなければその日を生きることも難しいほど過酷だったのだ。
最初の歪みはどこからだったのだろうか。気が付くと、毎年のように王子や王女が亡くなって行く。年に数回、王族の訃報を知らせる鐘が鳴り、もう何年も喪が明けない日々が続いた。亡くなる原因は様々であった為にそれがおかしいと気が付いた時には王位継承者はライラだけになっていたのだった。
国も、あれだけ栄えていたのに日を追うごとに貧しくなって行った。ライラの神託は正しく行われていたのに、まるで違う神の手で削ぎ落とされるように枯れて萎れて行くのだ。ワインの葡萄の豊作を願えば、ライラの神託通りにここ十年来で最も豊作になった。しかしその年の小麦は大凶作で、多くの国民が飢えて死んだ。北の山に貴重な鉱石が出るという神託に添って山を崩せば、国の予算数年分に匹敵するほどの大量の鉱石が発掘された。しかしその下流の領地で、原因不明の病が流行って領地はほぼ無人になった。
目に見えて弱体化して行く国に周辺の属国が気付かない筈もなく、やがて彼らが手を取り合って反旗を翻すのにそう時間は掛からなかった。人質として祖国から売られ見捨てられていたジュリアスは、いつの間にか国の為に自ら危険を顧みずに敵国の中枢に入り込んで反乱軍の先鋒をつとめた勇敢な王子、という肩書きを手にしていた。
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「ライラ…女王陛下」
兵士達を下がらせて、玉座の間でジュリアスはライラと対峙した。腰抜けと誹られても、権謀術数に長けた上に神託のある彼女は油断出来ないので、剣は構えたままだった。ライラは別にそんなことも気にも留めていないかのように、玉座の隣に置いてあったワインを手にした。が、そこにグラスがないことに気付いて、迷わず瓶に直接口を付けて上を向いた。普段の彼女ならこんな状況でもジュリアスにグラスを持って来るように命じるかと思っていたが、意外な行動に一瞬毒気を抜かれたように眺めてしまった。
大きく上を向いた彼女の無防備な白い頚が波打つように蠢き、口の端から漏れたワインの赤い軌跡がはしたなく伝い落ちた。しかし彼女はそれを拭いもせずに、数回嚥下した後に瓶を口から離して正面を向く。
「…先王陛下はどちらに?」
「ああ、今頃国境を越えているのではなくて?あの方は生きてこの国を出る為の神託を欲しましたから」
「…!それはどちらの…」
「さあ?」
「庇い立てするつもりか!」
「わたくしの神託は『この国を生きて出る』為のもの。出てしまえば分かりませんわ。まあ、北の城門を抜けるように告げましたから、そちらから追ってみたらいかが?」
「北の…」
国の北側は、オアシスもない完全に死んだ砂の大地が広がっている。そして唯一、水がなくても生きて行ける砂の魔獣が生息している場所だ。城壁のおかげでこの国には入って来ないが、その門を抜けてしまえば、普通の人間が生き延びることは不可能だ。ましてや国王として贅を極めた男など、もう既にこの世には居ないことはすぐに察しがついた。生きる為ならどんな犠牲を払うことにも躊躇いがない性格の国王だったので、まさか自殺同然の北側に逃げるなど誰も思っていなかった。
「父親を、見捨てたのか」
「ふふ…わたくしは神託を申し上げただけですわ。あの方がそれ以外に他の人のいうことに耳を傾けまして?」
「…ああ、そうだったな」
「ねえ、ジュリアス様」
不意に彼女は玉座から立ち上がった。胸に染み込んだワインの赤が、まるで血の染みのように思えて一瞬ジュリアスの視線がそこに留まる。
「わたくしは唯一の正解を導く神託を戴く者。いいえ、『真実の女神』そのものなのよ」
ライラは、薄く微笑んで遠くを見つめながら歌うようにそう言った。
「ねえ、かつて葡萄畑を広げるように神託を下したでしょう」
「…ああ。そのせいで小麦畑が潰され、ひどい飢饉になった」
「でも、国としては潤ったでしょう?」
「…っ!しかし多くの民が死んだ!」
「ではそのように神託を請えば良かったのに」
「ただの御託を並べているだけだ!」
「そうかしら?かつて力のなかった貴方に、何か出来て?」
ライラの言葉通り、その頃のジュリアスは彼女の婚約者ではあったがただ美しく着飾らせるだけの観賞用の存在に過ぎなかった。ただ政治的なことに口を出すこともなく、味方をする者もいなかった。
「そうね。結果を知れば、あのときこうすべきだった、と言うのは楽ね。でも、わたくしの神託以上に国を潤す策はあったのかしら」
「そ、れは…」
「目の前に、確実に最も正しい答えが転がっているのに、違うものを手にすることは、貴方には出来て?」
「そのせいで多くの民が…」
「それは既に終わった結果を知る者の詭弁」
彼女の言葉にジュリアスは返答に詰まる。
もし葡萄畑を拡張することで確実に国は富むことが分かっていて、その時に小麦畑に齎す被害を知らなかったら。調査をして小麦畑に被害がある「かも」しれないが、ない「かも」しれないとしたら。現実のように多くの民が死ぬのではなく、ごく最小限だと分かっていたとしたら。
「だから、この国は滅ぶの」
「君は分かっていたのか!?」
「さあ…?でもこの国は、親鳥から与えられる安全な餌を口を開けて待つだけの雛になることを選んだ。みんな、何の疑問もなくわたくしの神託を選び続けて考えることを止めた…」
国王を始め多くの国の中枢を担うものは、それだけでなく国中の民がライラの神託に従った。それが最も正しい答えだと知っているからだ。しかしやがて思考は停滞し、ライラの神託以外の道は模索されることもなく、ただひたすらに潰えて行く。
「ねえ、ジュリアス様。もしも貴方が多くの民を従えて『王になりたい』とわたくしに神託を求めたら…」
「俺は王位など望んではいない」
「ただの例え話ですわ。…王になる為には、王冠と玉座が必要だとしたら、わたくしは…そうですわね、たとえば『それは南の果てにある』と答えましょうか」
南の道は過酷で、幾多の苦難を乗り越えて徐々に付き従う者はいなくなって行き、ようやく王冠と玉座を手にした時はたった一人になっていた、としたらと彼女は続ける。
「…それは、王とは言えない」
「そうでしょうか?神が王冠と玉座を持って王を認識したとしても?」
「そうだ。民がいてこその王だ」
ジュリアスの答えに、ライラは少しだけ笑みを深くしたように見えた。
「トゥーラは『逆しまの女神』の異能を持つ者。あの子は最悪の道しか示さない。もしあの子なら『北へ向かいなさい』と言うでしょう。しかし北には王冠も玉座もなく、そちらに進めば全滅となる。貴方ならばその神託を得て、どうなさいます?」
「北以外に向かうに決まっているだろう」
「ええ、そうですわね。南に向かえば王冠と玉座があるかもしれない。東に向かえばオアシスがあって、人々が幸せに暮らせるかもしれない。西に向かえば、別の国と出会って交易が始まるかもしれない…トゥーラの異能は、そういうものです」
ライラはゆっくりと玉座の階段を降りて来る。ジュリアスは剣を構えたままだったが、それで彼女を傷付ける気は失せていた。
「一つの正解のみを示し人々の未来を奪う女神と、取り返しのつかない道を教え多くの可能性を与える女神。どちらが、貴方の女神でしょうか」
階段から降り切ったライラは、ジュリアスとは目も合わさずにその前を通過した。そして少し行った先で足を止めて怪訝そうな表情で振り返る。
「どうなさいました?わたくしの首はこんなところでひっそりと落とすものではないでしょう。多くの民の前で落として、この国の終焉を飾ることこそ最後の女王の役割ではなくて?」
「…それが、貴女の最後の神託か」
「……そうかもしれません」
ライラはふふ、と軽く笑ってジュリアスから目を逸らした。光の加減なのか、神託なのかは分からなかったが、ほんの一瞬だけ彼女の瞳が赤くなったような気がした。
「これが、トゥーラを守る道です」
王宮が制圧された日の夕刻、西日を浴びて赤く染まった城門の上で、この国の最後の女王の首が落とされた。王族に虐げられ、貧しい暮らしを余儀なくされていた民も、反乱軍達と共に大地を揺るがすほどの快哉を上げたのだった。
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大勝利を上げて今や英雄の名を響かせているジュリアスは、十数年振りに祖国への道を凱旋していた。今となっては父王の顔も母の顔もぼんやりとしか思い出せない。
馬車の中には、丁重に扱われて本来の美しさを取り戻しつつあるトゥーラが座っている。祖国の占い師の多くが、かの国にいる女神を連れて来ることこそが国の繁栄と言ったため、滅ぼされた国の王女でありながらその身は国賓と変わらぬ存在だった。か弱い女性なこともあって特に拘束されることはなく、ただ自害防止の魔道具を装着されているだけでジュリアスと同じ空間にいることも許されているのだ。
「私は、これからどうなるのでしょうか…」
「悪いようにはしない…私が貴女を守ろう」
「…はい」
「…その、トゥーラの気持ち次第だが、私の、妻になって欲しい」
「ジュリアス様、の…?」
長らく喋ることを禁じられていた為にトゥーラは最初は上手く言葉を操ることが出来なかったが、今は殆ど気にならないようになっていた。王族として幼い頃に受けた教育もあるので、所作もぎこちないながらも美しい。少し学べばジュリアスの隣に立っても不自然ではなくなるだろう。
「きっと祖国に戻れば、貴女を利用しようとする者も現れるだろう。そうなる前に私の妻であれば守ることも出来る。貴女の心が伴わないのであれば、ただの名目上の妻でも構わない。もし他に思う相手があれば……善処しよう」
最後の言葉は半分絞り出すような無理があったが、ジュリアスはどうにかトゥーラに告げる。その様子を見て彼女は気を悪くした風でもなく、目を逸らせて俯いてしまったジュリアスの顔にそっと手を添えた。
「ジュリアス様…私は、ずっと、共に支え合って来た貴方様を、私を守って来てくださった貴方様を…お慕いしております…」
「トゥーラ…」
顔を上げたジュリアスの眼前に、彼女の黒い瞳が濡れたように煌めいていた。
祖国に入る最後の休憩場所で、ジュリアスはトゥーラを連れて小高い丘に来ていた。この丘を越えればジュリアスの祖国に入る。
「こんなに緑が豊かな場所があるのですね」
「我が国は水と緑の豊かな土地が多い。私の拝領する領地も、緑が豊かなところを望んだから、きっとこのような景色は毎日見られるだろう」
「楽しみです」
爽やかな風が、トゥーラの真っ直ぐな黒髪を揺らす。
「もし、あの国も砂ばかりでなく…お姉さまも砂ばかり見つめるのでなければ…少しは運命も変わったでしょうか」
「それは…分からないな」
「申し訳ありません。詮無いことを申しました」
トゥーラは眼下に広がる緑の森を眺めながら、それ以外のものを見るような目をしていた。
「お姉さまは、私に随分と辛く当たることもありましたが…こうして私が生き延びることを知っていたからでしょうか。国が滅んだ後も、私に未練が残らぬように、虐げていたのでしょうか」
「それは違う!そうでない道もあった筈だ。未来の正しい道を知っていた彼女ならば、もっと…」
「私は…それでもお姉さまのことを憎みきれませんでした…」
トゥーラの黒い瞳から、ポロリと涙が零れ落ちた。
「でも、お姉さまは、私のことを憎んでいらしたのですね…」
そう呟いた彼女の瞳が、一瞬赤く染まった。
ジュリアスはそのことを告げず、ただ涙を流すトゥーラを黙って抱きしめたのだった。
『ジュリアス様。あの子は、トゥーラの最悪の道のみを示す呪われた神託は、本当にあの子が心からそう思っているのです。嘘を吐こうとは一切思っていないのです。だから、あの子は昔から望むことを全て否定されて生きて来ました。きっとこの先、貴方様もあの子の神託を否定して行くのでしょう。ですが』
ジュリアスの耳に、首を落とす直前のライラの声が蘇る。
『ですが、神託以外のあの子の望みは、出来る限り叶えて、受け入れてやってください。それが無理なら、ただ抱きしめるだけで構いません。わたくしが出来なかったことを、貴方様が成してください』
ただ風の抜ける小高い丘で、彼女のすすり泣く声だけがしばらく続いていた。
お読みいただきありがとうございました!