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飛梅、水に桜  作者: ozlil
7/7

七 幕引きならず

 大宰府の夕が暮れてゆく。

 梅の葉が風に鳴り、蛇の幻はそれを仰いだ。

「おれが諦めないと知っていたのか。地の底に行き復讐すると」

「いや、そこまで考えがまわらなかった。天狗どのが断ってくれてなによりだ」

 老いた道真が、相変わらず生真面目に答える。

 どちらも気づいていなかったが、すぐそばの木陰に小さなキツネが身をひそめていた。

 薄闇にまぎれ、ほとんどそこにいないように見える。仮に視線をむけても姿はつかめないだろう、色が暗くていいこともあった、と九良は耳を立てた。

 道真と蛇、梅と桜を見届けるのは彼女の役目だ。

 円角が報告を待っている、何ひとつ聞き漏らすまい。



 それにしても、今日の昼までは京にいたというのが信じられなかった。

 桜の酒で力づいたのか、天狗の風はすこぶる速かった。あれよと言う間に筑紫に降りたつと、大宰府で騒ぎが起きていた。

 道真にあてがった小屋の前に、一夜にして梅の木が生えたのだ。

 あわてる役人たちの様子を、偵察に出た九良が持ち帰る。

「届いてたよ円角、梅は無事に届いた! 雨と、水と一緒に降りてきたんだよ」

「その水の蛇はどうした? 空に消えちまったんじゃねえだろうな」

 円角は心配そうに役所の門をうかがった。今にも林を飛び出していきそうで、九良は前脚で彼の裾を引く。

「まだわからないけど、道真さまは閉じこめられてるの。このままじゃ梅にも会えないよ」

 すると青年は、ぱっとひらめき相棒の背をたたいた。

「今こそ俺たちの出番じゃねえか。ふっ飛ばされてきた甲斐があったぜ、九良」


 それから彼は、できるだけ偉そうな大股で大宰府に踏み入った。

 敷地には物々しく警備かしかれており、すぐに見張りが駆けつける。

「おい出てゆけ、ここは修業場ではないぞ」

「ああ、すぐ帰るからお告げを聞きな。われこそは京を牛耳る大天狗の使いなり」

 堂々と胸を張った青年に、役人が疑惑と哀れみの目をむける。円角は気にせず、錫杖をやかましく鳴らして敷地の奥を指した。

「あっちに梅が現れたんだろう? 隠したって無駄だ」

「な、なにを申す。そんなことあるものか」


「いいからいいから。

 あの木はな、道真公をお守りせんと京からはるばる飛んできた大変結構な忠義者だ。下手をうつと、あんたら痛い目見るんだぜ」

 歯をむいて笑う円角。

 真っ赤な夕陽がななめから照り、凄みのある形相ができあがった。

 呆然とする見張りを置いて、天狗の使者はさっさと背を返した。退場する途中、見張りの詰所をのぞきこみ粟餅を失敬するのを忘れなかった。

 そのころ役所の奥では、梅の木の処遇について話しあいが行われていた。

 今日のうちに切り倒してしまおう、と決まりかけたところに、お告げという名の脅しを渡された役人が駆けこんできた。

「いけません。あの梅、祟ります!」

 ということで会議は混乱をきたし、下々の者も見張りをほうり出した。そこへ忍びこんだ九良が道真をいざない、梅との再会を助けたのだった。



 道真がもう一度梅にふれ、蛇に尋ねる。

「そなたがつれてきてくれたか」

「桜を返しにきただけだ」

「ほう、歌にして?」

 蛇の頭が戸惑いかたむく。

 事件のあと、道真がふたたび山にきたのは、年が明けて冬の寒さがゆるんだころだった。

 しゃがみこんだ彼は、しっかり天をむくように何かの若枝を植えていた。葉は少なく、蕾も締まっている。

 蛇は冬の眠りから覚めたところで、夢のつづきのようにその光景を見ていた。


 手を土で汚した道真が、満足げにふり返る。

「庭の桜だ。ここに根づくかどうか見ていてくれ」

 そういえば、と蛇は彼の屋敷を思い出す。

「お前はやたらと木を集めていたな」

「ああ、今は梅が咲いている。このあたりに梅はあるか?」

 蛇は山の高みへと顎をしゃくった。天狗の縄張りから時おり香りが流れてくるが、今日はあいにく風向きがあわない。

 しかし道真は、すぐそこにみごとな梅が並ぶかのように目を細めた。

「よい花だ。春に先駆けて咲き、明るい日々をつれてくる。季節を引き継ぐのが桜だ、これもまたよい」

と、足もとの挿し木を眺める。

「思いが積もったなら、言葉に託せ。私はそのようにして生きている」

 蛇が黙っていると、道真は短い別れのあいさつを置いて山をおりていった。


 半信半疑の蛇をよそに、桜は根を張った。

 それから彼は長年花を眺めたが、ついぞ詩心は芽生えなかった。

 ただいつからか、咲く花より散った花がよいと思うようになった。地に落ちてかさなりあった花弁は、伴侶の淡い鱗に似ていた。



 彼は回想を払い、人間を見つめなおした。

「おれが言うのは、この恩をお前がつがえなかった矢に代えて報いようということだ」

「私の矢?」

 闇に透ける蛇の眼がぎらりと光を取り戻す。

「いわれなき流刑に甘んずる気か、道真。おれは肉体を失ったとて多少の力が残っている。お前が望むなら敵を一掃し、助け出してやろう」

 道真は答えなかった。

 身体の脇におろした手、ゆるくひらいていた拳を少しずつ握っていく。南の風がそれをなでる。

 身動きせず視線をぶつけあう彼らを、九良はひたと見守った。

 息をひそめているうちに周囲との境界があいまいになる。

 すぐそこにたたずんでいるふたりが自分と円角であるような、もっと広い存在であるような心地がして、彼女は瞳をひらきつづけた。




 雑木林へ駆けこむと、待ち受けていた円角が立ちあがった。

「どうだった、道真公は外に?」

 梢の上の月は大きく、真剣な面持ちがよく見える。九良は彼を見つめてうなずいた。

「お出でになったよ。昔ね、こんなことがあったの……」

 彼女は目にしてきたことを細かに伝える。

 時間をかけて聞き終えた青年は、ゆるやかに首をふった。

「あの方は、申し出を退けられたか」


 いま武力であらがえば、京にいる家族にも害が及ぶ。それだけは避けなければならないと、道真は穏やかに蛇へ説いた。

「では、話すこともなくなった」

 そう答えると蛇の幻影は薄れ、やがて道真も小屋へ戻り、梅だけが残った。

 円角が木に寄りかかってため息をつく。

「大蛇にとっては、残念だったな」

「ううん、あれでよかったの。断られるために会いにきたんだよ」


 蛇に力が残っているというのは嘘だった。目の前の小屋まで這っていくこともできなかったのだから。

 天狗の風を借り、桜の水に梅を運び、かろうじてたどりつき。

 ふたりが少し手伝って、彼の願いはすべて叶った。



 と説明されても、円角は不服そうである。

「そういうもんか? 俺が道真公ならホイと話に乗るし、蛇だったら霊力あつめて大暴れしちまうが……」

 彼は、かたわらに置いた錫杖を足の先で引っかけ、器用に揺らした。

 環が鳴る拍子を耳に、九良が尋ねる。

「あのね。円角が修行をはじめたのは、畑仕事より歩くのが得意だからだよね」

「おう」

「それじゃあ、修行をつづけてるのはどうして?」


 青年は、蹴りあげた杖を片手でつかまえた。

「そりゃ無意味に終わりたくねえからだよ。故郷じゃ厄介者でも、歩きまわってれば誰かの助けになれる。今日は歩くどころか飛んだけどな」

 月をあおいだ横顔は気負うことなく、いつものそっけない円角だ。

 誰かがつくった枠組みには無頓着で、あれこれうるさく区別しない。彼にとって、助ける相手に人も妖もない。


 これがこの人だ。

 この人だから私はついていける。


 九良が思いを新たにしていると、円角がハッと顔をむけた。

「おい待て、俺たちどうやって帰るんだ。伏見が遠のいたどころじゃないぞ!」

「しょうがないよ、歩いて戻ろう?」

「海を歩くのか、どんな秘法だ、習得に百年かかるぞ。くそっ天狗のやつ、善行と見せかけて投げっぱなしか」

 夜空をにらみ拳を震わせる円角。星のあいだにくちばし顔がにやりと浮かぶ。

 お供のキツネは、眼を糸のようにして言った

「なんとかできるよ、のんびり行こう。私、神様の使いになるより、円角といられる方がずっといいよね」

「ああそいつはどうも。九良、やっぱり美女に化けろ。こうなったら役人をたらしこんで官船にもぐりこむしかない、一番上等な船のおかしらを落とすんだ」

 俗な算段を聞きながら、九良は思う。

 夜が明けたら桜を探そう。

 円角と一緒に同じ花を見る。そこに生まれる心、言葉を私は見る。五文字、七文字、また五文字──


 彼女は歌を詠めるようになりたかった。

 別れの日が遠いか近いかはわからない。けれど、その時までにきっと贈れるようになろう。

 そう決めると何だか安心して、まだぶつくさ言っている行者のとなりに身体を丸めた。濡れた毛皮はすっかり乾いていたが、春の香りは残っており、妖のまぶたをやわらかく閉じさせた。



    ( 了 )


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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