表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
飛梅、水に桜  作者: ozlil
1/7

一 梅も桜も

 春の京は花のさかり。咲き香る色が陽気に溶け、洛中の小路をかすませる。

 誰しも心も浮き立つこの頃だが、ある屋敷は季節を失っていた。

 大きくかまえた貴人の住まい。しかし広い庭には一本の木もなく、垣の草だけが寒々と茂る。

 そばを通る者は遠慮がちに視線を送るか、痛ましげに目を伏せるばかりだ。

 彼らはやがて大通りに行きつく。そして、うららかな町のせわしない往来にまぎれ、伝え聞いた歌を口にした。あるいは口ずさむまでもなく、にぎわいの中にその歌を聞くことができた。


  東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花

    主なしとて 春を忘るな




「忘れるなって言っただろう、九良くら!」

 切羽詰まった声が山中にこだまする。打てば響く鼓のように甲高い返事があった。

「忘れてないよ、絶対このへん。桜はここにあったよ」

と、困り顔のキツネが茂みから跳びあがる。

 背後の木々をぬって若い男が現れた。

 質素な上衣に羽織、脛を絞った袴。各地を修行してまわる行者ぎょうじゃだ。こちらは両腕に力をこめて錫杖をかつぎ、一歩一歩が錆びたように重い。

 それもそのはず、杖の先端にどす黒い人魂がとらえられており、どうにかして彼の術から逃れようとしていた。


 踏みしめた足場がじりじり滑り、青年は冷や汗を流す。

 基礎の修行を終え、さらなる研鑽の旅に出て一年足らず。京の近くまできたからといって張りきりすぎたかもしれない。

 彼は、まだきょろきょろしているキツネへ顔をむけた。

「桜は一旦やめだ。法螺貝とってくれ」

 九良はいっそうあわてだす。

「仮封じ? また貝が割れちゃうよ、京でお安く手に入るかな。円角えんかくはあんまり普通の行者さんらしくないし、法螺貝さげてないと何の人だか怪しまれるってこともあるよね」

「俺の本体はホラだと言いたいのか? いいから早く前脚を貸……」


 ここで悪霊がめちゃくちゃに暴れ出し、荒っぽく引きあげられた円角の足が地面を離れた。

「あっ、だめ!」

 九良が間一髪で彼に飛びつく。

 綱におさまる貝を口ではずすと、身を返しざま高く蹴りあげた。空中の円角が待ってましたとばかりに呪言をとなえる。

 杖の先の人魂が薄墨のようにほどけ、そのむこうに貝が弧を描いた。

 頂点に達し、滞空し、影の中心とぴったりかさなる。

 すかさずくり出された錫杖が霧を突いた。わっ、と梢が波立った一瞬のち、霊は法螺貝の中へ吸いこまれていった。



 円角は杖を大きくまわして着地した。

「さて、急場はしのいだ」

 立ち回りのわりにあっさり言を締め、前にかぶさった束髪をうっとうしそうにはねのける。

 特徴に乏しい面がまえをしているが、泰然とした表情からしたたかな性根がうかがえる。キツネの言ったとおり、修行にはげむ身としてはやや俗世に傾いているようだ。


 悪霊入り法螺貝は、くるっと身を丸めた九良が器用に受けとめた。つぶらな瞳で円角を見あげ、ホッと息をつく。

「よかった、うまくいったよね」

「なに言ってんだ、ここからだぞ。仮の器じゃ三日ともたねえ、封印に耐えるしろを探さないと…… あの桜の木、うってつけだったんだが」

 貝を綱に戻し、首をめぐらせる。

 落ちついてみると、盛りあがった石の形に覚えがあった。

 すぐ横に立派な桜の木が生えていたのだが、ふっさりたたえた淡い花ごと、忽然と消えていた。


 ともかく彼は手を伸ばし、相棒の背をたたいた。

「確かにこの場所だ。お前が正しかった」

 言葉は素直なようでいて調子は平坦、笑顔もない。

 円角があらわす感情は、だいたい薄い。

 それが彼にとっての自然な態度なのだと理解するまで、九良ははらはらしながら供をつとめてきた。

 初めのころなど、しょっちゅうこんなやりとりをした。

「円角、怒ってる?」

「いや」

「円角怒ってる……」

「いいや。怒られたくなければ信じて黙れ」


 それなりの経験をつみ、今では軽口だって投げられる。キツネは節をつけて言う。

「さよう、桜は昨日此方に。私、大和にいたころより役に立つようになったでしょう」

「まあそんなとこだ。最初に会った時は鹿にどつかれて泣いてたもんな」

「それは忘れてほしいってお願いしたよね……」

 恨めしげに上目をつかう彼女。衣替えの時期で尻尾が痩せているのを割り引いても、キツネとしてはちょっとした異相だった。

 毛並みはつややかだが輝く金色とはいかず、陽の下に出ても影がかかったように暗い。

 故郷の狐狸界隈になじめなかったのも、気弱な性分を奇異な毛色が後押ししたせいだ。偶然に円角と出会い、供になれたのは、まったく幸運だった。


 九良は、桜があったはずの草むらをかきわけてみる。

 大きな穴や掘り返された跡はない。ただ、しっとりと丸みのある花びらがあちこちにかさなっており、木を離れてもかすかに香っていた。

 キツネの目じりが情けなくさがる。

「ううん、どこに行っちゃったのかな。とってもきれいに咲いて、あれなら霊だって浄化できたのにね」

「さては、踏み台にされるのを嫌って高飛びしたな。勘づかれないように気を配ればよかった」

 円角が腕組みし、行儀悪く舌打ちした。

 踏み台というのは出世の足がかりのことだ。といって、彼自身がどうこうしたいのではない。

 ねらっているのは、気弱な相棒の成りあがりだった。



 昨年の初夏に出会い、大和から旅を始めたふたり。

 道草まじりにぶらぶら進み、寒い冬も歩き越え、京に近づいたころ。円角がこんなことを言い出した。

「伏見のお稲荷さんってのがキツネの総本山だろう? だったら、俺がお前を売りこんでやるよ」

「えっ! 売りこむって、それって」

 不意うちをくらった九良は、雪どけ水のそそぐ川のほとりで絶句した。円角は小石で水切りをしながら平然と答える。

「ああ、これにおわすは霊験あらたかな九良狐さま、って具合にな。どうだ、神の使いになって貢ぎ物をしこたませしめて、毎日いい思いができるぜ」

 ふりむいた彼は珍しく濃い笑みを見せたが、そこには儲け話を持ちかけるゴロツキの風が吹いていた。


 困惑する九良をよそに、すっかりその気になった円角。“京の山里で湧水が濁る” という噂を小耳にはさんだことが決定打となった。

「よし、俺たちで怪異を治めよう。この辺でちょっと実をあげれば、あとは盛りゃあいい。伏見は近いぞ、九良」

「う、うん」

 気圧されてうなずいた彼女は、困惑をおさえて考えた。

 円角は、私の将来を真剣に思ってくれている。この人が望むなら、私は京を旅の終わりにしよう。



 ということで彼の補佐に精を出し、先ほど悪霊をつかまえたのだが、頼みの綱の桜が消えてしまった。

 円角が杖を持ちあげ、ぐるりと森を指す。

「他に使えそうな木もなし。このへんの桜はあいつだけか」

 みごとな花房を冠とし、幹はしなやかに太く、美しい木だった。十年、二十年、おそらくもっと長い時を、山奥で人知れずすごしてきたのだろうが……

 九良が寝起きのようにまばたきをする。

「本当だ、一本きりだったんだね。いわれてみると不思議だなあ」

「縄張りがでかいわりに器量の小さい木だ。さっさと戻ってこい、うろつくのは行者だけで充分だ」


 勝手な愚痴を聞きつけたのか、草むらに一匹のむじなが顔を出した。

「あっ、待って。お話聞かせてくださいな」

 九良が歩み寄り、鼻先を近づける。

 獣の言葉を解さない円角はじっと見守った。そのうち狢がのっそり立ち去り、彼は身を乗り出した。

「で、なんだって? 桜かついでずらかる熊の背中でも見たか」

 九良は狢の消えた方を眺めたまま答える。

「私、ここにあった桜を知りませんか、って聞いたの」

「それで?」

 ふりむいたキツネは、化かされたような顔をしていた。

「“木が消えたんなら、道真公の梅とおんなじだね” って」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ