第五話「止められない動き」
阿形総理は軽く周囲を見回してから言った。
「失礼ながらこの事は内密にお願いしたいのです」
「情報屋はお客様からの信頼を最も大切に致しますわ。
阿形総理がそう望まれるのであれば、これからお聞きする情報が私共から外へ流れる事は一切ございませんのでご安心下さい」
「くれぐれもよろしく頼みます。
実は一か月前、次の衆議院議員総選挙に向けて中国による極めて大規模な工作が行われる可能性があると言う情報を内調、内閣情報調査室から得ました。
こういった工作は日本のみならず他の民主国家でも日常茶飯事なのですが、今回はどうもいつもと違うのです。
私がこの情報を得た直後、一週間の間に内調の総務部門、国内部門、国際部門で立て続けに8名の調査官が暗殺されました。
全て凄惨な殺され方をしており、内調の内部は完全に委縮してしまって集積した資料の自発的な抹消や破棄を行う者があちこちで発生しました。
一週間後に上がった報告では、大規模工作に関する情報は誤報だったと結論付けられていました。
公安の方でも同じ様な事が起こっていたそうです。
もはや調査組織としての機能を失っていると判断し、ティアラさんのご協力を頂きに参りました」
「そういった影の暴力には対抗する手段をお持ちでしょう?
阿形総理の後ろに立っておられるマサコさんの所属する火車とか」
マサコは表情を崩さないが、内心は少し驚愕していた。
自分の素性は絶対にバレない様にしている、それどころか火車の存在すら関係者以外は知らないはずである。
「ははは、流石ですな。
もちろん彼女と火車であれば、姿を明らかにしている敵であればどんな相手であろうと対処出来るでしょう。
しかし今回はあまりにも大規模で異質なのです。
殺害された調査官や関係者の事は我々が制限させた訳でも無く、あらゆる報道で完全に黙殺されました。
そして現在も続いてる脅迫や圧力、威圧行為に協力し、隠蔽にまで加担している者が各省庁のそれなりの立場の者から、病院の看護師にまで存在するのです。
一体何が起こっているのか、既に情報を封鎖されて孤立した私には見当が付きません。
何も知らない国民の方々はいつもと変わらない日常が過ぎていると感じておられるでしょうが、得体のしれない恐ろしい事が起こっている気がしてならないのです。
何か情報はお持ちでは無いでしょうか?」
ティアラはティーカップを手に取って紅茶を一口飲んだ。
沈黙の時間がしばらく流れる。
カップを置いたティアラは言った。
「ここへ来られるのが遅すぎました。
阿形総理。
私が匿名で行った警告は全てどこかで握り潰された様ですし、せめて阿形総理が今の様に信頼に足る人物だと分かっていればさらに手段を模索も出来たでしょう」
「遅すぎた? それはどういう事です?」
「次の衆議院議員総選挙では、国民の投票は全て統制されて制御されます。
阿形総理の自由全民党は不自然な票数の逆転により、与党の座を失います。
既に全ての集計用のDNA認証システム、記録システム、ID追跡システムはバックドアの用意されたお飾りの物へ置き換え作業が進行しており、あと数日でそれらは完了します。
阿形総理が今からどうあがいてもそれを覆す事は出来ないでしょう。
お一人で何かをしようとしても、任期中に突然発狂した史上初の総理大臣という道化にされるのが関の山です。
しかし工作を行っている勢力の主目的は政権転覆ではありません」
「どういう事です?
やはり中国が何か攻勢をかけてきているんですね?
主目的が別に存在すると?」
「中国の軍事動向については最近ご覧になられましたか?
それともそれとなく話題を反らされて、他の物事に気を取られてその余裕は有りませんでしたか?」
「そう言えば思い当たる事が……」
ティアラは手元のコントローラーにハンドサインを送りながら操作し始めた。
ホログラムディスプレイが起動し、ティアラと阿形総理の間の机の上に情報や地図が羅列されていく。
「情報は多方面から見て、想像力を働かさなければその真の姿を見る事は出来ません。
中国大陸では去年、比較的穏健派だった楊宇航国家主席が国内テロを偽装して暗殺されました。
代わりに実権を握ったのは民衆解放軍の新羅地区方面隊の元上将、高秀英です。
彼はかなりの危険人物で、暴力革命を礼賛し世界の共産化を実際に実践する事を明言しています。
軍事最優先の政策を進め、敵対者とみなせば自国の村落すらも制圧して全ての住民を投獄し、恐怖と威圧によって団結を強制します。
既にあの大陸はこの世の地獄と化しています」
「それは知っています。
最近ではあの有名な兎赦山大林寺の修行僧達が全員連れ去られたそうですね。
あの歴史ある壮大な寺院が全て炎上する映像を見て、私は高秀英の正気を疑いました」
「高秀英はここ2ヶ月の間に、急激に兵器の増産を行い、上海の軍港や基地に集結させています」
ティアラが端末を操作すると、兵器の名前やクラスが次々と羅列されていった。
潜水艦、駆逐艦、ドローン空母、兵員輸送機、上陸艇、超大規模メガフロート空母。
しかも少し離れた箇所でも戦闘機や爆撃機、ドローンキャリアー等が集まっている。
ティアラは重苦しい空気の中、言い放った。
「彼らの主目的は、日本の政治混乱に乗じた九州制圧です。
ロシアや統一朝鮮にもそれに同調する動きが見られます。
それらの国々から傭兵まで募っているようです。
政治面では阿形内閣が不正選挙で転覆して混乱と無政府状態が発生するのは不可避。
軍事面では多国籍軍による援護が行われたとしても、それらの準備が整う前に九州が制圧される事も不可避です。
これらの動きに関して、私のリークが原因で命を落とす事になられた方々に関しては大変申し訳ないですが、それでも看過出来ない重大な事態だと思っています」
「何という事だ。
それにしても何故高秀英はこの時代になってまで共産主義という時代遅れのイデオロギーに囚われるんだ?」
「一種の宗教だと私は思います。
革命後の夢の様な世界という幻想を永久に追い続ける事が、彼らのような身勝手な連中にとっての生きるモチベーションなのだと。
普通はそんな狂った人間など排除されて集団は平均化する物ですが、あの国の今の状況は個人がエゴを通せる力を持ち続け、それを社会が許し続けた末路なのでしょう」
阿形総理はしばらく黙って考え込んだ。
そして決意の籠った目でティアラを見ながら言った。
「すべてを救う事が出来ない事は分かっている。
だから私や自由全民党がどうなろうとも構わない。
国民と国土を守るのに最低限必要な組織や人物、彼らを威圧して抑え込んでいる連中の情報を知りたい。
政治面では私が、暴力面ではマサコと火車が最大限排除する」
「今までにないほどの反撃を受ける事になると思いますよ?
相手は既に阿形総理の包囲網を固め終わっています」
「覚悟は出来ている」