第二話「特殊部隊のありふれた日常」
関東平野中央部、昔東京と呼ばれていた地域は半世紀前、統一朝鮮から撃ち込まれたダーティ・ボムの影響で人が立ち入れない隔離地区となっている。
ダーティ・ボムは純粋な破壊ではなく、高濃度の核汚染物質をばら撒く事で半永久的に広範囲を放射能に包まれた不毛の地とする爆弾である。
これにより直径80km程の円状の地域が立ち入り禁止となり、見捨てられた。
その戦略的な意図は国に対する攻撃という側面と、資産に対する攻撃という側面があり、土地を所有する特定の実力者層を狙った攻撃であったとも言われている。
そしてこの隔離エリアの存在により、千葉県の房総半島は日本の主要交通網から分断されることになり、本土に繋がっていながら陸の孤島と化し、地価も下落。
多くの人々が立ち去った。
その傷跡は深く、人口の高密度化が加速してアルコロジーが立ち並ぶ現代になってもなお、多くの地域が見捨てられた廃墟として残されたままである。
だがそう言った土地であるからこそ、作られる施設もある。
マサコが所属する内閣直属特殊部隊『火車』の宿営地もその一つである。
廃墟と化したビル群に四方を囲まれた、元々学校のあった敷地に今は校舎の代わりに平たい三角柱型のビルが建っている。
その一階のミーティングルームで、今日も軍服姿の隊員達が両サイドの壁際に等間隔で立ち、整列している。
特殊部隊員にとって平和な日常の朝は、いつもこうして始まるのだ。
ミーティングルームのドアを開け、キビキビとした足取りで入って来たのは同じ軍服を着た短髪の女性、マサコである。
整列した隊員達の間を歩きながら左右を向いて全員に語り掛ける。
「おはよう諸君!
今日も何事もない幸福で平和な一日の始まりだ!
今は朝4時、遅刻する者も居なかったようだな。
どうだ、ぐっすり眠れたか!?」
「「「「サー、イエッサーッ!」」」」
「一日間の体調復旧用の療養入院、ご苦労だった!
うなされるような悪夢、身を切られるような筋肉痛。
何より全身チューブに繋がれて身動きの取れない退屈過ぎる時間。
よく耐えてくれた。
特に突入チームは厳しかっただろう!
だがその苦痛に応じた特別ボーナスが毎度支給される!
儲けモンだな!?」
「「「「サー、イエッサーッ!」」」」
マサコは気お付け状態の隊員の一人、内藤の正面に立つ。
「内藤!
おとといの任務、ご苦労だった!
お前の的確な判断と立ち回りで私に迫る成果を残したそうじゃないか!」
「恐縮です!」
「今後も期待しているぞ!」
マサコは今度は別の隊員の前に歩み寄る。
「辰の西田!
お前の貫通狙撃、少し遅延があったぞ!
6階の大きなホールで、私が6名のライフルマン、1名のエグゾスーツと対面した時の奴だ。
一体どうした?」
「すいません。
待機位置がビルの壁面だった上に固定用の吸着器具の一部が外れてしまい、立て直しに手間取っておりました!」
「我々の任務では0.3秒の遅延で生き死にが変わる。
お前は姿勢制御技術の蓄積が足りない。
これから半月の選択VRプログラムは狙撃用姿勢制御を選択しろ!」
「サー、イエッサーッ!」
マサコはその隊員から離れて別の隊員の正面に移動し、腰の後ろで手を組んで仁王立ちになる。
「米原!」
「サー、イエッサーッ!」
「私が言いたい事は分かっているか!?」
「私が意識を失って倒れていた間にエグゾスーツにミンチにされる寸前だったと聞いています!
マサコ隊長にすんでのところで救って頂いたと。
申し訳ございませんでしたっ!
感謝しております!」
「突入チームはあの時間になれば耐えがたい眠気に襲われる。
そしてそれに逆らう事は限界の苦痛だ。
睡眠欲は生物にとって避ける事の出来ない欲であり、勝つか負けるかどちらにも揺れ動く苦しい自分との戦いとなる!」
「おっしゃる通りです!」
「だがっ!
我々は選りすぐられたエリートの特殊部隊だ!
求められるのは強靭なタフネスや筋力、攻撃技術以上に強靭な精神だ!
容易く心が折れて負けてしまう事で、仲間の命、何千、何万の命、果ては国の命を失う事に繋がる!
人の強さの根源は金でも経験でも筋力でも武器でも無いっ!
さらに言えば鍛錬を繰り返して身に着けた技術でも無いっ!
もっと根源にあり、生き死にを決めるのは強靭な精神力だっ!
今回の事だけでは無いぞ?
私はお前の事を若干不安視している!」
「……問題有りません!
次からは気を付けます!」
「耐えられないのなら辞めるか!?」
「……いえ、続けさせてください!」
「優しく言ってやろうか?
お前は普通の一般人に比べれば十分に強いし有能だ。
どこへ行っても通用するだろう。
他の道を選択すると言うのも別にそれは敗北を意味する訳でも……」
「私はこの特殊部隊『火車』の隊員として働き続けたいです!」
「……よし!
ならば精進を続けろ!」
「サー、イエッサーッ!」
マサコは隊員達を見渡せる位置へ移動し、見回しながらいつも通りの指示を行った。
「それでは皆、朝のランニングだ。
療養入院明けであることを考慮し、10キロコース一周!
それが終われば各自シャワーを浴びてから朝食を取れ!
「「「「サー、イエッサーッ!」」」」
***
マサコも隊員に交じって宿営地の周囲10キロのランニングを終えてシャワーを浴びた後、食堂で朝食を取っていた。
その机の左右と向かいには事務や兵器の整備、医療に携わる若い女性も座って楽しく会話をしている。
別にマサコは誰もが恐れる鬼軍曹で、怖がられている訳では無い。
選りすぐりのエリート特殊部隊に入って来るような連中は、上官が怖くて萎縮するといった下らない次元はとうに越えている。
そして兵士では無い女性陣にとっては同じ女性でありながら腕っぷしの強い男共に顔が効き、自身もトップクラスの暴力的な実力を持っているマサコは頼りがいがあるのである。
「この間律子がストーカー被害にあって困ってるって言ってたじゃん?」
「マサコに相談した奴でしょ?
結局どうなったのあれ」
「二度と寄って来なくなったって。
偶然メガリニア内で一度出くわしたけど声を上げる間もなく転びながら逃げ去って行ったって。
マサコに感謝してたわ」
「ええぇ!?
マサコ、何かやったの?」
「ん? 別に。
口頭で説得しただけだ」
少し離れた席でホットサンドに齧り付いていた男の隊員が女性陣の方を向いて手を挙げて言った。
「そうそう!
マサコ隊長と、俺達突入隊員数名でがっちりスクラム組んで周囲を取り囲んで見下ろしながら丁重に説得しましたよ!
ねぇ、マサコ隊長!」
「こらっ、余計な事は言わんでいい!」
「可哀相に、そりゃぁビビるわよ」
「絶対『殺される』って思ったはずよ」
「いやいやいや、口で注意しただけ。
あくまでも穏便に丁寧にやっただけだって」
「ドイルの奴なんか懐から取り出したサバイバルナイフをベロベロ舐めながら威圧してましたけどね」
「うわっ、キモーイ!」
はしゃいで話が盛り上がっている中、軍の制服を着た一人の壮年の男が歩み寄る。
そしてマサコの肩を叩いた。
マサコはオレンジジュースの入ったグラスを持ってストローを口に入れたまま振り向き、見上げる。
「君をご指定の依頼、特別任務だ。
午後3時からでいい、出発出来るかね?」
「私をご指名ですか。
一人と言う事は……」
「そう、SP。
護衛任務だ。
君でなければ務まらない。
君の実力に見合うほどの重要人物だし、出先で女性のボディチェックをする可能性もあるからね」