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箱庭物語  作者: 晴羽照尊
最終章 『ノラ』編
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冷厳整斉


 フランス、パリ。

 WBO最重要施設、『世界樹』。


「おわっ――」


 ――っとと。と、男は危なげに、その瞬間移動をこなした。

 なにが、起きた? その思案は一瞬。すぐに答えに至った。少なくとも男の知っている限りにおいて、そのような現象を引き起こせる異能は、ひとつしかなかったからだ。


「ありがと。シュウ」


 答え合わせのように、少女の声が近く、聞こえる。


「あなたは、ほんとう――」


 そちらを、男は向いた。だが、その声のあるじは、男が想定した者とは、まるで別人のような表情に、見えた。

 いや、間違いなく少女だ。男の、娘だ。だが、どこか、他人のように見えてしまう。どこがどうおかしいのか、理屈付けて理解はできなかった。


使えるわ(・・・・)


「…………!?」


 少女の言葉を聞いて、そばにいた丁年は、くずおれた。瞬間、男は、少女がなにかをしたと思った。目には見えないほどの速度で殴ったとか。そうして物理的に、丁年を行動不能にしたのだと――。

 だが、その点にも男は、即座に理解する。


 丁年は、その言葉に折り合いをつけようとしていた。

 言葉の綾だ。深い意味はない。そう、自分に言い聞かせる。

 だが、聡明な少女のことだ、その言葉はきっと、間違えて用いられた語彙ではない。


「使えるわ」。つまるところ、利用価値がある(・・・・・・・)。逆に言えば、それだけの存在(・・・・・・・)。彼女は自分に、そう言ったのだ。丁年は理解する。理解して、くずおれたのだ。


 解っている。それは、少女の本心ではない。だが(・・)本心だ(・・・)。本気で、そう言っている。


 つまり、それだけの強い言葉を使って、自分を拒絶しているのだ。そのように、理解した。理解できてしまった。


「あなたは頭がいいから、ほんとう、扱いやすい。だから、好きよ」


 心のこもっていないような、言葉。いや、ただ単純に、『家族』として――という意味だったのだろうけれど。

 それでも、『好き』というワードに、丁年は歓喜してしまう。都合のいい言葉だけを、耳に響かせる。もう、なにも考えられない。


 その隙に、少女は丁年の持つ『異本』を、すべて回収した。台湾、台北。WBO本部ビルでの決戦にて、佳人や麗人、あるいは女が手に入れた『異本』は、丁年がすべて握っていた。そして、彼らがそもそも持っていた『異本』も。


 さらには、『世界樹』に移動する前に、WBO本部ビル、エントランスホールでの乱闘。そこで一部のWBO構成員が使用した『異本』も、すべて回収するように指示しておいた。つまるところ、少女や男が持つ『異本』以外の、あの場に残っていたほぼすべて(・・・・・)の『異本』は、丁年が少女の指示で、ひそかに回収していたのだ。


 そのすべてを、そっと少女は、丁年の手から奪う。


「あ、ノラねえ」


 その回収が済んだころ、淑女が少女のもとへやってきた。朗らかな、『家族』に向けるに、ふさわしい笑みとともに。


「ルシア。おつかれさま。……『箱庭動物園』は――」


「…………?」


 少女も、優しい笑みを向けている。優しいのに、どこかおどろおどろしい、絶妙な笑みを。

 そのまま、淑女の持つ『異本』――に、一瞥を向けた。


「『箱庭動物園(それ)』だけは、完全にイレギュラーね。『異本』、776冊の埒外。どちらかというと、『宝創(ほうそう)』と呼ぶべき、一冊」


「うにー? なに言ってんの、ノラねえ」


 解説じみたセリフに、淑女は困った笑顔を返した。


「すでに『異本』としての力を抜かれた友人(テス)を収めるのに、それはあなたに必要ね」


 だけど――。淑女に言葉を紡いでから、次いで、少女は男へ、顔を向ける。


「あなたがどうしてもって言うなら、盗るけど」


 うゆー? どこか疎外感のある言葉に、淑女はまだ、理解が追い付かない。のほほんと、小首をかしげていた。


 だが、男はもう、少女の異常さに気が回り始めている。なんでもないことのように言う少女の、そのなんでもなさに、ぞっとして――


「いらねえ」


 とだけ、なんとか返答した。


「そ」


 一瞬だけ、少女は安堵したように、力を抜いた。だがまた、少し肩が、上がる。


「ルシア。ぜんぶ終わったわ。あとは『世界樹』の『異本』を封印するだけ。あと少しね」


 少女は少女らしく、笑った。十四歳のようで、二十歳のようで――。

 まるで神様みたいに完成された、不気味で美しい、笑みだった。


「あ、うん」


 それに、淑女は圧倒された。元来、おっとりとした彼女である。『圧倒された』ということを彼女自身、理解はしていなかった。だから、やはりきょとんとした、間の抜けた応対になってしまう。


「『マート・バートラル』。『kq()』。……『ムオネルナ異本』」


 この地での、淑女や司書長、あるいは学者とのいざこざの果てに取り残された『啓筆(けいひつ)』は、床に散らばっていた。それらを拾い上げ、少女は確認する。


 特段に、『ムオネルナ異本』。少女の娘とも言うべき女の子が適応したこの一冊が、ここにあるということは、やってくれたのだ(・・・・・・・・)。そう、確認。


 あの、思い出すだけでも虫唾が走る、貴人。ケラ・モアロード・クォーツ侯爵へ依頼した、一件。『あの子たちの才能を消して』、という、願い。どうやらちゃんと、果たしてくれたらしい。


 これで、もうひとつ、憂いが消えた。安心して、終わらせられるわ。そう、少女は確信する。


「じゃあ、行くけど……数分、余裕があるわね」


 ぴと、と、人差し指をひとつ、自身の頭にあてて、少女は言った。


「ちょっと着替えてくる」


 そう言って少女は、拾ったばかりの『異本』を男へ押し付けて、どこかへ行ってしまった。


        *


 戻ってきた少女は、普段通りの姿だった。


 清潔な、白いワンピース。オペラグローブ。彼女がその身に――頭に宿した『異本』、『シェヘラザードの遺言』により、姿は一定に、十四歳のまま。なめらかに美しい銀髪に、透き通る白い肌。完全無欠に真っ白な姿に、ひとつ、ふたつ、鮮やかな緑眼が煌めいている。


 どれもこれも、男と出会ったころのようだ。だが、たしかに違う。それを体現するように、その胸元には、瞳と同じような翠玉のペンダントが飾られているし、左手の薬指に、『家族』の証が輝いていた。


「……そんな服、どこにあったんだ?」


 つうか、なんで着替えたの? という問いは、飲み込んだ。男にはよく解らないけれど、女性にはいろいろあるのだろう。そう思ったから。


「こんなことになるのは解っていたから、ルシアに用意させていたのよ」


「ねー」


 どこか嬉しそうに、淑女は少女の言葉に追従した。「ねー」。楽しそうにはしゃぐ淑女とは裏腹に、少女は棒読みで、彼女に応える。


 とはいえ、男の疑問は解消されていない。というより、男自身も、自分がなにを疑問にしているのかを理解していなかった。ので、「あっそう」と、呆れるような、諦めるような返答を零すだけだった。


「さて、じゃあ――」


 身なりを整え、表情も引き締める。まだ、なにかに緊張しているように。


 男は、気軽だった。もう、すべて終わった。結果としてWBOとは和解――のような形となったし、各所で戦闘は行われたようだが、どうやら誰も、死んでいない。大きな怪我をした者も、多くない。心配事は、なにもない。


 だから、ここ、『世界樹』でやることは、ただの作業だ。残りの『異本』を回収して、『箱庭図書館』に収める。それだけ。




 すべての『異本』。776冊(・・・・)。その蒐集が、終わった。

 目的が、達せられた。


 意外と、達成感はなかった。というより、現実味が薄かった。だが、これで、少女を傷付けた『異本』は、世界から消える。すべて(・・・)一冊の漏れなく(・・・・・・・)――?




「行きましょうか」


 少女が、言った。それはとても、タイミングのいい言葉だった。


 男が、あまりに単純で、あまりに当然で、それゆえに失念していた『大切なこと』に思い至る、一瞬前だ。


 ――まあ、どちらにしたところで。


 ドオオオオォォ――ンン!!


 少女が言葉を発そうと、しまいと。それとほぼ同時に響いた轟音に、やはり男の気は、逸らされたのだろうけれど。





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