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箱庭物語  作者: 晴羽照尊
台湾編 本章 ルート『正義』
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話をしよう


 WBO本部ビル、最上層。地上60階。

 地上300メートルほどの高層階だ。だから、なのか。やけに空が近く感じられた。


 すっかり更けた夜に登る満月が、あまりに大きい。煌々と、いまにも落ちてきそうなほど、存在感を放っている。


 月光が、壮年のダークグレーの髪を、印象的に浮かび上がらせていた。白髪の混じったその髪が、一本一本、光源となっているように輝いている。いまだにずっと、男に背を向けたままだから、なおのこと、男は彼の、その髪を眺めているしかすることがなかった。

 オールバックに撫でつけられたその髪を眺めるか、あるいは、彼の話を聞くくらいしか。


「結局、要点はどこなんだよ」


 男は問う。

 長い話を、聞いた。


『異本』の、始まりの物語。シリアで発掘された、石板から始まった。それは人の精神を乗っ取り、彼らの――彼女らの大学生活は、一変した。

 研究は進み、あるいは、交流が進み、『異本』に蝕まれた彼女以外の者たちも、その『異本』の意思と、接触することに成功する。

 やがて時は流れ、WBOが成立したきっかけと、いまの形となる沿革を聞いた。


 たしかにどれも、『異本』の物語だ。だが、はたして結局、壮年はなにを言わんとしているのか、男には理解しかねた。壮年が『異本』というものを、どうしたいのか。それすらも、解らない。


「要点などない。これはただの、物語だ。私の、私と彼女の――私たちの(・・・・)物語(・・)


 少しだけ男を振り返り、壮年は言う。やはり月光を反射しているのか、銀色に輝いていた瞳が、片方だけ、ちらりと見えた。


「あんたがなにを伝えたいのか、俺にはさっぱり、解らねえな。あんたは俺の目的を――『異本』すべてを集めて封印するって目的を、思いとどまらせるために話してんだと、思ってたよ」


 だが、そんな様子はない。というより、これまでの話を聞いてもなお、『異本』は封印すべきだという考えは変わらない。むしろ、その確信を強めたくらいだ。

 人の精神を蝕む、『異本』。それにより壮年の恋人も被害を受けた。そのうえ、死に至っている。ならば、彼だって『異本』を憎んでいるはずだ。この世から消し去りたいと、そう思っているはずだ。


「言葉通りでしかない。こんなものは、ただの、物語だ。伝えたい意図などない。仮にあったとしても、なにを受け取るかは、聴き手しだいだ。だが、氷守(こおりもり)(はく)――」


 その名を、強調するように、壮年は呼んだ。


「この物語を、おまえは聞く義務がある。あるいは、聞く権利がある。そして私には、話す義務があった。……話さないまま終える権利は、私にはないがな」


 失笑のように鼻を鳴らし、壮年はまた、空を見上げる。壁一面ガラス張りの、その、巨大なスクリーンに映る、馬鹿みたいに大きな、月を。

 後ろ手に組んだ腕は、ほどけない。だからそれを、天へ掲げることは、できない。その代わりにするように、彼は首を伸ばし、少しでも月へ、近付こうとしているかのようだった。


 手を伸ばせば、届きそうなくらいに大きな月だ。それでも、誰もが理解している。

 月を掴むことなど、できないのだと。


「長話になったが、最後にひとつ、聞いてくれ」


 壮年は言う。届かない月に、嘆息して。

 諦めの息を、漏らして。


「これが、正真正銘、最後の、物語だ。落ちこぼれだった私たちは、『異本』に出会った。そうして、誰もが、『異本』に人生を狂わされた。だが、私たちは――」


 いまさらになって、ようやく――。

 ようやく、壮年は、男を振り向いた。男に対して、向かい合った。面と向かって、言葉を、紡ぎ出したのだ。


「私たちは、幸福だった。――そのはずだ。『異本』などというイレギュラーが私たちを――世界を狂わそうと、私たちは幸福で、そして――」


 壮年はデスクへ向かい、そこにあるメモ帳に、なにやら書き綴った。


「世界は、素敵だ」


 ――そのはずだった。と、彼は続ける。書き終えたメモを引き剥がし、デスクに置いた。それに、ペーパーウェイトを乗せて、押さえる。そのクリスタルの中には、細かな雪が降り、白い花が咲いていた。


「……先に、約束を果たしておく。このメモを持っていけば、『世界樹』にあるすべての『異本』は、おまえのものだ。……これで、おまえの旅も、終了だな」


 まるで彼自身も、その旅に同行していたかのように、安堵した声をしていた。肩の荷をすべて、降ろしたような。


「『箱庭図書館』」


 その荷物は、それだけ重かったのだろう。その重みに耐えるため、彼は、懸命に生きてきたのだろう。

 だから、声が、震えている。これまで気張ってきた反動で、荷物を降ろした途端、全身が震えている。


「『箱庭図書館(それ)』に、すべての『異本』を封印しようが、すべての『異本』を燃やし尽くそうが、もう遅い。世界はとうに、『異本』というイレギュラーを受け入れた。そのもの自体がなくなろうと、その影響は残る。『極玉(きょくぎょく)』や『宝創(ほうそう)』が生まれたのも、その一端だ。人類はもう、超越的な存在を、認知している」


「だから、『異本』だけ封印しようが、意味はねえって言いてえんだろ。そんなことは解ってんだよ。ただ、俺は――」


 じっ……と、壮年に見つめられる。その視線に、男はわずかに、緊張した。


「俺の大事なやつら――『家族』に危害を加えるものを、排除したいだけだ。『極玉』や『宝創』が俺たちを傷付けるなら、それもそのとき、消してやるさ」


 大きなことを言っている。そんなこと、男にだって解っている。

 だからだろうか。神経が冷たくなるのを、男は感じた。あるいは、目の前の相手に対する緊張が、そうさせたのか。


 不思議、なのだ。男は壮年に対して、不思議な感情を抱いているのだ。敵意や悪意。それも、少しだけある。同じように『異本』に関わるもの同士だからなのか、妙な親近感もある。


 つまるところ、初めて会った気が、しないのだ。この日に、初めて会った、はずなのに。


「若いな」


 壮年は言う。嘲るような言葉だが、しかし、その口調には、穏やかな響きも含まれていた。


「馬鹿にしてんのか?」


 男は言う。棘のある言葉だった。だが男も、穏やかな感情を抱いていた。友人同士で冗談を言い合うような、気持ちだった。


「ああ、馬鹿だ。大馬鹿だよ」


 壮年も、その冗談に乗っかる。そのように、少しだけ、笑う。

 悲壮感に溢れた、笑みだった。


「そんな、若者(馬鹿)だった。私も、馬鹿みたいに『なんでもできる』と、そう思い込んでいた、馬鹿だった」


 デスクへ両手をつき、うなだれる。まるで多額の借金でも抱えて、どうしようもないと諦めるように。


「すべてに失敗した。すべてを失った。もしうまく立ち回れたなら、すべてを回避できたか? ……いいや、そんなはずはない。だが、こうまで見事に、なにもかもを失うことはなかっただろう」


 両手をついたまま、顔だけを上げる。そうして、男を見た。睨むような、恨むような、目で、鋭く。


「私たちは、ただのちっぽけな、人間だ。落ちこぼれの、存在だ。この世界を支配する、超越的ななにかには、抗えないのだ。消し去ることなどできない。――だが、利用することは、できる」


 自身の言葉に、いまこのとき納得したように、壮年は握りこぶしを作った。力を込めて、体重をかけて、静かな激情を、ぶつけている。


「『異本』も同じだ。封印して、消し去ったつもりでも、この世界にはその力が、残留する。けっして逃げられない。ならば、我々人間は、それを利用するすべを、考えなければならない。向き合って、ちゃんと――」


 壮年は、ふと、我に返ったように、言葉をためらった。男と目を合わせたまま、呆けた、顔をする。

 それから、傾けた姿勢を正して、きりっと、立つ。身なりを整えて、しっかりと男に、対面した。


「人と人は、ちゃんと、話し合わなければならない。……おまえにはこれから、私のすべてを――その物語の、最後の1ピースを、語ろう。私が私と、向き合えなかった話を。私が私の、大切な者たちと、ちゃんと向き合えなかった話を――」


 こうして壮年は、ようやく話し始めた。これまで誰にも――『家族』とさえ思う、仲間たちにも話せていない、最後の、懺悔を。


『異本』の始まりの物語。その、第三章。


 若き日の壮年――若男と、その恋人、若女。そして、もうひとり(・・・・・)の物語、を――。





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