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箱庭物語  作者: 晴羽照尊
台湾編 本章 ルート『狂信』
360/385

まっすぐ


「私はこうして、さらにリュウに『狂信』するようになった」


 自らを卑下するように、若人はそう、吐き捨てた。言ってから、首を振る。


「いや、これでは、ただの贖罪だな。私はリュウに心酔しているようでいて、その実、ただあのときの負い目から、あいつに協力していただけなのかもしれない」


 その気付きに、特段の感情はないように思えた。虚無だ。もはやすべてが、どうでもいいとさえ思っているような、虚無の表情。


「思えば、最初から――徹頭徹尾、私はあいつに、恩義と、負い目を感じていただけなんだろう。どんな思いが、どんな裏があるにしても、私は拾われ、救われた。であるのに、私は間違いを犯し、リュウを裏切っただけだった。そのマイナスは、負債は、常にかさむばかりだ。わずかに返済できようが、もう利子すら払えない。この感情は、呪いのように、永遠になくならないんだろうな」


 それに対して、諦めたような微笑みを浮かべる。そうして若人は、ながらく忘れていた煎餅(大好物)へ、手を伸ばした。それを噛み砕く音も、どこか弱々しく聞こえる。


「…………」


 長い話を聞き終え、紳士は黙り込む。彼の話に、どうコメントすべきか戸惑ったのだ。


 共感できる部分はある。いや、どうしても他人事とは思えないような、共感できることだらけだった。彼と同じような負い目――というより、引け目が、彼にもあったから。

 あまりに自分と、能力差がありすぎる、少女。彼女が一緒にいてくれている(・・・・・・・)という、引け目。


「いや、申し訳ない。こんな話を聞かされても、困惑するだけだったろう」


「いえ、ただ――」


「気にする必要はない。私の話はこれですべてだ。君は義務を果たした。もういいから、行ってくれ」


 それは、若人の『異本』、『啓筆(けいひつ)』序列八位、『黄泉怪道(よみかいどう)流転回生(るてんかいせい)』を譲渡する代償。彼の話を聞く、という、義務のことだった。たしかにそれは、達成された。しかし――。


「……君は、私が納得できる道を探そう、と、言ってくれたね。だが、そんなものはもう、どうでもいいんだ。過去に納得なんて、できなくていい。リュウはどうせ失敗する。そして仮に成功しようと、私もようやく、彼への『狂信』から解放される。……ああ、それはそれで、いいんじゃないかと、思い始めてきた」


 無理に作ったような、笑顔を浮かべる。取引先に向けるような、営業スマイルのようだ。感情なんてない、やはり変わらずの、虚無の表情。

 その奥底になにを抱えているかを思い、紳士は胸が痛んだ。同じようでいて、同じではないのだろう、だが、きっと似ている、自分と相手の、『狂信』を。


「……わたしは――」


 紳士は、口を開く。言いたいことがあった。言いたいことはあった。だが、それがうまく言語化できない。


 こんなとき、父なら――稲雷(いならい)(じん)なら、どう言うのだろう? ふと、そんなことを思った。あの、言葉を巧みに操る、人の心を惑わす天才なら、嘘だろうと騙しだろうと、眼前の若人を篭絡させ、まがりなりな救いを与えるくらいのことはやってのけたのだろう。


 そんなことは、自分にできない。そう、紳士は思う。その瞬間、彼は、思い出した(・・・・・)。麗人から聞かされた、若者の最期の言葉――遺言を。




 ――きみは、ぼくの代わりにはなれない――




わたしは(・・・・)――」


 紳士は言うべき言葉を、見つけた。


        *


 もはや話は終わった。だから若人は、紳士に背を向け、一面をガラス張りにした、デスク裏の壁から、空を眺めていた。よく、『狂信』する壮年が、そうしていたように。


「わたしは、ノラを愛しているんです」


 言い慣れない言葉に、緊張する。ましてや、本人に対してではない。本日初めて会った相手に向けて言うのであるから、なおさら。

 紳士の告白に、若人はわずかに、反応した。背を向けた紳士に振り向くではないが、少しだけ、首を捻る。


「かつてわたしは、狭い世界に閉じこもった、偏屈な少年でした。父である稲雷塵の影響でもあったでしょう。だから、彼女が来なければ、わたしはいまでも、変わらずそんな、偏屈者でしかなかったはずです」


 自分は、なにを言っているのか。紳士にもよく解らなかった。ただ、自己の贖罪を終えた、眼前の若人のように、自分のそれを、聞かせたかっただけなのだろう。

 彼と自分を、重ねて。同じような『狂信』を、共有したいと。


「彼女がやってきて、わたしの世界は踏み荒らされた。それは、心地の良い困惑でした。彼女とともに世界を見て、わたしは、まっとうになれた。つまりわたしは、ノラに救われたのです」


 バリッ、と、ひとつ、煎餅を齧る音が聞こえた。その咀嚼音が、紳士に、話の先を促す。『聞いている』と、相槌を打つような、音だった。


「やがて、ともに歩むことを誓って、わたしは、有頂天でした。この世のすべてを手に入れた錯覚さえ覚えました。だから、間違いを犯したのです」


 平然と語るが、内心、紳士は歯噛みしていた。思い出せば、またうなだれ、崩れ落ちそうだ。あのときの間違いに、後悔を(・・・)抱けずにいる(・・・・・・)。その不思議な感情が湧き上がるのだから、なおのこと。


「べつの女性に、捉われてしまった。……いや、これでは被害的だ。わたしはわたしの意思で、ノラとはべつの、女性を選んでしまった。ノラはそれを許してくれたけれど、わたしはわたしを、許せない」


 思い返すに、あのときの自分が、なにを感じていたのか、理解しがたい。そう、紳士は思う。


 たしかに、あの女性は――『女神さま』は、少女よりも(・・・・・)少女らしかった(・・・・・・・)。彼女こそがノラ・ヴィートエントゥーセンだと言わんばかりの存在だった。――どうしてそう感じるのか、いまの紳士には理解できない。だが、あのときの紳士には、それこそが真実だった。


 あるいは、『女神さま』にとっても――。


「それで、君は――」


 ふと、若人が声をあげた。


「それを、どう乗り越えた。どう納得したんだ」


 今度こそ、首だけではあれど、振り向いて、紳士を見て、若人は問う。どうしてもその答えを、知りたいと願うから。


「乗り越えてなどいません。納得など、できようはずがない」


 だが、紳士はそう、言うしかなかった。おそらく答えなどない、問いに対する回答。


「それでもひとつ、真実は残っています」


 若人と同じ、負債ばかりだ。そう、紳士は思う。


 少女と出会い、救われ、それをあ仇で返すように、裏切った。さらには許され、甘やかされ、優しくされた。間違いを間違いだと認めることすら拒絶され、誤りを謝ることさえ、満足にはさせてくれない。


 少女は、紳士には遠い存在だ。うんと近くにいるのに、彼女はずっと、遠くを見ている。あまりに違いすぎるのだ。だから自分は、軽んじられる。そう、紳士には解っている。


 それでも――。


「わたしは、ノラを愛しています。わたしは彼女の、隣にいたい。並び立ちたい」


 声は荒げないが、感情を昂らせて。少しずつ、言い聞かせたい相手に、歩み寄って。


「あなたも同じだ。そのはずです。……救われた。だが、裏切った。自分は相手に対して、負い目がある。それでも、わたしはノラを愛しているし、あなたは、リュウ・ヨウユェを、尊敬している」


 それは、同じ『言葉』でも、ぜんぜん違う。

 父である稲雷塵とは、まるで違う。


「わたしたちは、言うべきです。(ここ)にあるすべてを。たとえうまく言葉にできずとも、伝えるべき相手に、言うべきなのです」


 考え、理を詰め、策を巡らし、言葉を選ぶ。嘘をつき、騙くらかす。誘導し、思い通りに、篭絡する。――そうじゃない(・・・・・・)

 ただ、思うままに言葉にし、支離滅裂に、言いたいこともまとめきらずに、言いたいことを言いたいようにまくしたてる。感情のままに、叫ぶのだ。


「わたしは、あなたが、好きなのだと!」


 つまり、単純なのだ。なにも深く考える必要などない。

 それが、『狂信』の、答えだ。


「…………」


 懸命に言葉を振るう紳士に、若人は言葉を、ためらわせた。

 幼い。若い。青臭い。いろいろと思うところはある。それを小馬鹿に見下すほど、若人は年を食っていた。だが、その若さは、青臭さは、かつて自分も持っていたはずのものだった。


「……『好き』、か――」


 まっすぐ見つめてくる、紳士の目から逃れるように、ひとつ、若人は視線を落とした。己が内心へ、向き合うように。


「そういえば、言ったことはなかったかもしれないよ。……好き、は、ともかく。『私はあなたを、尊敬している』、と。ただそれだけの、言葉すら」


 もちろん、若人の態度は、露骨だった。その尊敬は、『狂信』は、壮年に筒抜けだったろう。


 だからといって、それを実際、言葉にするかどうかでは、大きく違う。


 言うから、伝わる思いもある。

 言わないから、すれ違うこともある。


 人は、言葉を話すのだ。まだまだ未熟な生命体である人類は、そうでなければコミュニケーションをとれない。


 であるのに、言わなくても伝わる関係を、最上のものと考えがちである。そうなりたいと。そうありたいと。言外のものこそが、至高だと、そう信じているのだ。


 解った気になって、解ってもらっているつもりになって、言葉を軽視する。言わなくても伝わっている。言わなくても理解している。仮にそれが真実でも、あなた(・・・)は知っている。


 解っていても、知っていても。

 言ってほしい言葉だってある。と――。


「ありがとう。白雷(はくらい)夜冬(やふゆ)


 まず、簡単なところから始めてみよう。そう思って、若人は感謝を、言葉にしてみた。

 そして、決意を新たに――。


「言ってみることにするよ。リュウに。『あなたを尊敬――』」


 その瞬間、目を離していた、ガラス張りの壁の先――その、外側に。


「『――している』、と……」


 ――一瞬だけ、何者かが、見えた。

 だから彼らは、ぽかん、と、わずかに唖然とする。その後、我に返り、駆け出した。


 WBO本部ビル。地上50階。『執行官長室』での対話。

 とりあえずは、解決。


 ――そして、最後の物語へと、続く――。





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