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箱庭物語  作者: 晴羽照尊
台湾編 本章 ルート『嫉妬』
313/385

鏡の中の、誰か


 不完全燃焼だ。まだ、心に燻りが残っている。

 だから、頬が熱い。


(わらわ)に女は、向いてないのう」


 それでも、ようやく危難を脱して、現実的に、思えてきた。

 女としての心臓が、跳ねている。

 だがそれも、わずかの間。まだやることが残っている。


(うぃもうと)たちの助けにでも、行くべきかのう」


 幸いにも、心身ともに、まだ動ける。まずはこの部屋にて、太虚転記(たいきょてんき)を含めた、二冊の『異本』を回収する。そうしてかがんで、階下を気遣う。腰を伸ばし、後ろへ反らし、階上を思う。助けに行くとして、どちらへ行くべきか。

 彼女は、少女や男たちとは連絡も取らず、単独でここへ乗り込んできた。だから、階上や階下に、誰がいて、誰と戦っているかを、ほとんど把握していない。そもそも男の家族は、いったい何人来ているのだろう? エレベーターが開いて、中を覗き見たときに何人か確認しているが、他には……?


「まあ、風の向くまま、気の向くまま……かのう」


 ぺろり、と、指先を舐め、風の流れを追ってみる。ううん。よく解らない。屋内だ。風など――気流など、さして感じられはしないだろう。


「ま、適当で」


 自身の内に残った『嵐雲(らんうん)』の気配は、いまは、もうない。あれは、最後の残滓だったのかもしれない。物語の終わりが近付いたいま、もう、それは今度こそ、綺麗さっぱり、消え失せたかも。であれば、これからは――。

 向いてはいなくとも、仕方がない。ただの女になるのも、いいのかもしれない。そう思う。部屋を出て、扉を閉める。その瞬間、その隙間に、自分を取り合った男性たちを垣間見る。


 今度こそ息絶え、恐怖と怒りの形相を張り付けたまま止まった、好青年と。

 まだ息はあるが、夢の中でまで延々と努力を続けているらしい、青年。


 どちらもどちらで、いい年をして、ガキみたいに懸命だ。いまだに初心(うぶ)で、たかが女のことで、命まで懸けたのだ。

 ……羨ましい、と、女は思う。やはり自分には、『女』が向いていない。


「羨望……いいや、違うか。これは――」


 己が感情に、己が言葉で、否定を向ける。

 これは、『嫉妬』だ。そう、訂正して――。

 彼らを残したまま、扉を、閉めた。


 ――――――――


 馬鹿みたいに派手な、純白のスーツ。金糸で縫製した、エナメルに光沢のある衣装一式。けっして父親のものを拝借したわけではないが、それに似せて仕立てたのは確かだ。自分のような日陰者には、似合わない。そう思う。だが、存外に悪くはない。そうも思う。

 生来の茶髪が、いつの間にか半分ほどだけ、綺麗に白髪になった。それを気にしたわけではないけれど、師匠である射手の助言もあり、ときおりすべて金色に染めることとしている。こうして金髪にして、鏡の前に立つと、実感する。ああ、俺は、『オヤジ』とは違えんだな、と。彼と同じような服装をして、彼と同じ髪色にしても、ちっとも似ていない。悲しくはなかったが、その姿に自ら苦笑するその顔は、どこかぎこちなかった。


 あの人のように、自身に満ち、なにものにも捉われぬような、底知れぬ凄みが、まるでない。鏡に映る自分は、どれだけ虚勢を張っても、いかにも弱々しい。


 丁年は、自己評価する。

 まったくもって俺は、何者でもねえ。


「…………」


 挨拶を一言で済ませ、開幕一番、問答無用に発砲した。モスクワのときは、狂人を殺せない都合上、効きの悪い麻酔弾を用いた。だが、今回は違う。致死性の高い銃弾を、初っ端から急所へ、的確に向けている。

 だが――。


「いきなりご挨拶なのね! 問答も無用ってのは、改めて――」


 唐突に、強靭に生まれた漆黒のキューブ。それに阻まれ、銃弾は目標を撃ち抜けずに、転がった。その黒が、融けるように解除されて、平然と顔を出すロリババア。そのセリフも半ばに、再度、丁年は無言で、連射する。

 改めて漆黒のキューブは展開され、すべての銃弾を防いだ。弾倉にも限りがある。その貴重なリソースを消費して、丁年が得たものはせいぜい、気分の悪い言葉を遮れた、という程度のものだった。


「命乞いをする気はないけれどねっ」


 跳ねても、冷静に沈着した声が、ふと、丁年の耳元でささやく。

 はっ、と、首と銃口を向けるが、そちらには、なにも、ない。


 なにも(・・・)ない(・・)


 寸前まであったはずの棚も、デスクも、ソファもない。丁年を取り巻く世界は、最前、銃弾を防いだような、漆黒の壁紙に覆われ、いかにも狭量に、包まれている。


「こっちにもあなたを迎える準備くらいあるんだから、話くらいしてほしいものだけどね!」


 なんでもないように、彼女は語気を荒げる。ポニーテールにまとめてなお、臀部ほどにまで届く、長い茶髪。それを揺らして、感情の起伏をあらわにする。その動きは、いまだ危機感を感じさせない。外見通り、まるで子どものように足を踏みしだき、丁年を指さす。


「べつに、話すことなんかねえッスよ。WBO(あんたら)は理解しているはずだ。俺らがここに、来た理由を」


 その意図を再認識させるように、丁年は、銃口を揺らす。白いグローブから唯一漏れた繊細な人差し指は、覚悟をとうに完成させて、微塵もためらいなどなく、しっかと引き金にかかっていた。


「そっちにはないかもしれないけれどね! こっちにはあるのさ! 少しは殺される相手の気持ちも考えなよっ!」


 鼻息も荒く、ロリババアは地団太を踏む。


「そんなもん考えて、人が殺せるか。馬鹿じゃねえッスか?」


「はわあぁっ! 馬・鹿! よく言われるっ!」


「…………」


 緊張感も、警戒もなさそうに、ロリババアは天を仰ぎながら膝をついた。それでもいったん、丁年は慎重に、射撃のタイミングを見計らう。そもそも彼女の隙を――隙だらけの隙を、さきほどから狙い撃っている。それでも、それらすべてが防がれた。だからこそ、その守りを達成した『異本』の力を見定めなければ、ならない。


稲荷日(いなりび)秋雨(しゅう)くん」


 やはり、情報は掴んでいたのだろう。丁年の名を呼び、ロリババアは立ち上がる。


「あなたたちの父親――稲雷(いならい)くんを殺したのは、たしかにワタクシたちだ。ワタクシたちはあなたたちに殺されても文句は言えないし、命を狙われる理由は、理解してる」


 神妙な声音で、ロリババアは言った。


「だからって殺されたいわけもない。そして、だからといってあなたたちに、ワタクシたちを裁く権利もない。……知ってるのかな? つい今朝方のこと、WBOは、解散が宣言された」


「俺たちはWBOを敵視してるわけじゃねえ。俺たち――稲荷日三姉妹弟(俺たち)が復讐を誓ったのは、あの場にいた、『特級執行官(あんたら)』だけだ」


「それは解ってる。そうじゃなくって、そうじゃなくって! ……えっと、WBO解散に合わせて、現状で貸与されてる『異本』は、その構成員たちにそのまま、譲渡された。つまり、いまこの『異本』、『グリモワール・キャレ』は、ワタクシのもの」


 濃緑色の装丁をした、正方形の『異本』。それを掲げて、ロリババアは言った。


「あなたたちは、たしかにワタクシたちを殺したい。そのためにここに来た。……でも、氷守(こおりもり)(はく)の、彼の『異本』集めも手伝っている。その理由も持って、ここに来ているはず。だから、ここらが落としどころじゃないかと、思うんだよね」


 掲げて見せた『異本』を、ロリババアはそばにあったテーブルに置く。……いや、正確には、そばにテーブルを(・・・・・・・・)生み出し(・・・・)、その上に、置いたのだ。いまだ世界は漆黒のまま。いまだ、丁年を捉えたままの世界は、彼女の手の中。その中で。


「『グリモワール・キャレ』は、あなたに渡す。ワタクシは自首します。実際に稲雷くん()を死に至らしめたのは『ランスロット』だけれど、ワタクシも、それを止めきれなかった。そのうえ、死にかけた彼を救命しようともせず、置き去りにした。法律に詳しくはないけど、きっと、なんらかの罪にはなるはずだよ」


 それで、手を打たない? そのように、ロリババアは、提案した。言葉通りに両手を打って、それで、懇願のような笑みを浮かべる。


 銃口を向けたまま、丁年は、その提案を、思案した。思案して、それを終えてからも、まだ、思案している表情をとどめ続けた。


 その表情のまま、答えを、向ける――。





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