1-3
☆
放課後――。
羽花が言っていた通り、進路指導室に呼び出しを食らった。
「今日は先生が納得するまで帰さんからな」
進路担当は田畑先生。皆は「タバセン」と呼ぶ。精悍な顔立ちに短髪と格好は年中ジャージ。担当教科は体育――ではなく、生物だ。
二年のときに赴任してきたのだが風の噂では、どうやらおれを更生させるために来たらしい。学校内で唯一、歯向かうのがタバセンだし、噂の裏づけになっているのだろう。
「タバセンが何回言おうと、進路変える気ねぇんで」
だからって噂程度でキンタマ縮ませてちゃボタンは守れない。こちとら十年で肝据わってんだ。ポッケに手ぇ突っこんで、ぶっきら棒に振る舞うぐらい造作もない。
「変えないって里仲お前な……自分がなに言ってるか、わかってるのか」
タバセンが呆れた顔を作った。
溜め息が交え、声のトーンが緊張感を醸す。
進路希望の紙をファイルから取り出して、激しく第一志望欄を叩いた。
「ニートだぞ、ニート! どこの世界にニートを認める教師がいるんだ。真面目に考える気あるのか!」
鬼の形相に、油を引いたフライパンで焼かれるベーコンみたいになっている。
怒るのも無理はない。第二、第三志望も空白。『ニート』とだけ書いた紙だからだ。おれは報酬を得た暁には南国にでも移住して、生涯遊んで暮らすスローライフのプランを立てている。
そのためなら、徹底抗戦もいとわない覚悟だ。
「タバセンもさ、毎度同じこと言ってて飽きない? タバセンもヒマじゃないんしょ」
しかし、散々おちゃらけても立場上の威厳か、はたまたタバセン個人のプライドなのか、均衡状態のようなものが延々続いている。
タバセンに関しての諦めてもらう方向はとうに諦めた。互いの決心は固いのかもしれない。
「先生の仕事はお前の進路を決める手伝いだ。話を逸らしてないで、現実的じゃなくとも夢のひとつやふたつないのか」
「おっぱい揉みたい」
「あのな……」
取り付く島もない感じだった。タバセンが。
夢を語れ、言われても無理難題にもほどがある。ボタンを守れなければ地球滅亡だし、守れば億万長者。夢も希望もない、詰みの人生。
おっぱいぐらいしか夢語れないおれの心も露知らず、ただの性的欲求の矛先で捉えたタバセンがイスを座り直した。
「今朝も遅刻したらしいな。もうすぐ卒業だというのにいつまで舐め腐った態度でいるつもりだ。お前以外は真剣に将来を考えてる。変なボタンを持ち歩いて、へらへら生活を送ってるのはお前だけだぞ。心を入れ替えてくれないか」
語尾の強さが必死さを物語っていた。
おれの態度について、教師たちや教頭、校長らに責任を押しつけられているのだろう。
明日にでもおれが「更生しました」と背格好を整えて、登校してくれば泣いて喜んでくれるのが目に浮かぶのは、単純明快な妄想だ。
「里仲は成績だけはいい。一年生からずっと学年一位をキープしてる」
個人別の成績表を開いて、指で確認する。
そもそもおれは好き好んで、この高校を選んだ。理由はバカしかいないからだ。バカばかりだとボタンを巧妙に押してくるやつはいないし、リスク軽減のためだけにこの高校を選んだ。
親は猛反対した。当たり前に喧嘩して、いまも別居している。「一度でも学年一位を逃したら、転校する」と条件をつけて、最後は説得した。
まあ……クラスにおれと僅差で争う女の子がいるのは、予想外であったが。
「だがな、進学でも就職でも、まずは生活態度から直していかないといくら勉学が秀でていても、いずれボロが出る。いきなり直せと無理強いはできないが、頑張ってみないか」
励ますようにタバセンは言った。
前のめりで、世間体を意識したアドバイスを言い放った。
教職者として至極当然のアドバイスなのに、ジャーマンスープレックスでカウントを奪いたくなるほどムカつきがこみ上げてくる。
本日も平行線なり。
「おい里仲、さっきから聞いてるのか。先生はな、里仲の将来を心配して言ってんだぞ。このままだと確実に里仲は挫折を――」
黙りこむおれの肩を揺すろうとする。
タバセンは、本当にいい先生だと思う。
どんな生徒にも分け隔てなく、真摯に向き合う姿勢は尊敬に値するんじゃなかろうか。
おれだって、もし普通であるのなら慕ったかもしれない。そう――普通であれば。
普通でいられないから、〝アレ〟をやるしかなかった。
伸ばしてくるタバセンの手を払いのけ、腹から声を張り上げた。
「ギャーギャーウルセェよ! 超音波ぶっぱなすぞ! シロムクも、そこにいんだろ」
「はい、もちろんです。晰さまのご命令とあればシロムク、全力で執行する所存です」
タバセンの背後からセカヒとシロムクが煙のように姿を現す。
「二人ともいつ入ってきたんだ!? 済まないが、これは里仲との大事な話なんだ。席を外してくれんか」
急に出てきた二人に驚きを隠せないまま、丁寧に退出を指示する。
「重々承知でございます、田畑先生。しかし、わたくしどもは晰さまの従順な使い。どのような状況に置きましても、命令を背くことをできません。お許しくださいまし」
スカートの端を摘まみ、失礼を請う。セカヒは下げた頭で薄ら笑みを浮かべる。おれの位置からは丸見えだ。
セカヒはシロムクのように身体的な能力は使わない。代わりに内面的な頭脳を生業にしている。
セカヒが策略し、シロムクが実行するコンビネーションだ。
仲間であれば心強いことこの上ないが、敵だったらやられ役を買って、(シロムクの)おっぱいに挟まれに行っていたに違いない。
ボタンをシロムクの手元に投げて渡す。距離を計算しているようだ。ギリ二メートル範囲で鳴らなかった。
「いつものだ。持って、廊下に出ろ」
「かしこまりました。では一分ほど」
シロムクは、あえて歩いて廊下を目指した。タバセンに判断の時間をくれてやるためだ。タバセンは幾度となく、あの超音波を食らっている。
逆らいには逆らいで対抗すべきなのだ。
「いま謝ったら許してやってもいい。但し、『私負けましたわ』と言ったらだけどな!」
「先生は間違ったことは言っていない。正論で狼狽えて逃げたのは里仲だ」
だ、だよねー……。
下手な脅しに乗らず、涼しい表情で教師の威厳を守った。あくまで『威厳』だけ……ね。
「しょうがねぇ。続行だ」
シロムクが二メートルの範囲を越えかけた直前、おれは床に伏せる。それを真似て、タバセンも避難訓練並みに床に身を屈めた。
――――発動。
ギュインギュイン!!! ギュルルルルル!!! ギュギュギュギュイ――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!!!
「あ、がっ……がががががががっ………………た、タバセン……は、早く折れてくれ……!」
おれと同じで耳を塞ぐタバセンに切に願っても届きはしない。ナンセンスな言葉だ。
たとえ聞こえたとしても意地と意地の果てのぶつかり合い。根負けなんてもっての外。
高々おれの進路先の揉めごとに、世界を壊せる兵器を利用のはバカげているのは百も承知だが、こうでもしないかぎりタバセンは帰してくれないのだ。
何度、頬に右ストレートをもらっても怪我は免れないように、超音波を浴びる恐怖心の克服は有り得なかった。
おれも可能なかぎり、超音波を発動させたくはない。しかし、この極悪なまでの人間を無力化する武器を利用しない手はなかった。
どんな人間でもボタンを押したくなる衝動より超音波によるトラウマのほうが遥かに勝るのだ。一度発動すれば、二度来るリスクは避けられる。
タバセンは相当な精神の持ち主だ。もう軽く三十回は食らわせているのに、臆しないんだからさ。
おれと同等、それ以上の変態だと確信したところでシロムクが戻ってきて、音が止む。
「終わりました」
「やっとか……」
ボタンを首にかけて、タバセンに向き直る。
タバセンはヘバっていた。変態であっても鉄人ではないように、おれも気分に害が生じる。三半規管が機能を忘れているような感覚だ。耳が遠い。
安全確保は十分に行った。
この超音波はボタンを点としたおれまでの球体型の面積に及ぼす。相談室のあたり上下に人がいないのを確認して、発動している。計算通りのはずだ。
「じゃあ、タバセン帰りますね」
「な、なにが……じゃあ、だ。まだ里仲の進路が決まって……」
「失礼しますね、田畑先生。まさかと思いますけど、教鞭を執る田畑先生が下校時間である十七時を回っても、自己都合を優先して生徒を居残らせるような愚行はしませんよね?」
おれが無許可で帰路に就こうとすると、頭を抱えながらタバセンが止める。だが、すかさずセカヒが横槍を入れてきたのだ。
チャイムが鳴らないから気づかなかった。もう過ぎてたのか。
「先生はべつに自己都合なぞ。大変なのは里仲なのであって、先生は……」
「先生は、なんですか? 先生は困らない、とか仰るのであれば、それこそご立派な『自己都合』じゃないんですか。所詮は晰さまの将来。先生は困りませんものね。ふふ……」
怯んだ隙を逃さず、下卑た笑みで追い込んでいく。
「…………わかった。今日のところは、お開きにするが、来週までに決めておくように」
まるで蛇に睨まれた蛙を見ているような寸劇だった。
おー、怖い怖い……。
なにはともあれ開放されたのち、セカヒとシロムクを昇降口に待たせて、おれは早足で教室にカバンを取りに行った。
がらんと広がる空間に、綺麗に染まる夕焼け。小汚い学校だが、澄んだ空気が流れる。おれは感慨に耽るわけでもなく、カバンを手に出ようとした手前かけられた声に振り返った。
「――晰くん、えっと、いま帰り?」
「おう、委員長か。そうなんだよ。またタバセンに止められてさ。委員長も今日、会議かなにかあったっけか?」
委員長――一年のときからクラス委員長をやっているから、皆からそう馴染まれている。名前は野々河琲色。
一四0センチ前後の小柄な身長。肩までの髪をお下げに括り、委員長・ザ・委員長を突き進んでいるような女の子だ。
小動物のような愛らしい目と気弱な性格が相重なり、一部では「ぶりっ子」と呼ばれていたりする。
当然、本人の耳にも届いていて、気にしているが我慢の選択肢を取ってしまったようだ。
最後におれとテストの順位を競っている相手でもある。
「ううん、違うよ。晰くんを待ってただけ」
そう言って、委員長は後ろ手で戸を閉めた。
「おれを待ってたって、なにか用があるなら、ここじゃなくても……」
「しらばっくれなくてもいいよ。わかってるくせに、いじわる……」
とことこミニマムな歩みで近づく委員長は、少しいじらしい感じがする。
そういうおれは今から委員長が言うべき内容を知っていて、それを知らないふうに返すのが楽しいというか、切ない想いでもあった。
「あはは……ごめんごめん。その……まあ、なんつうか、慣れるもんじゃねぇだろ、こういうシチュエーションはさ」
誤魔化した数秒間の目線の逸らし。
夕日に照らされたふたつの影が、まるで青春漫画のラストを彷彿とさせた。おれは思わず、押し黙る。
「わたし――」
委員長が意を決し、祈るように告げる。
結んでいる緋色の髪飾りはおまじないだよ、と言っていた。
「晰くんのこと――」
不意に窓から入る秋になり切れない温かな風が、おれの横を吹き抜けていく。
壁に阻まれた温かな風は、ツバメ返しのごとく下流に潜ってからのスカートの真下に狙いを定めたのち、翻しながら上昇をしたのだった。
「――ずっと好きでした。わたしと、付き合ってください」
運命とは、いつも。どこかを見ているのかもしれない。
11日間も空けてしまいました。
次回こそは短いスパンで書けるよう精進します。
新キャラ「野々河琲色」ちゃんもよろしくお願いします!
友城にい