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「――そうだったんだー。それはそれはあーくん大変だったでしょ」
一夜明けた朝の駅のホーム。待ち合わせたわけでもなく、始業時間までに着くように家を出ると、奇遇にも歩きスマホをする無礼者の羽花が門の前を通ったのだ。
羽花もドアの音でこっちに気づいて、びっくりした表情を見せたのち、一緒に行こ、と誘われた。ちょい久しぶりに横を歩いた。そのまましばらく、おれに道路上の安全をまかせてスマホをいじっていた。が、不意に「二人となにかあった?」と聞かれ、咄嗟になんで? と返すも「なんとなく。ボタン下げてないし」と視線がぶつかったところで、おれは告げた。
「じつはな、セカヒとシロムクの正体は神の使いで、あのボタンは押すと地球が爆発するボタンだったんだ。おれはそれを十年間守っていた」
「へぇー。じゃあ、その任務? かはわかんないけど、昨日で終わったってこと?」
「そういうことだ。……って、信じるのか? こんなバカげた話」
「べつに信じたとは言ってないじゃん。ただ私はあーくんを信じてるだけ。どんなことを言われて、騙されているとしても、私には信じることしかできない。バカだしね」
スマホをやめて、おれより前にと進む。重そうだった両肩のバッグが、今は通学用のカバンだけをかけ、身軽になった羽花が振り返る。
「ほかにもいろいろあったんじゃない? 聞きたいなー。私の知らないあーくんの話」
おれの幼なじみは今日もよくわからない。話は信じてない、けどおれを信じているから内容の真偽については二の次で、てことだろうか。良くも悪くも、おれが羽花の話に対し、極力同調しているのと、決して遠くないな。
聞き流しやスルー力は、人間関係を円滑にするためだけじゃなく、自身のメンタルを守ることにもつながる。羽花はこの手の社会的適応スキルが、人一倍抜きん出ていると言っても過言ではない。
あの日から、羽花は変わらずに変わった。頼ってみてもいいのかもしれない、そう思った。
おれは羽花に報酬と最終指令のこと以外は打ち明けた。で、このリアクションである。
「――にしても今日のあーくんのカッコー、やっぱりあーくんぽくない。頭打って池に落ちたら優等生になってたみたいな、チョーキモキモ助の勘違いマンにしか見えないし」
ボロクソ言われる。しかし、羽花が不思議がるのも無理はないのか。固めていた髪も、着崩した制服も、遅刻の常習も、全部取っ払ったんだ。多少のディスりは仕方あるまい。
「おれは元から優等生気質だ! ……って、自分で言うとナルシっぽいな……」
「あははは、なにそれー。あーくんが優等生? ない中のないでしょー。冗談下手だよねー。あーわかった。さては、私をからかったなー? あーくんやるー、このこのー」
ニコニコ笑いながら、肘でぐいぐいつつく。軽く出鼻を挫かれた気分だ。だが、もし、攻撃手が幼なじみでなかったら、決心まで砕けていたことだろう。
だったらよく見ていろ、なんて小物みたいな捨てゼリフを吐きつつ、もうそろそろか、とスマホで時間を確認していると、アナウンスが流れる。
ホーム内が一際騒がしくなる。
なんか新鮮だ。たったの一度さえ欠席していないのに、まるで今日から高校生活がスタートするような感覚に包まれる。
和気あいあいと友だちと話す同じ制服を着た生徒らの光景が、なにより周辺を同年代に囲まれていても警戒しなくていい日常が、当たり前なんだよな。
と。
カッコつけるが、すでにすし詰め状態の電車に押しこまれたのち、短かった憧れとお別れした。凄ぇな。これに毎日耐え抜いて通学やら通勤やらするのか。
……いや、普通に暴力じゃね? と将来に絶望を覚えていると、となりから弱々しい呻き声が聞こえた。
幼なじみが、ピンチだった。窓に張りつくおれに対し、羽花はなぜか窓を背に立っていた。胸をモロにくっつけられている前のリーマンは、両手を挙げたまま気まずそうに額に汗をかいている。
叫ばれたら終わる――。そんな心情さえ伝わってくるようだ。つまんねぇな大人マジ、とかも思った。段々ムカつきがこみ上げてきた。
お前みたいなリーマンを不幸にするために、このおっぱいは存在してないんだよ――。
「あ、あーくんっ!? ――っ」
羽花の手を力いっぱい引いて、窓とおれとの隙間に滑りこませる。
「いきなりですまなかったな。痛かったか?」
「…………」
奪い取った幸せのSランクの性的成果を胸板で供給む。
それよりも、どうしたとばかりに返事のない羽花に再度呼びかけると、我に返ったみたいに目をぱちくりさせる。
しかしすぐにおどけた表情で、
「あーくんがあまりに強引だから、危うくときめくところだったじゃん。ひかれるだけに!」
「バーカ。勘違いすんな。羽花をエロい目で見て許されるのはおれだけだからな。特権を行使したまでだ」
「もー、あーくん素直じゃなーい。ほんとは私を独占したかったんでしょ? ね? ね?」
腕を動かせないからと足で弁慶を蹴ってくる。地味に痛い。
「そういえば羽花、なんで窓に背を向けていたんだ? 胸が当たってリーマン慄いていたが」
「んー? 理由は簡単だよ。エスカレーターとかとおんなじ。痴漢対策のつもり」
なるほど。エスカレーターもまっすぐじゃなく、半身にして乗ることで盗撮されにくいと聞く。実行犯にとって一番のリスクは〝顔を見られること〟だからだ。
「それとね私、できるだけ誰にも背中を見せないようにしてるんだー。とくに男の人には。カッコいいでしょー」
壁ドンではないが、身長差のない両手をついた互いの息がかかる至近距離で、羽花は歯を覗かせた。教室で散々おれに背中を見せているその口を。
「昨日までどうしてたんだよ。まさか無実の人を牢に放りこんでないだろうな」
「しないよー。あーくん必死すぎー。大丈夫、昨日まではシロムクちゃんに守ってもらってたし。ほんと毎日いい匂いがして、好きだったなー、シロムクちゃん。いわゆるイケメン彼女? みたいな」
概ね同意見だ。敵わない、まったく。
シロムクのような頼りがいがおれにあるかはわからない。けど、今度はおれの番だ。シロムクの意志をおれは引き継ぎたい。
「――じゃあ今日から、おれが羽花の盾になるよ。いいな?」
「な、なんで命令口調なの? あーくんは、琲色ちゃんが好きなんでしょ。そういうのは琲色ちゃんにだけ言ってあげなよ」
「今琲色は関係ない。おれが羽花を守りたいんだ。幼なじみだからじゃなく、一人の女の子を守りたくてなにが悪い」
降車駅が近づく。羽花は小さな声で、「あーくんやっぱらしくない」と戸惑う様子で顔を背けた。車内に差しこむ朝日をしばし見つめたあと、
「いいよ、権利あげちゃったし。それと言っておく。私はキープになんないから! あーくんがいなくたって独りでたくましく生きるし!」
到着するなり、あっかんべぇと人混みに臆することなく先に降りてった。
幼なじみ――此処風羽花を理解するには、月に行ける分の経験が必要そうである。精進せねば。
遅れて数秒。さっさと駅を出たのかと思えば、閑散としだしたホームにまだいた。
どうしたんだ、と問いかけた。羽花は振り返った。一瞬なぜだか、笑って見えた。気のせいだ、きっと。電車が置いていく少し重たい風を受けつつ、対峙した羽花を待った。
「あーくんの案外大きいなー、って。合わないんじゃない? 琲色ちゃんに」
かつてなくゲスい質問が飛んできた。仕方ないだろ。十分近くに渡って、揉みたくて揉みたくて毎晩夢にも出てきたお前のおっぱいを感じていたんだ。
今すぐにだってトイレに駆けこみたい。
衝動を抑え深呼吸。冷静になったところで、お見舞いする。
「余計なお世話だ」
「た」
暴力は好まないが、失礼を働いたのは羽花だ。チョップで額を小突いた。
1年と4か月ぶりの更新になりました。モチベが急降下してました。
今回から最終話です。最終話の主な流れは「神様さがし」による「晰にもあったはずの日常」を描いていけたら、と思います。
応援よろしくお願いします。
友城にい




