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「そういえば、今日、進路相談だってー。ダルくなーい?」
足を組んで座る羽花は笑う。乗客はおれを見るなり目を逸らし、距離を取る。ここにボタンの影響を受ける対象者はいない証拠だ。
おれは吊り革に掴まって、羽花の身だしなみが整っていないシャツから覗く谷間を見下ろしていた。
「ダルいな。何遍言っても聞く耳を持たないくせにな」
女の子の話には同調する。否定してはいけない。とくに羽花には。つかず離れずの関係性を保つには大事な話術になってくれていた。
「ねー。でもでもでもー、あーくんはあれでしょ。どうせ〝アレ〟やるんでしょ?」
「え? ……ああ、やらんとな。だからダルいんだがな」
「めんどいことしてるよねー、あーくんって」
「るっせぇ。こっちのほうが都合いいんだから仕方ないだろ。羽花も口滑らすなよ」
「はいはい。わかってますよー。ほんと、もうすぐ卒業なのにどっちがバカなんだろうねー」
だな。納得だわ。だが、バカは羽花だけで十分だ。
電車を降り、駅から数分歩いてようやく学校がお見えになる。
遠くからでもわかる薄汚さに、整然のせの字もない景観。夏前に壊れたチャイムは、いまだに修理の目処は立っていない。
ガキでもわかる見たまんまの学校。Fランクが褒め言葉になる貧乏高校だ。校舎裏に行けば着崩したヤンキーがうろちょろしてるし、語って魅力もなければ伝統を重んじる校風も未来へのロードも絶望のみ。
じゃあ、なぜ、おれはここに進学したのか。それには、単純な理由がある。
「セカヒ、シロムク、来たぞ」
教室の後ろの戸から入る。
教室にいた生徒全員がピクッと動く。まだ二時限目は始まっていないようだ。とりあえず、席に向かう。
「おはようございます、晰さま。羽花さんとお楽しみできましたか?」
席のある真ん中の一番後ろに近づくと、わざわざ立ち上がり、お辞儀で出迎えるセカヒ。姉に合わせてシロムクも同じ動作をする。
「朝も挨拶したろ。律儀だな、まったく。それとお楽しみしてねぇよ」
セカヒとシロムクの席はおれの両隣。護衛を兼ね、頼んでこの席順にしてもらった。両手に花――と言えば、響きは素晴らしい。実際問題、二人とも容姿端麗だ。
加えて品行方正で、膝丈のスカートに純白のくつ下。ノーメイクは言うまでもなく、装飾品等もつけていない。一年でもここまで校則を守っている生徒はまずいない。
唯一、派手なのは髪色くらいか。
ったく、金髪でありながら神々しい二人だ。
横にいる羽花と比べても一目瞭然。爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
「おはうかー、セカヒちゃんとシロムクちゃん。シロムクちゃん、スムージーありがとねー」
「羽花さん、おはうかです。いえ、シロムクは晰さまの仰せのままお作りしたまでですので」
柔らかい物腰。温和の利いた声。初対面でチョークスリーパーを食らわれたときはどうなるかと思ったが、温良恭倹な性格で心配な部分もあるが世話になりっぱなしだったりする。
あと「おはうか」は羽花が雑誌掲載のコメントで使うキャラ作りの一環で、シロムクだけが乗っかった。姉妹である意味、律儀なもんだ。
「――さ、里仲くん……」
挨拶を終わり、席に踏ん反っているところに、クラスメートの女子から話しかけられる。
「なにか用? ボタンならわかってると思うが……」
「ち、違くて。その……一年の子が呼んでるらしくて。…………違うくはないけど」
指差すほうを見ると今朝方おれのボタンを狙った女の子がいた。懲りていなかったようだ。仕方ない、と思いつつ、先生が来るまでの数分(予測)。さっさと済まそうと近づいた。
「駅でも言ったが、ダメだ。授業もある。失せろ」
あしらうのは難しい。だからキツイ口調でも使わないとやっていられない。敬語はどうしても舐められがちになる。
獅子は兎を捕らえるにも全力を尽くす、ってやつだ。相手がか弱い女の子だろうと、容赦はできなかった。
「…………」
返答がない。ずっと俯いていて、黙っている。様子がおかしいのは明白だった。
「ん? なんとか言うか、教室に戻るかしたらどうだ? おい」
「…………」
それでも女の子は声を発しない。どう見ても、先ほど会ったときとは様子が違う。こ、これは……。おれは警戒しようと間合いを取った。
次の瞬間――。
「なっ!? ――」
俊敏な動きに反応が遅れる。
俯いたまま体勢を低くし、アッパーカットの要領でおれの懐に入り込んで、ボタンに一直線に手を伸ばしてきたのだ。
「シロムク」
「――はい」
どんな天才の反射神経を持ってしても『予想外』の動きには、頭で理解し得ても判断が追いつかないだろう。
どんな天才の処理能力を持ってしても『最善策』の構築には、心で理解し得ても決断が鈍らせているはずだ。
ならばこの二つの天才が合わされば、超えられるのか。答えはノーだ。
人は生身で音速を超えられない。いくら人智を超越しても神にはなれない。どこかに必ず、綻びがあるものだからだ。
だからこそ、神――の存在は輝いた。
目にも止まらぬ速さ、という言葉が誤用になる光差す影の時間。
おれと女の子のあいだにシロムクが立っていた。
「し、シロムクさん……? いつの間に……」
「晰さまに仇なすのであればまずシロムクを」
続けざまに、帰ってくだされば助かります、と謙虚にどこか敵意を含ませる声音を出す。
女の子の指先は、シロムクの大きく膨らんだおっぱいの下をつついていた。動揺を隠せないで、恐怖さえ覚えている顔色は表情筋が硬直しているのが見て取れる。今すぐにでも泣き出しそうだ。
「わ、私はただ、自分の気持ちに正直に生きたいだけで悪いことなんてべつに、なのになのに、なんで私が悪者みたいになってるの……」
おれとのタイマンでなく、シロムクが加勢したことによる不満が漏れた。たしかに汚いとは思う。
女の子は戦意消失したようにそそくさと帰っていく。
今度こそ諦めてくれただろうか。シロムクのあの動きを目の当たりにして、リベンジを挑んできた子はさすがに知らない。戦意と一緒に衝動が消えることを祈るばかりだ。
「いつもすまねぇな」
「晰さまのためです」
おれを守るように立ちふさがってくれたシロムクが振り返ると、無味無臭であるのだがどこか生まれたての無垢な匂いが鼻腔をくすぐってくる。
妖艶に笑うシロムク。思わず胸がときめいた。何度目かも数えていない。シロムクは好みか好みじゃないか選ぶなら迷わず前者だ。それほどの絶世の美女に微笑みかけられるおれは、ツイていると断言できる。
「あーくんニヤニヤしてるー。やらしいんだー」
席に戻るなり、前の席の羽花にからかわれる。
「べ、べつにいいだろ、それぐらい……。シロムクはその……世話になってるわけだし」
咄嗟に謎の理論を唱えてしまった。可愛いし、とか言うと面倒事になりそうだしな。
「恐縮です」
「……ほぉ」
シロムクが謙遜する中、セカヒが意味深に納得していた。
「なんだよ……文句でもあるのか」
「滅相もございません。晰さまも盛んな殿方。シロムクは妹ながら非常に誇らしいセックスシンボルです。夜のお世話になるのも頷けますので」
紅茶を啜っていそうな優雅な口調はそのままに、下の話にシフトチェンジするのはいかがなものか……。
「おはようからおやすみまで、家事全般すべてをまかせっきりなのに、性欲まで世話にできねぇだろ」
シロムクは可愛い。なんならセカヒも顔だけで世の中を歩いていけるレベルの高さだ。そこらの男なら手玉にだって取れる。
気品あふれる立ち振る舞いに、掴みどころのない性格。人気がないわけがなかった。笑え、と宣言すれば皆が笑い、雨が降れ、と命令すれば雨が降る。
真意は不明だが、セカヒの第一印象は、ほぼ変わっていない。
不敵に浮かべる笑みの奥の瞳は、こっちの思考を読まれている気がするし、ペースが乱れたのも見たことがない。
言い方に嫌味を含むが、セカヒを慇懃無礼に捉えていた。
そして、十年間容姿が変わらないので絶壁も健在だった。
「さすが晰さま、下半身のコントロールもお手の物なのですね」
「白々しいな、まったく……」
忘れてはならない。そう――この二人は神からの監視役なのだ。どう覆ったって、恋愛対象にはならない。
おれはそれを肝に銘じているだけである。
「二時限目、始めるよー」
ようやく先生のお出ましだ。駄弁って散っていた生徒たちも着席する。羽花はずいぶん前から居眠りこいていた。まだ寝るか。
教科書を開くよう指示する先生を傍目におれは天を仰ぐ。しかし先生は疎か生徒の誰もおれたちを見ようともしない。
クラスメートは全員で二十人。貧乏校のせいもあって在校生が少ない。その中で、おれたち四人の席位置と残り十六人とは、同じ教室内で隔離されている。
理由は無論、ボタンの影響で授業の妨げになるからだ。教師内で賛否はある。大人は理解できない。それでもこうして優遇されている。
おれがここに進学を決めた理由のひとつが、これだったりする。
温良恭倹
・素直で穏やかで、礼儀正しく控えめなこと。
慇懃無礼
・表面上は丁寧に対応しているものの、内心で相手を見下していること。
四字熟語をあまり使わないようにしてますが、今回はキャラ説明を用いるために使いました。
次回更新は20日までに。
では!
友城にい