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「晰さまの心中お察しします。わたくしめでよろしければ、その不安を取り除いて差し上げますが」
シロムクとバトンタッチでやってきたセカヒ。またずいぶんと謙った言い方をする。おれは背中を見せた。三人で感慨に耽っていればいいのに。
「べつにいい。達成は達成。次に行けるなら理由なんてどうでもいい。おれは、終わったことに興味はない」
「そうですか。では――わたくしの独り言で。勝手な憶測を言わせてください」
「――セ、セカヒ?」
羽を休める小鳥のように背中をくっつけてくる。伝わってこない熱。二人のスタイルは似通っていても、シロムクより軽く感じるのは気のせいじゃないだろう。
単純におっぱいがないから、とかそんな見た目騙しの重さじゃなくて、おぶっても苦にならない重さというのは、心の推量だ。
ゆっくり見上げた空に、星はいなかった。
「明確にトラウマの克服の限りを挙げれば、無限でしょう。ですがわたくしは、晰さまが奮闘した二週間が無駄だったと言えば、無駄ではなかったと言います」
「克服の限りは無限ではないだろ。少なくとも、トラウマとは『心的外傷』だ。一人におけるトラウマの克服の数に無限はありえない」
「そうですね。晰さまの反論はもっともです。ですので、ここからが憶測になります。もし仮に過去のできごとによって植えつけられた琲色さんのトラウマ――イコール『男性恐怖症』だけだったのなら、晰さまのセオリー通りになります」
「なにが違うって言うんだ。当てはまるのは、それくらいなものだったはずだろ」
「はたしてそう言い切れるでしょうか。否、トラウマの定義に重度の関係性はありません。あるのは、過去の経験による心の傷です」
「痴漢被害以外の心の傷が、委員長にあるって言うのか……?」
「落ち着いてください。あくまで仮説に過ぎません。そここそが、無限の可能性に当たるのです。わたくしたちは琲色さんとは、ほんの二年半の交流のみ言い換えれば、前十五年のことは知りえないのです。もっと考えてみてください。晰さまは本当に、琲色さんの日常に心当たりはないのですか? 例えば――人間関係とか」
「…………」
意識したことは、ある。だが、もう委員長が選択したことにわざわざ口出しして問題提起する余地がないと思った。
委員長がそれを気にしている様子がなかったから。
「あるようですね。そう、二年以上同じ教室にいながら、誰も見たことがありません。琲色さんがご友人といるところを。わたくしは提唱します」
セカヒは淡々と進める。
抑揚なく、一定のリズムで。そうだ。委員長はいつも独りだ。孤独でいた。教室の前端の席で休み時間は勉強か、スマホをいじって過ごしている独りぼっちの女の子。
それをおれは、見て見ぬふりをしていた。
「琲色さんはとてつもなく人付き合いが苦手だった。元々、内気な彼女が事件の被害に遭い、拍車をかけて酷くなった。それ故にもっと同性に嫌われたくなくて、断る選択が怖くてできなかった。晰さまも甘えてらっしゃったのではありませんか。琲色さんの従順さに」
「…………」
返す言葉がなかった。
おれの通う高校は全体を含めても女子率は低いが、在籍するクラスの二十人中の過半数は女子だ。それでも、委員長と仲良くしようとする女子はいない。
真逆に悪とする風潮さえある。
「その行動が裏目に出て、琲色さんは入学して此の方クラスの便利屋扱いされつつも、晰さまに次いだ浮いた存在になっています。では――もし、琲色さんが自ら望んでクラスメートと距離を取っているとしたら?」
「……なにが言いたい。委員長は我慢して現状をやり過ごしているだけだ」
「それは晰さまの主観です。元々琲色さんは、偏差値の高い学校に進学するつもりでした。それが不幸な事件で行けなくなった。当然、周りの女子とソリが合わないでしょう。晰さまと理由は違えど、シンパシーを覚えていたのかもしれません」
セカヒの言葉に悪意という名のナイフを感じた。そんなの反則だ、なんて思いながら、おれも負けじと踏ん張る。
「委員長がほくそ笑んでいると? 委員長を悪く言うのは、おれが許さない……」
「怒らないでください。言いましたよね、これは『トラウマ』の憶測であっても、性格の側面ではないと。ここにおける問題は、琲色さんが合わせなかったのではなく、向こうが合わせなかったケースです」
「じゃあ、委員長が望んで距離を取っているっていうのは、なんだよ」
「文字通りです。おそらく琲色さんもクラスの女子と交友を築こうとした時期があるはずでしょう。しかしうまくいかなかった。理由はわかりませんが、琲色さんは傷つくことに恐れをなし結果、自ら距離を取るようになった。それを踏まえ、もっと真相に近づけましょうか」
道理としては、筋は通っている。心理的な欠落は見受けられるが、じつにセカヒらしい見解であった。でも、なぜだろうか。
おれの心はそれを求めていない気がした。
「琲色さんは、わたくしとシロムクに『不信感』を抱いていました。理由は推測にしかなりませんが、人間ぽくないからでしょう。琲色さんにとって、わたくしとシロムクはかなり邪魔な存在だったはずです。常に想い人の腰巾着ですから」
セカヒが持論を展開する中、おれの意識はセカヒの外に向いていた。よく声が拾えない。だけど、暗い感じは一切しない。
初々しい二人が別室で基礎も知らないまま、自由にピアノを弾いているようだ。楽しそうに嬉しそうに。おれは、その声や音を気にしながらも、なぜだかモヤモヤしていた。
「……まだ、浮かない顔をされていますね。とても苦しそうです」
絶対音覚か。背中越しの心拍数や息遣いで、推し量ったとしてもセカヒの苦手分野で言い当てられたことに驚いた。
「……なんで、そう思った?」
「わたくしだって伊達に晰さまの護衛を十年しておりません。少しぐらいは、チカラを使わなくてもわかります。晰さまとは一蓮托生ですから」
そう言ったセカヒは、くっつけていた背中を離れる。足音は静かに肥大し、耳に届く。
「晰さまのやきもきした気持ちの正体は、わたくしとシロムクに嫉妬……なされているからです。心がないわたくしが言うのも憚られますが、琲色さんの心を一瞬でも奪われたのが、堪らなく悔しかったのではありませんか?」
「っ…………」
おれは押し黙った。図星に思えた。
『嫉妬している』と聞いて、自覚していなかった分より強く、この気持ちに名前がつけられたようで、安心したところもあって、でもやっぱりむず痒いところもあって。
「――安心していいんじゃないでしょうか。晰さまの心は、毎日成長しています。嫉妬は、良いことも悪いことも教えてくれる感情です。だから、否定してはいけません」
闇夜に、駅の照明をバックにセカヒが振り返る。不敵にとかなんでもないいつものセカヒがおれを見ていた。嫉妬が教えてくれる、か。
たしかに委員長に対し、独占欲が働いていたのは事実だった。
「なんか、ありがとうな」
「礼には及びません。大丈夫です。どちらにしても、あと二週間もいませんので」
「なにも大丈夫じゃないし、悲しいこと言うなよ。考えないようにしてたのに」
セカヒは動じることなく、優雅な笑みを作った。
「それと、晰さまに報告がひとつ。わたくしと琲色さんは先ほど――『友だち』になってきました。シロムクも無事、友だちになれたようです」
「……そっか。これで、委員長も独りじゃなくなるんだな――でも二人は」
「二週間足らずの友だちができたことは、嬉しく思っております。わたくしとシロムクがいなくなったあとのことは、またよろしくお願いします」
困ったように笑った。はじめて見せた顔だ。
おれは思い出す。セカヒの重りを。
重さは、命だ。生きている証だ。だけど、二人は生きているわけじゃない。だけど二人の重りを、おれは知っている。
心の推量というのは、そこからきっとくる。
「晰さま、こちらへ。琲色さんが呼んでいます」
まるで消えた流星のように澄ました顔のセカヒが、手を伸ばしてきた。まったく、こいつは最後までペースが乱れないものだ。
今回の琲色パート終わりのはずが、予想以上にセカヒとの会話が長引いてしまいました。
しかし、必要と思いましたので仕方ない。
次回は琲色の謎がいろいろ解明されます。
なるべく早く更新できるよう頑張ります!
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友城にい




