3-5
「一気にふたつ。で、それと……き、キスっ!? 委員長とキスをしろ、って言ったか」
それだけを告げ、二人とも踵を返す。おれは二人の肩を掴んで呼び止める。
「どういうことだ。キスなんて、性的接触の代名詞のようなもんじゃないか。できる以前に八方塞がりになる指令を出すなど、バカげているとは思わないのか。なぁ、セカヒ」
「晰さまの仰る通りです。キス――すなわち接吻はわたくしの調査対象であり、不可侵領域でした。しかし晰さま、これは一種のチャンスです」
振り返らずに淡々と、持論を述べ出す。かといって別段雰囲気に遜色があるわけではなかった。歩みは止め、ただおれに顔を寄こさない。
「チャンス? キスがか?」
「『不可抗力』を狙うのです。要約しますに、不可抗力であればキスもセーフという遠回しの肯定だと、わたくしは理解したのです」
言い終わるとセカヒだけ愛嬌のある顔を見せる。構造上ポッケがついていない服だが、突然なにかを探すようにあちこち手を当ててから、握り拳をおれに差し出した。
「失礼しました。これはせめてのお守りでございます。タイムリミットができた以上、明日はわたくしたちもサポートに回ります。いいですね、晰さま」
「ああ、そうだな。ダメは、解除する。だが、いざというときだけだ」
セカヒは「ええ」と返事をし、再び金色の髪を靡かせた。シロムクのお姉ちゃんファーストの玄関を跨ぎ、ゆっくりと閉まっていく。
直前、セカヒが隙間から目を覗かせ、
「先ほど言い忘れたことを思い出しました。『琲色さんのトラウマが男性恐怖症だけ、とは限らない』のではありませんか? と」
「それってどういう……」
聞き返す前にドアが完全に閉まる。
三秒も経たないうちに玄関の外に出たのに、もう姿はなかった。こういうところは神の使いっぽいな。
「『男性恐怖症だけ、とは限らない』か。だとしても、委員長を助けたい気持ちに揺るぎはないが、考えてみるか。……と、そういやセカヒなにを渡してくれて」
たいした餞別は期待していなかった。小分け袋だと握りしめた感触からわかり、そっと指を解いて確認する。
「…………」
避妊具じゃねぇかっ!
シュパーン! と反射的に玄関の床に叩きつけてしまった。やけに下ネタ言わないな、と寂しささえ覚えていたのに。
心の中でツッコミを入れつつ、とりあえずゴムはポッケに突っこんでおく。またお説教が必要なようだ。
そう嘆息していると、バスルームから「ちょっといい?」と微かに聞こえた声。
「ど、どど、どうした?」
ノックをし、平常心で対応するつもりが、甘噛みを炸裂させる失態。キスを意識しすぎた。
「あ、開けていいよ。いま、ちょっと……動けなくて」
動けない? 首を傾げる言葉だが、「おう、わかった。失礼するぞ」と変な妄想で悶々としながら、おもむろに戸を引いた。
「えっと、ね……あの、取ってきてほしいものが、あるの……」
浴室前の足拭きマットの上で困った笑みを浮かべる委員長。バスタオル一枚だけを巻いた艶めかしい姿は、湯上がりにも関わらず新雪のように色白く、拭き残った水滴が輝いて見えた。
赤面や発作は落ち着いたようで、おれは安堵する。
「なにを、取ってくればいい? なんでも言ってくれ」
できるだけ取り繕う冷静。内心、バクバク胸が高鳴っている。過激になる妄想は、自ずと委員長の桜色のくちびるに目が止まってしまい、顔を振って自我を保った。
もじもじと巻いたバスタオルの裾を掴む。丈がギリギリで、上も下も見えそうで見えないスリリングな状態だ。
「その……下着を、ベランダから取ってきてほしいの。い、いつもはそこの引き出しに入ってて、なくなるってことはないはずなんだけど」
指を差すランドリーチェストの開けてある一段に目を落とすが、空っぽだった。野々河家の事情を知っているわけじゃないが、家の中を散見するかぎりでストックを切らすような抜けをするようにも思えない。
委員長自身もとんでもないお願いをしている自覚はあるようで、しきりに指が絡まる。
「なんでもって言ったし、おれはいいけど、どれが委員長のかわからないぞ」
「えっと……じゃあ、下だけを、お願い。特徴は、明らかにお子様っぽいのが、わたしのです……はい……」
「おう……おれが言うのもなんだが、虚しく、ないか。強がりみたいなのも言ってくれていいんだぞ」
「べつにいいの。晰くん以外、眼中にないから。ありのままのわたしで勝負、したいの」
下ろした髪の毛先をいじりながら、視線は定まらない。
委員長は重ね穿きのような対策を取らないから、幾度とハプニング(セカヒのも含め)で見たことはある。
正直、興奮しない。物好きならいいかもだが、おれは「その人に似合わないパンツ」で、興奮するタイプの男だ。
デートのプレゼントでランジェリーは選択に入れていたが、引かれそうと断念した。そもそも一人で買う勇気はない。
だが、委員長の下着がいつまでもお子様パンツってのは、色々もったいない気がする!
「今度、羽花の意見を参考に買いに連れて行くか」
返答はうやむやにして、おれはベランダに出る。「服は制服を持ってきて」と着替えた場所であろうリビングのソファーに畳んで置いてあった。
風が強い。洗濯モノは飛ばないよう洗濯バサミふたつで挟んであった。外は見えない。外壁がおれの頭の高さまである。その上の隙間から風が吹いている感じだ。
高層マンションでは布団などは干さず、クリーニングが一般的らしい。景観を損なうからとか聞いたことはある。
おっと、あんましジロジロ見ると自尊心が死ぬんで、パパッとファンシーなデザインを一枚摘まんで、バスルームに戻った。
「委員長、これでよかったよな――って委員長、なにをして……!?」
戸を開けた瞬間に、委員長がトン、と抱きついてきたのだ。
おれはなにが起こったのかわからず、挙動不審に。そして、時間差で生温かい感触が肌を不穏に叩く。主張が控えめな分、一点でなく全体でおれを攻撃する。
しかしなんだ、この異様な存在感は。と、グイーッと首を伸ばし、首を張るとバスタオルが死んでいる。……ってことは、生まれたままの姿で。
ちょ、待って。破壊力エグイよ。おれはどうすれば。リミッター解除はご法度で――
「好き――」
突然、飛んでくる愛の告白。九百二十四回目の告白におれは目を見開くしかなかった。
「いますぐ付き合いたい。付き合いたいの、ここで。続き、しよ」
恍惚とした表情を浮かべ、上目遣いでおれを誘っているような仕草をする。家に上がってから委員長の様子がずっとおかしい。いったい委員長になにが起こっているんだ。
「続きは部屋で、って……」
「イヤ。ここでいい。わたしハジメテだから、晰くんの好きなようにシテ、いいから……」
あれ……いつの間にか委員長と営む流れまで発達していた。
ただならぬ誤解の予感。おれは『男性恐怖症の診断』の続きはシャワーのあとでしよう、と言ったのを委員長は取り違えたようで。
これは次にやるはずだった『手を握る』のレベルを余裕で超えている。
「ちょっと待てって委員長! おれはそういう意味で言ったんじゃ――」
過度な接触は計れない、と強引に委員長のミニマムな肩を掴んで剥がしたとき、パサッとおれの足下になにかが落ちる。あ、この流れは……。
「ん? なにか落としたよ……って、晰くん、これって」
やらかした。セカヒに押しつけられたゴムを委員長が拾って問いかける。これでは、おれもその気だったみたいになってしまう。
おれは逃げるように廊下側に身体を向けた。
「ち、違う! おれはそんなやましい男じゃ……」
なにが違うかはわからない。誰の目から見ても、動かぬ証拠がおれのポッケから出てきた。言い逃れはできない。
委員長の次の言葉におれは固唾を呑む。
「――よかった。晰くんも、同じ気持ちだったんだ。てっきり晰くんは胸が大きい女の子が好きだから、わたしじゃダメなのかなぁ、って悩んでたけど、少し安心した」
仕切り直しのようにギュッと背中に身を寄せる。手にかけた力加減が委員長の気持ちの機微を表していて、心が痛い。引いてくれたほうが何倍もよかった。
おれの求めていた答えは肯定や拒絶でなく、『保留』であろう。おれはいつも、委員長に対して強く出れない。今回もきっと、そうするのだろう。
「服、着てくれ。ごめん。おれの意気地がないばかりに、委員長に恥かかせてしまって」
誤解を誤解と説明してもいいが、おれはこれを活かそうと考えた。セカヒを脳内で叱っている最中に反復した『トラウマがひとつとは限らない』の言葉。
委員長の真意を知るためには、誤解のまま進めていい気がしたのだ。
一歩間違えれば、という展開はよくありますが自分は好きです。
どうでしょうか、と聞くのもおかしいですけどいかがだったでしょうか。
次回含め残り三話ほどで野々河琲色編は終わりの予定です。
はたして!
次回もお早めに頑張ります!
友城にい




