思い出インクルージョン
星空の下を歩いていた。暗く、けれどだからこそ星明かりでほの明るい。街の光に邪魔されることなく、ただ静かに煌めいていた。
どうしてこんなところを歩いているのかわからなかったが、きっと夢なのだろう。こんなに綺麗で幻想的な風景の中にいられるだなんて。
突然、目の前にこじんまりした建物が現れても、気にならなかった。
暗い中に灯る光にほっとする。さて、夢の中とはいえ入ってもいいだろうか。
ふとドアが開いて、小柄な人影が私を手招きした。
「あれ、珍しいことにお客人が来てるね。中へどうぞ」
少年とも少女ともつかない、中性的な声。うながされるまま、私は中に足を踏み入れた。
「普通の人がボクのところに来る原因って、だいたい一つなんだよねぇ」
「原因? これ、夢なんじゃないの?」
「んー。キミにとっては夢、ボクにとってはそうじゃない」
「どっちなのよ」
「ものごとって多面的だよ。どっちでもある」
真意の読み取れない表情で、その子は振り返った。
「ここは夜空の世界。星の幻想が輝く場所。キミは夢を通り道にして、ここに来たんだ」
「なら結局、夢じゃないの」
「キミがそう思うのなら。まあ、その方がいいかもね」
私を先導するその背は低く、顔もあどけない。けれど、とても大人びた声音で、煙に巻く言葉を選んで喋っている。
「じゃあ質問を変えるわ。あなたは誰?」
「ボクは、クォーツなんて呼ばれてるね。水晶のことだよ。鉱物を触媒にして、魔法を使うから」
「へぇ、魔法使いなんだ」
「得意なのは一つだけだよ。水晶で、記憶をインクルージョンするんだ」
「インクルージョン?」
すすめられたソファに腰かけ、私は問いかけた。
水晶と聞けば、パワーストーンや占い師が使うものというイメージしかない。ましてや『インクルージョン』なんて、聞いたこともない単語だ。
「鉱物の中に入ってる、別の鉱物とかのこと。特に水晶は、いろんな場所で採れるから、いろんな鉱物をインクルージョンするよ。懐が深いって言えるね」
「記憶は鉱物じゃないと思うけど」
「そこをなんとかするのが、ボクの魔法ってわけ」
今度は子供みたいに、自慢げに胸を張る。掴みどころのないその雰囲気に、いつしか私は目が離せなくなっていた。
「さて。キミがインクルージョンしたい記憶は、いったい何かな? 水晶に封じ込めて、少しだけ遠ざけてしまいたい思い出は?」
まっすぐにこちらを見つめるクォーツの、透き通った瞳は不思議な色をしていた。
「それは……」
心当たりがない訳ではなかった。平凡な人生の、誰にでもよくあるつまらない出来事。抱えていけないほど重くなくても、遠ざけておきたい思い出。
「友達……と思ってた相手と仲違いしたこと。嫌なことされたから、やめてって言ったら揉めた。『なんで?』って、本気で聞いてきた。いっつもそう。私の方が我慢するのが当然なんて、おかしい……っ!」
「そっか」
「ごめん。見苦しいとこ見せた」
「ボクはそうは思わないよ。せっかく夢だと思うなら、言いたいことは言っても良いんじゃないかな」
良いのだろうか。できるだけ周囲と波風を立てないように、今までずっと我慢して口をつぐんできた。それでも、何とも思わない訳がなかった。
意を決し、すっと吸い込んだ息は――
「わあっ」
暗い愚痴の言葉ではなく、明るい感嘆の声になった。
見ないよう配慮してくれたらしいクォーツが、青い瓶を開けたのだった。瞬間、宙を舞ったいくつもの光。色とりどりに輝いて、クォーツのまわりは小さな星空になった。
「綺麗でしょ?」
「うん……!」
星空の中で微笑むクォーツに、思わず子供みたいに何度もうなずく。その幻想的な光に、吐き出すつもりだった言葉はすっかり霧散してしまった。
「よかった。ここに来て初めて笑ったね」
「え、そう……かな」
「うん。キミ、笑うとかわいいよ」
かわいいという言葉が似合うタイプではないと自覚していたが、褒められたのだと受け止めよう。仏頂面より良いだろうし、何より綺麗なものを見れば人並みには笑顔になれる。
「もういいの?」
「過ぎたことを責めるのも不毛よ。それより、あなたのすることを見てる方がよさそう。その光、なんだか癒されるから」
「そっか」
クォーツのまわりの光が、一部私の元へ寄ってくる。ふわふわ漂い、ゆっくりと回る。歩いてみてもついてきて、自分も星の一つになった気分だ。
「この光、何なの?」
「星のかけら。天の川の下流に、星が流れ着くんだ。流れ星とかより大きめだから、砕いて使うとちょうどいいんだよ」
「クォーツの、魔法の素材に?」
「うん。魔法には、種も仕掛けもあるから」
覗き込む私に気づいて、クォーツは手元が見えやすいようにしてくれた。その手の中に星の光が集まり、透明な水晶を作り上げていく。
まんまるの球が出来ると、私のまわりにあった光が水晶の中へと入っていった。キラキラした輝きが落ち着くと、そこには針状の金が入った水晶があった。
「ルチルインクォーツっていうんだよ。キミの記憶を見て、これが良いって思ったんだ」
「……なるほどね。あの日は『人生の節目の日』だとか『一生に一度の晴れの日』なんて言葉がつくからね」
「見た目だけじゃなく、その日のキミは綺麗だったよ。水晶に似てた」
「水晶に?」
自然と目の前の水晶に視線が向く。小さいながらも、金色のルチルが入っているのでとても華やかだ。
「自分の中で、相手を責めずに嫌なことを抱え込んでるとこ。インクルージョンみたいに」
「私は、こんなに綺麗じゃないよ」
「でも、簡単なことじゃない。この水晶、キミにぴったりだと思うよ」
クォーツの手から私の手へ、小さな石がころんと転がる。少しひんやりしていて、確かな存在感があった。
「石は、人に寄り添ってくれる。キミも中のもので苦しくなったら、この子に支えてもらえばいいよ」
「……ありがとう。これ、お守りにしてもいいかな」
「もちろん。その子はキミのだ」
少しでもこの水晶が私に似ているならば、この子は寄り添っていてくれるだろうか。きっと石との付き合いは、人同士のそれより長い。
「さあ、夢はもう覚める時間だよ。キミはもう、帰るんだ」
「……何かあったら、また来てもいい?」
「縁があれば、また」
そう言ったクォーツの、不思議な瞳の色に気付く。先ほどまでとは違い、金色が混じっていた。この手の中の、ルチルインクォーツと同じように。
まわりの景色が揺らいで、消えていく。それともそれは、私の方なのだろうか。どちらにしろ、ここに留まっていられる時間はもうなさそうだ。
これが夢でも構わない。クォーツがどれだけ不思議な存在でもいい。私を救ってくれたことだけが確かだ。
「クォーツ、ありがとう!」
「どういたしまして。ルチルインクォーツのキミ」
我ながら生き辛い性格をしていると思ったことは、何度もあった。それをこんなに綺麗な石のようだと言ってもらえた。
それならば、私はまだ頑張れる。苦しい時にも寄り添ってくれる存在があるならば、今までよりもほんの少し強くなれるだろうか。