前編
村の葬儀は一人の老婆とその孫娘、リラに任されている。
旅立ちの丘。
人々からはそんな風に呼ばれている丘で二人きりの火葬は慎ましく行われる。たとえ故人の家族や恋人といえども、火葬に立ち会うことはできない。
しかし今、村の少年カミは火葬場の木陰からリラを見ている。
(リラは魔女なんかじゃない)
カミは胸の中で何度もそう呟いていた。
祖母と二人暮らしのリラは、どこにいても常に無愛想だ。
誰かが野暮ったい村長の声真似をしても笑わないし、どんなに悪口を言われても怒らない。まるで感情などないかのように、常に沈んだ瞳で虚空を見つめている。
そんな性格だから彼女は周囲から浮いていた。
それどころか、祖母もろとも「魔女」なのではないか、という不名誉な陰口を言われてしまっている。
理由は単純で、村ではその二人だけが火葬を行うことができるからだ。皆に秘密で、死体を使って何か邪悪な儀式でもしているのではないか? そんな馬鹿馬鹿しい噂話も、子供の世界では真となりえてしまう。
カミはその悪い噂がどうしても許せなかった。
何故なら、カミだけはリラの素顔を知っていたからだ。
☆
あれは去年のことだ。
カミが森を歩いていると村の不良達にリラが囲まれていた。
いつもは気味悪がられて誰にも相手にされないのに、その日は珍しく標的にされていた。
好奇心が働いたカミは、木陰に隠れてその様子を観察した。
「気持ち悪いんだよ。魔女のくせに」
「……」
リラは口を結んだまま、無表情で不良を見つめている。
「どけよ」
「嫌だ」
そう答えた瞬間、リラの身体は吹っ飛ばされた。しかしリラは尻もちをついても、何度も立ち上がった。殴り返すわけでもなく、何かを言い返すわけでもなく、ただ立ち上がった。
(何してんだ、あいつ。早く逃げればいいのに)
一方的な展開に胸糞が悪くなり、目を背けようとした瞬間だった。
カミはリラが何故ここまでムキになって立ち向かっていたのか理解した。
リラの背後に弱った狼がいたのだ。
状況から推測するに、不良達があの狼を苛めていたのだ。リラは狼を守るために立ち向かっているに違いない。
カミはリラを見直した。血も涙もなさそうな奴だと思っていたけど、色眼鏡だった。
そうとわかれば。
カミはすーっと息を吸い込んだ。
「守衛さーん! こっちに強盗がいます! 守衛さーん!」
幼い頃から音楽をやっていたおかげか、カミの声は雷鳴のように通りが良かった。強盗が現れたなんてもちろんハッタリだが、もしかしたら本当に守衛の人が来るかもしれない。
カミは一人ほくそ笑み、迫真の演技を自賛した。
不良たちは目を細めながら、何やらひそひそと話している。
カミは耳をそばだてた。
「……強盗だって? そりゃ大変だなあ。どうする?」
「俺達で捕まえてやろうぜ!」
「そうだな」
柄の悪い不良たちはそういうや否や、一目散にカミのほうへ駆けてきた。
「え?」
カミは訳が分からず、何度もその目をこすった。何度現実を疑ってみても、目の前の事実は凛然とカミの前に立ちふさがっている。
「おい! 強盗はどこにいるんだ? 村一番の噓つき少年カミくん」
不良の一人は羅刹のように凶悪な歯を覗かせた。
「あ、えっと……南西のほうに逃げたのを見まし――」
「嘘つけ!」
ボコボコにされた。
それからどれくらい経ったろうか。体験したことのないような痛みに目が醒めると、ぼやける視界の中に、丸くて大きい瞳が見えた。
「……」
初めて間近に見るリラは相変わらず口を真一文字に結んでいる。
でも、いつもとはどこか違う目をしていた。少し物憂げな表情に見える。
「……大丈夫?」
「あ、え? うん」
初めて声を聞いた気がする。冷静に考えればそんなはずはないのだが、少なくとも会話をしたのは初めてだった。雰囲気に反して意外と高い声だ。
それより思春期的に、今の自分がとても格好悪い状態だということが気になった。
「いやー、思ったより痛くないわ。これなら明日には治るな、うん」
カミはへっちゃらだと言わんばかりに笑ってみせた。
本当は口の中が痛い。歯がなくなってるんじゃないか? お母さんになんて言おうか。
「ありがとう」
「え?」
「囮になってくれたんでしょ?」
リラはそう言うと、手に持っていた白いハンカチで顔を拭いてくれた。湿っていて気持ちがいい。しかし、そのハンカチが朱染みたいに真っ赤になっているのを見てカミは心臓が痛くなった。
「どういたしまして。でも、別に囮になったわけじゃないんだけど」
カミは苦笑した。
「じゃあどうしてあんなことを?」
「いや、強盗にびびってあいつらが逃げるかなって」
「バレバレだよ。カミのあだ名は『嘘つき』でしょ」
矢のような瞳のリラは、言葉も直球だ。
嘘つき。
それがカミのあだ名だった。自分としては、嘘でもいいから冗談を言って周りを笑わせたいだけなのに。いつの間にか悪いところだけが抽出されてしまった。
最もカミはそこまで気にしていない。
嘘だって、悪いことばかりじゃない。
時には真実よりも優しい嘘というものがあるのだから。なんていうのは都合のいい言い訳だろうか。
「というか、俺の名前知ってたんだ」
「知ってる。私だって、喋らないだけで話を聞いてないわけじゃない」
「そっか。『魔女』だもんな。リラは」
カミの言葉に、リラは少し狼狽えたような顔をした。
魔女と呼ばれていることをどう思っているのだろうか。もし本当は嫌がっていたとしたら、悪いことをしてしまった。
カミは謝ろうかどうか迷い、逡巡した。
「そうね。実際、私は魔女みたいなもの」
リラは諦めたように呟いた。
「え?」
「ううん、なんでもない」
リラは細い首を横に振ると、すっと立ち上がった。そして、すぐ隣で佇んでいる狼の背中を撫でた。
「そいつ、どうすんの?」
「連れて帰る。おばあちゃんに治してもらう」
「連れて帰るって、その巨体を運ぶのは大変だぞ」
見たところ体長一メートル以上はある。とてもじゃないが抱いて運ぶことなどできない。
リラは何も言わずにカミを見つめた。
「……俺に手伝えって? 嫌だよ。狼なんて暴れるかもわかんないし」
「狼は森の守り神。時には人を襲うこともあるけど、救うこともある。いずれにしろ、人に傷つけられて動けないこの子を見捨てるのは罪よ」
「つ、罪ですか」
そこまで言われるとこのまま帰るわけにも行かなかった。
結局、カミがいったん家に帰って台車を持参することになった。農耕用に使われる大きな台車は重くて、喧嘩後の身体によく響いた。
台車に狼を乗せ、そこからは交代交代でリラの家に向かって運んだ。
その途中、せっかくの機会だからと思い、カミはリラに気になっていたことをたずねてみた。
「なあ、聞きたいことがあるんだけどいい?」
「なに」
「なんでリラの家だけが村の火葬をしてるの?」
「……」
リラは黙り込んだ。
やっぱり教えてくれないのだろうか。それとも何か、真実を知った人間は呪いがかけられるとか、そういった禁忌的な問題が絡んでいるから言えないのだろうか。
そう思ったが、即座にリラは喋りはじめた。
「特別な理由なんてない。ただ、私の家はそういうの得意だから」
「はは、なんだそれ。火葬に得意とかあるのかよ」
カミはついつい茶化してしまった。
すると、幾分か和らいで見えていたリラの表情が再び沈んだ。
「普通の人には耐えられないと思う。火葬のたびに考えさせられるのよ。人って何のために生きるのかなって」
「え?」
唐突に呟かれたシリアスな話題にカミは面食らった
。人が生きる意味なんて考えたこともない。そんなことを考えるのは暇な哲学者くらいで、少なくとも子供が考えるには早すぎる。
大人みたいに鹿爪らしい問題を、自分と同じ年齢の少女が考えていることに、カミは戸惑った。
「何のためにって、そりゃあ……うーん。楽しいことをするためとか?」
「楽しいことより苦しいことのほうがずっと多いじゃない」
「そ、そうかな」
カミは首を傾げた。
首を動かすと、さっき殴られた肩の痛みが疼いた。
戸惑うカミを置き去りにするようにリラは言葉を紡いでいく。
「私ね、思うの。もし本当に天国があるってわかったなら、きっと次の日には多くの人が自殺しちゃうんじゃないかって」
リラは淡々と言った。
「そりゃあないだろ。俺は絶対しないよ。勿体ない」
カミは呆れたように呟いた。
「それはカミが子供だからだよ」
「リラだって子供じゃんか」
「私はもう子供には戻れない」
「意味わかんないこと言うなよ」
そんなやりとりをしているうちに、森を抜けて開けた場所へ出た。
リラの家は「旅立ちの丘」へ続くこの平地にある。
「うわ、でっかい家だなあ」
ぽつりと建てられた木造の家は古く、時の流れを感じさせた。しかし、カミの家よりもずっと大きく広々としている。まるで屋敷みたいだ。
こんな大きな家に祖母と二人で住んでいるのか。寂しくないのだろうか。
カミはなんとなくリラ達の生活に興味を持った。
「ここまででいいから」
「うん。わかった」
リラはカミに軽く会釈すると、年季の入った家のドアを叩いた。どうやら鍵が掛かっているらしい。開け放しの家が多いこの田舎では珍しい。
少し経つとドアが開き、中からお婆さんが出てきた。それは魔女と呼ぶのはあまりに失礼な、背筋のピンとした貴婦人だった。
今までも何度か見たことはあるけれど、いつも厳かな黒いローブで身を包んでいたから、自然な姿を見るのは初めてだ。
優しそうな雰囲気が漂っている。
「あら、友達? 珍しい」
お婆さんは嬉しそうに言った。
「……」
リラはバツが悪そうな顔で俯いた。夕焼けに染められていてよくわからないけど、もしかしたら照れているのかもしれない。友達とか、そういう類の言葉が苦手そうだし。
そう思うとカミはリラをからかってみたくなった。
「友達のカミです! あの、今日はリラと一緒に狼を助けました。気になるのでまた様子を見に来てもいいですか?」
手を挙げてそう言い、カミはリラに向けてウインクをした。
リラは呆然とした顔で口をぽかんと開けている。
あの真一文字に閉ざされていた、鉄の扉よりも重そうな口が丸くなった。
そのことに不思議な感動を覚えた。そして薄々気付いてはいたが、子供らしくしていれば意外と可愛らしい顔をしているということにも驚いた。
「狼?」
お婆さんは視線を下げた。
台車に乗せられた狼は不安そうに辺りを警戒している。
「怪我をしているの。お婆ちゃん、治して」
「あら大変。早速治療しなきゃ。でも、助かるかはわからないよ。私にもできないことはあるからね」
「うん」
カミが二人のやりとりをひとしきり眺めていると、やがてリラが、
「またね」と言った。
うん、また。
カミがそう呟いたのは、扉が閉ざされた後だった。
リラがほんの少しだけ笑っていた。
その顔が、まるで太陽に目を眩まされた時みたいに何度も何度もフラッシュバックする。
なんだろう、この感じ。この胸が焦がされるような変な気持ち。
謎めいた感情に頭を占拠されたままカミは家路についた。
その日以降、結局カミがリラの家を訪れることはなかった。たとえ友達になったとしても、他人を家にいれることはできないらしい。ただ、村で二人きりで出会った時に話をしてくれるようにはなった。小さな嘘をついてからかうたびに、リラの無表情が崩れることがカミにとって心地よくてたまらなかった。
そんな日常がしばらく続き、気が付けば一年が経っていた。
後編へ続く。