後追い自殺者について、小学生ユーチューバーの発言、音楽評論家の発言
スーサイド・フェスティバルの会場となったのは都内の池袋西口公園。天気は快晴。死ぬにはもってこいの爽やかな初夏の一日だ。観客も結構いた。このイベントを目がけてきたのは、およそ500人。騒ぎを聞きつけて集まってきた一般人を含めれば、およそ2000人ぐらいは集まったのではないか、と言われている。集団自殺を目撃させるにはもってこいのギャラリーだ。このイベントはまたネット配信されていた。そして、この配信を観ながら後追い自殺をした若者も全国で6人いた。
埼玉県の自室で首を吊って死んだ14歳の中学生女子は死ぬ間際にこう言った。
「みんなと一緒なら怖くないね」
また、徳島県の人通りの少ない公道の片隅で練炭自殺をした3人組の1人はこう言った。彼、大友道明19歳は大学一年生だった。受験勉強するも、ほとんどの大学に落ちぎりぎり滑り止めの大学に受かった大友。もう人生は終わったと感じていた彼は仲間と共に死を選んだ。彼が死ぬ間際に残したメモにはこう書かれれている。
「生まれてこなければよかった、と何度も思った。その罪悪感も今日で終わる。今日は良い日だ」
彼・彼女らは、このフェスの真の意図を理解し、バンドメンバーの演奏中継を見ながらともに自殺した。しかし、爆発が事故として報道されて以降、ネット視聴者である彼らの自殺は、事故とは関係ないものと見なされている。
朝11時から、フェスはスタートした。このフェスは死者さえ出さなければ、日本における飽和状態の小規模フェスとして、何の話題にもならなかったであろう。複数のバンド、アイドルがステージに立ち、パフォーマンスを披露していた。問題となる事故が起きたのは17時。トリをつとめていたバンドの演奏中に爆発が起き、ステージ上が炎に包まれた。
この爆発を遠くから眺めていた小学生ユーチューバー、ヒラシンこと平井進11歳は、こう語る。
「ヒラシンチャンネル観てね〜!LINEスタンプも発売中なのでよろしく!」
平井は全身タイツを着ながら楽しそうに話す。
「これが俺のスタイルなんで!よろしくっス!いやー、マジであの爆発!爆発ヤバかった。マジ半端ないほどステージがドーン!って鳴って。煙が出てステージがすげー燃えてんの!ぶわーって!俺、撮ったから!この離れた場所から撮った動画はさ。結構、PV行ったんだよねー!かなり早い段階でアップしたから!結構近い距離で撮った動画もあるんだけどさー、それは違反になっちゃったんだよね。マジで人が燃えてたから!ちょっと足のあたりとか見えるの。あ、これやべえ。マジでヤバいやつだ、って。撮りながらドキドキしたよね。いやマジで、この時の動画はかなり再生数のびたから印象に残ってんだよね〜!」
平井は、イキイキと語った。まさに悪しき小学生の見本のごとく、悲惨な事故の動画ではしゃいでいた。そういうものだ。
平井は、後にそこそこ人気のユーチューバーになるも、高校生の時にドリルを持って市役所に入り逮捕された。動機について、彼はこう言っている。
「再生数の為なら俺は何でもやると決めたんだ!俺は市役所が土日休みなのが許せなかったんだ!だからドリルで職員脅して土日も開けさせるつもりだった!そうしたい奴はたくさんいるはずなんだ!たくさん!」
事故が起きた当時、バンドはこんな歌詞の歌を演奏していた。
中傷を怖れて
あらかじめ出てきそうな批判を
小説内に散りばめるような
そんな大人にはなりたくない
なりたくないんだ
何の意味があるのか
誰も聴かない歌に
誰も共感しない詞に
こんなものより
ブラック労働者として死ぬほうが
求められているのではないか
また、このバンドはこんな歌詞の曲も歌っている。
お前は才能がないんじゃねえの?
締め切りの為にやってんじゃねえの?
そんなの作り手って言えないんじゃねえの?
トリをつとめたこのバンドは4人組。ボーカルのギリ、ギターのミチ、ベースのシン、ドラムのマルで構成されていた。このスーサイド・フェスティバルを計画したのが、このバンドメンバーだったと言われている。
音楽評論家の島津洋一は、現在の日本のフェスが飽和しているのも、このスーサイド・フェスを生んだ原因の一つであると分析している。ちなみに島津はウエーブがかかった長髪で黒いサングラスをかけている。年は46歳。タバコが好きだ。妻との間には12歳になる息子がいて、その息子は父親を軽蔑している。息子は、安全圏から偉そうなことをもっともぶって語るだけの父親の仕事に我慢ができない。そして、妻は2歳年下の男と浮気している。そういうものだ。島津は、こう発言している。
「今はフェスが多すぎるんですよ。都内はおろか、地方でも毎年、夏や冬、いや年中とおして様々な規模の音楽フェスが開催されている。音楽のみに限らないようなダンスや講演会や大道芸、即売会などを交えたフェスも増えています。その中には全く目的が分からないようなものもあるし、ほとんど観客が集まらないようなものもある。このフェスも、ほとんど人が集まらないだろうと見なされていて、音楽畑の専門家連中からもほとんどノーマークだったんです。様々な場所でイベントがおこなわれていますからね。ただ、やっぱり前途ある若者が死をもって現代社会に異を唱えた、死をもって精一杯の抵抗を試みた、という事実は忘れてはならないと思うんです。とても認められるような行動ではありませんが」
弱小ネットメディアに掲載されたこの発言は、ほとんど誰にも読まれていない。