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「局長さん、ただいま!」
「おかえり」
玄関を勢いよく開けて中に入ると、すぐに局長さんが出て来た。この家でお世話になり始めたころよりも幾分目尻にシワが増えている彼は、やはり暖かく自分を迎えてくれる。
「お疲れ様。いまからはどうするんだい?」
「特に予定はないよ、夕ご飯は?」
「今から作ろうと、立ち上がったところ」
「じゃあ、手伝うよ!」
ユーは肩から掛けているバッグを、ドアの傍に出ている突起に引っ掛け、局長さんに並んで一緒に炊事場へ向かったのだった。
夕食を終えて風呂に入ると、ユーはベッドの中へ潜っていった。何度か深呼吸をし、手袋を脇の机に放り投げる。それから目をきつく閉じると、布団を頭からかぶった。最近睡眠が浅いせいもあるのか、すぐに意識が遠のいて行くのを感じる。
「今日は……寝れると、いいな――」
――貴様に解るか、大天使の座につく者でありながら、貴様と同じ血を持つことの恐ろしさが!――
――……止めて、くれ……――
――踊れ、オスキュリート! 死に逝く舞を!――
――世界の異変を、あなた方に委ねます――
――強く、生きて……――
――悪い子には、お仕置きをしないとね――
「っ!」
いつもの夢に、ユーは跳ね起きた。
コンダム、ミール、ポスダー。ラポート、レガー、そして。
世界の裏切り者。サー=オスキュリート。
彼らと戦い、かかわりを持ち、会話をしたこと。その内容が最近の夢だった。苦悶の表情や期待の眼差し、総毛立つような笑みを浮かべている彼らに、大体裏切り者が出て来た辺りで目を覚ましてしまう。
「なんなんだよ、一体」
ベッドの上で膝を立て、額を膝頭に押し付けた。背にはしっとりと汗をかいているのが判り、手も微かに震えている。
「何が、ショックが和らいできた、だ。これじゃあまた、髪の色が銀に戻っちゃうよ」
今日の夢は、普段よりもいっそう、生々しかった気がした。あくびを漏らし、ホットミルクでも飲もうかと部屋のドアに手をかけ、視界に入ったものにユーの脳は瞬時に覚醒していた。
――手の甲にある眼が、不安定に揺れているではないか。
「な、なんで……?」
ユーは咄嗟に部屋の窓を開くと、そこから音を立てることなく夜空へ飛び、幼いころ自分が住んでいた街の外れの小屋へと向かった。その間、開こうと暴れる眼を無理やりに押さえつけ、たどり着くと手の甲を見る。
次の瞬間。自身の背後に、眼が開かれた。頑丈な鍵を掛けているはずの扉を、力ずくで開こうとするその感覚に、ユーは奥歯を噛みしめて眼を閉じようと力を入れる。
「開くなっ……クソ、どうした……!」
「三年という時間は、最期の平穏を味わうのには短すぎたかな?」
耳元で聞こえた声に、ユーは目を見開いた。
また、その声のせいで、眼を閉じようとするための集中が一瞬、途切れてしまう。
一度堤防にひびが入ってしまえば、それを破壊してしまうのは容易なことだった。
「あっ……ああああ!」
一気に眼が開かれ、拡大し、そこからは煙ザコやドロドロザコ。そして、姿かたちが歪で、思わず目を覆いたくなるような獣たちがなだれ込んで来たのだ。
ユーは体を引き裂かれる痛みを、唇を噛み切って耐え、今度は強引に目を閉じてしまった。額には脂汗が浮かび、寝間着も色が変わっている。
――眼の中から出て来た住人からは、何度も戦う、魔界の力を感じた。
「っ、死にたいらしいな!」
ユーはズボンのポケットに手を突っ込み、掌サイズの棒を手にした。鋭く振るとその棒は伸び、カチリと音を立て、自身の背丈ほどで固定される。
これは裏世界から戻ってきた後に新しく持った、持ち運びの容易な武器だった。
「来いよ、相手になってやる!」
棒の先端を持ち、思い切り振りかぶると、遠慮なく煙ザコへ振り下ろした。風を斬る音が遅れて聞こえたその素振りは、ひとたまりもなかったのだろう。煙ザコはあっけなく体を崩していった、それでもユーはそれだけでは終わらずに、振り下ろした勢いを殺さないままに力の向きを変えた。
突然のことに反応が出来なかったのだろう、歪な姿をした魔物の一匹が悲鳴を上げ、塵と化していく。
――まだ、「眼」から出て来ただけで、魔界の住人達は力を得ていないようだった。
「それなら、戦えっ、!」
再び棒を振り上げようとしたとき、ユーは再び、扉をこじ開けようと眼が暴れているのを感じた。思わずそこに武器を取り落とし、膝を地面に着く。
その大きな隙に、それらはユーを攻撃せず、体の向きを一斉に変えると闇夜へ飛び始めた。彼らが向かっている方角に、ユーはサッと青ざめる。
奴らが向かう先にあるのは、リ・セントーレだったから。
「ふざけるな……!」
一体何が起きているのか、より。なぜ『やつ』の声がしたのか、より。
ユーは歯を食いしばり、棒を拾い上げると、魔物たちを追うように翼を動かした。